女(ビルから飛び降りたのに……このゴミ袋の山に落ちて、助かっちゃったのね)
女「……ん?」
女「パン屋がある……」
女(こんなところに店開いて、来る客なんているのかしら?)
女(所持金は……300円か。これだけあれば、パン一つくらい買えるでしょ)
女(最後の晩餐がパンってのも悪くないかもね)
ギィィ…
女「こ、こんにちは……」
女(なんだか不気味な店員ね……全然愛想ないし……)
女(そうだ、ちょっと驚かせてみよう!)
女「実はあたし、これから自殺するつもりなの。それで最後の食事にパンを買いに来たのよ」
店主「そうか」
女「!?」
女(ちょっとは驚きなさいよォ! ていうか、普通止めるでしょ! なんなのこいつ!?)
女(トングを取って……)カチカチ
女「どのパンにしようかな~っと。コッペパンなんていいかも……」
店主「!」ピクッ
店主「お前、今なんていった?」
女「へ?」
ガシィッ!
女「ぐえっ……!?」
店主「『どのパンにしようかな』っていったよな? 何様のつもりだァッ!!!」グググ…
女「あ、がが……」メキメキ…
店主「どこがいけないだと? そんなことも分からんのか、このバカ女が!」
店主「お前がパンを選ぶんじゃねえ……パンがお前を選ぶんだ」
女「い、意味、わかんない……」
店主「これだけいっても分からんか……」
店主「そういえばお前、自殺するっていってたな。なら手間を省いてやろう」
店主「このまま俺がお前を殺してやる」グググッ…
女「えげぇぇぇ……」メキメキ…
女(し、死ぬ……たす、けて……)
店主「当然だろうな。殺すつもりで絞めてるんだから」グググ…
弟子「いやいやいや、殺しちゃダメですよ!」
店主「こいつはパンを侮辱した……もう死ぬしかない」グググ…
女(あ、やばい……いしき、うすれてきた……)メキメキ…
女「ゆ、ゆるひて……」メキメキ…
店主「許さん」グググ…
女「なんでもひゅるからぁ……」メキメキ…
店主「!」ピクッ
店主「今なんでもっていったな? いったよな?」
女「い……いったわよ!」
店主「よし……だったらお前、ここでアルバイトしろ。ちょうど人手が欲しかったんだ」
女「やる! やるわ! だから殺さないで!」
店主「いいだろう……殺さないでやる」
女(よかったぁ……)
弟子「大丈夫ですか?」
女(大丈夫なわけないでしょ!)
店主「少し違うな。ここは……“闇のパン屋”だ」
女「は?」
弟子「この店は、心に闇を抱えた人たちのためのパン屋なんですよ」
店主「ここを見つけることができるのは、そういう連中ばかりだ」
店主「真っ当に生きてる人間が、ここにたどり着くことはまずない」
店主「つまり……お前も心に闇を抱えてるってことになるな」
女「…………」
女「そうよ……。だけど、あんたたちに事情を話すつもりはないけどね」
店主「別にいい、興味ないし」
女「あぐぐぐ……」
女「何をすればいいの?」
店主「掃除、接客、パンの陳列、といったところだ」
女(なんだ……大したことないじゃない)
店主「お前はパン作りの修行だ。こっちへ来い」
弟子「はいっ!」
ギィィ…
女(あ、さっそく一人目のお客だわ)
女「いらっしゃいませー!」
会社員「おや、見ない顔ですね。新しく入った店員さんですか?」
女「ええ、そうです」
会社員「私はしがない会社員です。どうぞよろしく」
女「よろしくお願いします」
会社員「じゃあ今日も、カレーパンをいただこうかな」
女「はいっ!」
女(なーんだ、普通そうな人じゃない。なにが“心に闇を抱えた人のためのパン屋”よ)
店主「おい、水を持ってこい」
女「水?」
会社員「うん、うまい」モグモグ
店主「早くしろ」
女「な、なんで……」
店主「いいから早くしろォ!!!」
女「なにも怒鳴らなくたって……」
会社員「うまい……。うまいけど辛い……。辛いけどうまい。うまいけど辛い。うま……から……」
会社員「かっ、かっ、かっ……」
会社員「かれェェよォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!」
女「!?」
会社員「はふっ、はふっ、はふっ」ボッ…
会社員「かりゃいいィィィィィィィィィィィィィ!!!!!」ボワァァァァァッ
女「ヒィッ! ひ、火ィ!?」
店主「早くしろ! 水を飲ませてやるんだ!」
店主「ほっとくと火炎放射器みたいに火を吐き出して、全員焼け死ぬぞ!」
女「は、はいっ!」タタタッ
会社員「ふぅ~……お騒がせしました」
女「なんだったのあの人……」
店主「奴は辛いのが大の苦手なんだが、辛いものが大好きなんだ」
店主「普段は辛いもの食うのを我慢しているが、どうしても我慢できなくなった時だけ」
店主「この店にやってきてカレーパンを食べるというわけだ」
店主「もし激辛ラーメンなんて食った日にゃ、そのラーメン屋は全焼確定だろうな……」
女「ひええ……」
店主「俺がバイトを辞めていいというまで、せいぜい死なないよう頑張ることだ」
女(冗談じゃないわ! こんなとこいたら死んじゃう! 今すぐ逃げ――)
店主「ああ、あと……」ヒュッ
ドカァッ!
女「ひっ!」
女(投げつけられたトングが……床にめり込んだ!)
店主「逃げようとしたら……殺す」
女「う……!」ゾクッ
女「……分かったわよ! やるわよ、やってやるわよ!」
女「よろしくね」
弟子「ど、どうも……」
女(あーあ、なんでこんなことになっちゃったのかしら……)
女(あたしはただ自殺したかっただけなのに……)
弟子「あの……夜は冷えますし、布団増やします?」
女「結構よ」プイッ
弟子「そ、そうですか」
女(こいつはあの店主と違って大人しそうな男の子だけど、こんな店にいるんだもん)
女(きっとろくでもない奴に違いないわ……)
店主「起きろ」
女「ふえぇ?」
女「まだ日も昇ってない時刻じゃないのよ……」
店主「パン屋の朝は早いんだ。弟子はもうとっくに起きてるぞ」
店主「朝食を食べたら、店の掃除をしろ」
女「はぁい……」
客「…………」キョロキョロ
女「どうなさいました?」
客「あの……クロワッ様ってまだ焼き上がってないんですか?」
女(クロワッ様?)
女「……クロワッサンのことですか?」
客「お前ぇ! あんな偉大なパンに“さん呼ばわり”なんてできるわけねェだろうがァ!!!」
女「えええ!?」
店主「クロワッ様なら今焼き上がったぞ」
客「あっ、おいしそ~!」ニコッ
女(なんなのもう……)
弟子「お疲れ様でした!」
女「あぁ、疲れたぁ……」
店主「こんな働きぶりじゃ、まだまだここを出ることはできねえな」
女「ううう……!」
店主「弟子、お前はこれからパン作りの修行だ」
弟子「はいっ!」
女(はぁ……いつまでもつかしら……)
店主「今日はこれを陳列しろ」
女「わぁっ、おいしそうなフランスパン!」
店主「食いたければ食っていいぞ」
女「え、ホント? いただきます!」
弟子「あっ! ダメ!」
女「え?」ガブッ
女「うがぁっ! か、硬い! なんなのこの硬さ!?」
店主「おそらくこの世で最も硬いフランスパンだ。この通り釘だって打てる」ガンガン
女「なんでこんなもん作ったのよ!?」
店主「もちろん、客のためだ」
女「いらっしゃ――」
出っ歯「ちわ~っす」
女(すんごい出っ歯!)
女「まるでネズ……」
弟子「あっ、ダメです!」ガバッ
女「もご?」
店主「忠告しておく」
店主「奴にはモルモットだとかハムスターだとか、ネズミを連想させる言葉は絶対いうな」
店主「ものすごく怒るからな」
店主「下手すりゃディズニーランドやピカチュウなんかにも反応してくるぞ」
女「わ、分かったわ……」
出っ歯「いただきま~っす!」ガリガリガリガリガリ
女「!」
出っ歯「いえね、俺っちってものすごい勢いで前歯が伸びてくるから」ガリガリガリガリガリ
出っ歯「このフランスパン食ってたまに歯を削らないと、伸びすぎちまうのよ」ガリガリガリガリガリ
女「そ、そうなんですか……」
出っ歯「そこらのコンクリートなんかじゃ、俺っちの歯には柔らかすぎるからなぁ」ガリガリガリガリガリ
ガリガリガリガリガリ…
女(まるで人間削岩機だわ……)
女(指の長さぐらいあった歯が、1cmぐらいになったわ……)
出っ歯「シシシ、驚いてるね」
女「あ、いえ……」
出っ歯「そりゃそうだよな。俺っちの前歯見て、驚かない奴なんていやしねえ」
出っ歯「俺っちのこと……嫌いになったろ?」
女「そんな……嫌ったりしませんよ!」
出っ歯「…………」ビキッ
出っ歯「今……なんつった?」
女「へ?」
女「え!? いってない! いってませんってば!」
出っ歯「あのポケモンのせいで……俺っちがどれだけいじめられたか……」
出っ歯「『ひっさつまえばやれよ!』とか『コラッタ産めよ!』とか……」
出っ歯「そんなにいうんなら見せてやる!」
出っ歯「俺っちの“いかりのまえば”をよォォォォォッ!!!!!」ニョキニョキニョキニョキニョキ…
女「ひいいいいっ!(すごい勢いで前歯が伸びてきた!)」
店主「やばいっ! 今日はいつもより敏感だったようだ!」
弟子「危ない!」バッ
ザシュッ!
弟子「ぐ……! だ、大丈夫ですか?」
女「う、うん……あなたこそ……」
出っ歯「シシシ……うまく逃れやがったなぁ~」
出っ歯「キシャアッ!!!」グワッ
女「いやぁぁぁぁぁっ!」
店主「ぐ……!」グググ…
女(トングで前歯を受け止めた……!)
出っ歯「やるねえ。だけど、俺っちの前歯の方が強いッ!」グインッ
店主「うおっ!」グニャリッ
出っ歯「トドメだァァァァァッ!!!」グワッ
店主「ふん!」ブンッ
ボゴォッ!
出っ歯「ぐっ!?」
女(フランスパンで殴った!)
女(前歯vsフランスパン……わけの分からない戦いになってきたわ!)
出っ歯「キィシャァァァァァッ!!!」
店主「手加減はできねえ……殺ってしまっても恨むなよ」
ズガァッ!
女(こうなったのはあたしのせいだわ……)
弟子「さあ、あなたは早くこっちへ!」
女「ううん、逃げないわ!」
弟子「え!?」
出っ歯「!」ピクッ
出っ歯「誰がネズミだぁ……!?」ビキメキ…
店主「バカ、なにやってやがる! 火にガソリン注ぐようなことを……!」
弟子「あああっ……!」
出っ歯「誰がネズミだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」グワァッ
女「ニャ~ン」
出っ歯「!」ビクッ
出っ歯「ひ、ひいいっ! 許してっ! 許してぇぇぇっ!」
女(よかった! 効いてる!)
弟子「そうか、ネズミは猫に弱いから……!」
店主「…………」
女「許してやるニャ。そのかわり……」
出っ歯「その代わり?」
女「ネズミっていわれたぐらいで……怒っちゃダメニャ!」
出っ歯「は、はいぃぃぃ……!」シュン…
弟子「ネズミで怒るお客さんには、猫で対抗するなんて!」
女「たまたまよ、たまたま」
店主「…………」
店主「やるじゃねえか」
女「!」
女(少しは認めてもらえた……ってとこかな?)
弟子「はいっ!」
弟子「うんしょ、うんしょ」コネコネ…
店主「なんだその力は!? そんなんじゃいいパンはできねーぞ! いつも何を学んでやがる!」
弟子「すみませんっ!」
女(パン作りって厳しいんだなぁ……)
弟子「はい、だけどこれも修行ですから」
女「それと……」
女「さっきは助けてくれて、ありがとう。あたしのせいでケガしちゃって……」
弟子「い、いえっ! これぐらいへっちゃらです!」
女「明日からもよろしくね」
弟子「はいっ!」
医者「やぁ」
店主「これはこれはドクター、いらっしゃい」
弟子「あ、お医者さんですね。あの人も常連さんですよ」
女「ふうん……いけ好かないわね」
弟子「え、どうして?」
女「医者っていえば金持ちでしょ? あたし……金持ちが嫌いなの」
弟子「そうなんですか……」
店主「すぐ持ってくる」クルッ
女(パンの耳? しかもいつも通り?)
女(なんでお金持ちなのにパンの耳なんか……)
女(昔は貧乏でよくパンの耳を食べてて、未だにその味を忘れられないとか?)
医者「お~、ありがとう! 相変わらず素晴らしい出来栄えだぁ!」
女「…………」チラッ
女(うげっ!?)
女(なにあれ!? 人間の耳!?)
女(いえ、そうじゃない……パン生地で“ものすごくリアルな耳”を作ったんだわ!)
医者「いただきま~す」モニュ…
医者「おいちぃ~~~~~!!!」
女「どういうことなの……」
店主「ドクターは腕のいい外科医なんだが、“人の耳を切り取りたくて仕方ない”という性癖を持ってる」
女「……へ」
店主「もはやその衝動を抑え切れなくなった時、彼はこの店にやってきた」
店主「以来、定期的にあのパンの耳を買いにきてるというわけだ」
店主「パンの耳を食べることで、自分の衝動を抑えるために、な」
女「はぁ……」
弟子「お疲れ様です」
女「それにしてもあの人、パン生地であんなリアルな耳を作れるなんて」
女「性格はともかく、パン作りの腕はたしかに一流ね」
弟子「師匠のファンは多いですよ。みんな心に何かしら抱えてますけど」
女「でも、どうしても分からないのよね」
女「あなたみたいな真面目な子が、どうしてあんな人の弟子になったのか……」
弟子「師匠は……ボクの命の恩人ですから」
女「……え?」
女「ど、どうして!?」
弟子「理由は“育てるの飽きたから”とか、そんな理由だったと思います」
女「な……!」
女「ゆ、許せない! 許せないわっ!」
女「せっかく産まれた命を……捨てるだなんて!!!」
弟子「…………!」
弟子「でも、その時――」
店主「…………」
店主「驚いたな。こんなところにガキが捨てられてるとは」
少年「…………」ピクッ
店主「お、まだ生きてるのか」
少年「う、ううう……」
店主「おい、ガキ」
少年「?」
店主「ここに二つのパンがある」スッ
店主「もう一つのこっちは……猛毒のパンだ。食えば一瞬で楽に死ねる」
店主「好きな方を食え」
少年「…………」
少年「う、うう……」サッ
モグモグ…
少年「お、おいしい……」
店主「そうか、まだ生きたいか」
少年「…………!」
店主「嫌か?」
少年「い、い、いえ……! ぜ、ぜ、ぜひ……」
店主「じゃあついてこい。手は貸さねえぞ」
少年「は、は……はい……!」
弟子「師匠がいなきゃ、ボクはとっくに死んでいたでしょう」
弟子「パン作りをやりたいっていうのも、ボクから師匠に志願したんです」
女「なるほどね」
女「ところで、あなたが選ばなかった猛毒のパンってホントに毒入ってたのかしら?」
弟子「入ってたと思いますよ。そういう人ですから」
女(お~……怖っ!)
ペタペタ…
店主「…………」
女「今日はなにを作ってるの?」
女(これは……ご飯!? なんでパン屋でご飯を!?)
女(いいえ、違うわ……パンで作った米粒!)
女(なんでこんなものを……!?)
店主「よし、できた」
老人「こんにちは」
店主「ジイさん、いつものパンだ」
老人「おお、ありがとう!」
老人「わしはこのパンじゃないとダメなんじゃよぉ~」
女(どういうことなんだろ?)
弟子「ああ、あのおじいさんは、パンが大好きなんです」
弟子「だけど日本人たるもの、パンなど食べずご飯を食べなきゃいかんという信念も持っていて」
弟子「どうすればいいか途方に暮れていたところ、師匠はあのご飯のようなパンを作ったそうです」
弟子「これなら食っても大丈夫だろ、って……」
女「へぇ~。おじいさんのために、あんな手間のかかることを……」
弟子「師匠は厳しくて怖いけど、決してそれだけの人じゃないんです」
弟子「この闇のパン屋は、ただ暗いだけの闇ではなく、闇を抱えた人を温かく包み込んでくれる」
弟子「そんなお店なんです……」
女「…………」
女「この店で働き始めてからはすっかりそんな気持ちなくなっちゃった」
弟子「死にたがってたって……どうして?」
女「……もう話してもいいかな」
女「あたしね、ある大金持ちの御曹司と付き合ってたの」
女「別にその人がお金持ちだったからってわけじゃなく、純粋に好きだったわ」
女「そんなある日、あたしに子供ができてしまった。彼の子供なのは間違いなかった」
女「あたしがそれを告げると、彼は冷たく言い放ったわ」
女「“そんなの困る、おろしてくれ”と」
弟子「!」
女「それでもあたしはどうしても産みたかった……」
女「だからあなたには迷惑かけないし、お金も請求しないから、一人で産むわっていったの」
女「そしたら彼は……」
御曹司「いやいやいや、おろしてくれないと困るんだよ」
御曹司「あとになって隠し子がどうとか問題になっても困るしよぉ~」
御曹司「今はDNA鑑定もできるし、そうなったら面倒なんだよねぇ~」
女「だから、そんなことしないって……!」
御曹司「いいや、信用できない。女ってのはきったねえ生き物だからなぁ~」
御曹司「あっ、そうだ! いいこと思いついた!」
女「な、なにすんの!」
女「もちろん、お腹の中の子は……」
弟子「…………!」
弟子「なんて奴だ……! 許せない……!」
女「ふふっ、怒ってくれてありがとう」
女「この話を他人にするなんてはじめて! おかげでスッキリしちゃった!」
弟子「あ、よかったら、ボクが作ったパン食べませんか? メロンパンです」
女「いいの? ありがとう!」モグッ
女「うん、おいし~! もうお師匠さん超えてるんじゃない?」
弟子「アハハ、まさか!」
店主「…………」
店主「おい」
女「なに?」
店主「たまには休みたいだろう。休みたければ休んでもいいぞ」
女「あら、珍しい。あなたが優しい言葉をかけてくれるなんて、米粒でも降るかしら?」
店主「そんな口がきけるなら、休みを与える必要はなさそうだな」
女「ちょっとぉ、怒らないでよ」
店主「それがどうした」
女「だったらさ、“光のパン屋さん”もどこかにあったりするの?」
店主「光のパン屋があるかどうかは知らんが――」
ギィィィ…
和服娘「こんにちは」
女「あっ、いらっしゃいませ!」
女(わぁ、キレイな人……)
和服娘「あら、初めてお目にかかる方ですわね」
和服娘「私、“光のおにぎり屋”を営んでおります。不束者ですが、どうぞよろしく」
女(光のおにぎり屋……!)
店主「まさに噂をすれば、だな」
和服娘「あら、ご挨拶ですね。私はあなたと違って行商のような真似もいたしますのよ」
女(“光”を自称するだけあって、所作がいちいち上品だし、なんていうか後光が差してるわ)
女(おにぎりも心なしか光り輝いてて、どれもおいしそう……)
和服娘「よろしければ、お一ついかが?」
女「いいんですか? それじゃあ……」
女「!」ハッ
店主『お前がパンを選ぶんじゃねえ……パンがお前を選ぶんだ』
女(おっと……あぶないあぶない)
店主「バッ……!」
和服娘「…………」ビキッ
女「え?」
和服娘「なぁにが『オススメあります?』だァァァァァ!?」
和服娘「なぜ自分で選ばない? なぜ自分で選ぼうとしない?」
和服娘「おにぎりってのは自分で選んで、“自分の手で握り取る”もんだろうがァァァァァッ!!!」
女「ひいいいいいっ!」
和服娘「おにぎりを侮辱しおって……許さんッ!」ガシッ
女「むぎゅっ!」
和服娘「私の握力は100kgを軽く超える……このままおにぎりにしてあげる!」グググッ…
女「あが……あがががっ……!」ミシミシ…メキメキ…
女(トングがおにぎり屋さんの首筋に……!)
和服娘「…………」ギロッ
店主「…………」ギロッ
ゴゴゴゴゴ…
女(パン屋とおにぎり屋の、すんげえ睨み合い……!)
和服娘「……失礼しました。おにぎりを一つ差し上げるので、どうぞお許し下さい」ペコッ
女「あ、どうも……」
和服娘「では私はこれで……」スタスタ…
女「お、おいしい……!」
女(さっき握り潰されかけたことも忘れちゃうようなおいしさ……!)
女「助けてくれて……ありがとう」
店主「せっかく仕事を覚えてきたバイトを殺されたらたまらねえからな」
店主「だが、もしあのまま戦いになってたら、お互い無事じゃ済まなかった……」
店主「あんなことで人一人殺そうとするとは……相変わらずイカレた女だ」
女「あなたも人のこといえないって」ボソッ
店主「なにかいったか?」
女「いーえ」
会社員「からっ……!」
店主「おい水だっ!」
女「もうバケツで用意してあります!」サッ
女「出っ歯だからって気にすることないわよ。愛嬌あって可愛いもの」
出っ歯「ありがとう……俺っち嬉しいよ……」
医者「う~ん、君の耳、実にいい形をしているね。切り取ってもいいかい?」
女「せっかく両親からもらったものなので、遠慮しときます」
和服娘「ありがとうございます」
和服娘「初めて会った時はごめんなさいね。あなたのような方を握り潰そうとして……」
和服娘「私ったら、おにぎり屋失格ですね……」
女「いえいえ、世の中首絞めてくるパン屋もいますから」
アハハハ… オホホホ…
弟子「だいぶこの店に馴染んできましたね! 常連さんともすっかり仲良しです!」
店主「ああ」
店主(だが、まだあの女の“心の闇”は……)
ギィィィ…
店主「……ん」
弟子「お客さんですね」
女「あたしが出るわ。いらっしゃ――」
女「!!!」
女「…………」
女(なんで……なんであの人がここに……)
弟子(どうしたんだろ? あのお客さんを見たとたん――)
女「…………」ワナワナ…
弟子「!」ハッ
弟子(まさか……? まさか、あのお客さんは……!)
女「は、はいっ!」
店主「あの男とお前の間に何があったのかは知らんが、私情で仕事をおろそかにすることは許さん」
店主「いつも通り接客しろ」
弟子「師匠! ここはボクが……」
女「ううん、いいの。ありがと、弟子君」
女「あたしが……やらなきゃ。接客はあたしの仕事だもの」
店主「…………」
御曹司「おお? 店員がいたのか。出てくるの遅すぎだっつの」
御曹司「……んん?」
女「!」ビクッ
御曹司「お前……もしかして、昔俺が遊んでやった女じゃね?」
御曹司「なんでこんなとこいるんだぁ!? ずいぶん落ちぶれたなぁ!」
御曹司「お腹の赤ん坊は元気か? あっ、流れちまったんだっけ?」
御曹司「どんぶらこ、どんぶらこってお前の股から! ギャハハハハハハッ!」
女「…………」
女(え……)ドキッ
女「なん、でしょうか……」
御曹司「俺がお前を妊娠させてガキを処分した件は、親父がもみ消してくれたんだけどさ」
御曹司「おかげで俺、親父にずいぶん怒られちゃってさぁ~」
御曹司「月のお小遣いを100万円も減らされちゃったんだよね~」
御曹司「それもこれもてめーのせいだろ! どうしてくれんだてめえ!」
弟子「なんなんだあいつは……!」
店主「もしもし……」
弟子「師匠、こんな時になに電話なんかかけてるんですか!」
御曹司「おい謝れよ! 今すぐ土下座しろよ!」
女「…………」プルプル…
御曹司「なに震えてんだ? もしかしてまた俺に抱かれたくなったか?」
御曹司「いいぜ、今ヒマだし、抱いてやっても」
御曹司「またできちまったら、もちろん生まれる前に処分すっけどな! ギャハハハハハッ!」
女(悔しい……!)
女(こんな奴を、本気で好きだったことが悔しくてたまらない……!)ポロポロッ
御曹司「あらら? 泣き出しちゃった! ったく女ってのはこれだから……」
店主「お客様」
御曹司「あん?」
店主「ここはパン屋なんで、パンを買って下さらないと」
御曹司「ああ、そうね。なんだったら全部買ってやってもいいぜ?」
御曹司「こんなチンケなパン屋のパンくらい、いくらでも買い占められる」
店主「でしたら、お客様のぴったりのパンを」
御曹司「へえ、なにそれ?」
御曹司「おうっ!?」
御曹司「げぼぉぉぉぉっ……!」ビチャビチャ…
女「え……」
店主「“腹パン”だよ」
御曹司「がはっ、げほっ、げほっ……!」
店主「こいつ、店を汚しやがった。おい、お前も殴ってやれ」
弟子「いいんですか?」
店主「やれ」
弟子「はいっ!」
御曹司「ちょっ……」
弟子「あなたは最低の男だ!」
ドゴォッ!
御曹司「ぐえええええっ……!」ゲボォッ
店主「おい、お前もくれてやれ」
女「……いいの? この人、お客さんなのよ?」
店主「今日は腹パンのバーゲンセールだ」
ボフッ!
御曹司「ぶほぉっ!」ガフッ
女「はぁ、はぁ、はぁ……」
店主「一発でいいのか?」
女「!」
店主「ここでなら、死ぬまで殴ったってどうとでも処理できる」
店主「こいつも心に闇を抱えた客だが、はっきりいって手の施しようがないタイプの闇だ」
店主「殺したところで、誰も咎めはしねえ」
女「……そうね」ザッ
御曹司「ひいっ!」
女「…………」
女「あなたはあたしの赤ちゃんを殺した……許すわけないでしょ」
御曹司「そんなぁ……」
女「だけど、もういいの」
女「もう二度と、あたしの前に姿を見せないで。女の人を泣かすような真似はしないで」
女「いいわね!」ギロッ
御曹司「ひゃ、ひゃいぃ……」
女「うん、いいの……」
女「あれだけみじめな姿を見れば……だいぶスッキリしたわ」
女「二人とも、ありがとう!」
弟子「とても立派でしたよ! ボク、感動しました!」
店主「…………」
御曹司「はぁ、はぁ、はぁ、ふざけやがって……あのアマァ……」
御曹司「遊んでやった恩も忘れて、俺に腹パンなんざかましやがってぇ……」
御曹司「こうなったら金でチンピラ雇って、あのパン屋襲撃してやるぅ……」
御曹司「あのアマをメチャクチャになぶった後、店に火ィつけてやるぅ……」
御曹司「なぁに、親父が全部もみ消してくれるさ……」
「おや、それはいけませんね」
会社員「この人、あのパン屋さんに火をつけるといってましたよ」
会社員「だったら私が先にあなたに火をつけてやらねば」
医者「ふ~む、君の耳なら切り取ってしまってもよさそうだ」
医者「あまりいい形ではないがねえ」
御曹司「え、え?」
出っ歯「あんた、あの店員ちゃんにひどいことしたんだって?」
出っ歯「俺っちの“いかりのまえば”を思い知れ!」ニョキニョキニョキ…
御曹司「なんだよ、てめぇらぁ!?」
和服娘「ですが皆さん、殺してはいけませんよ」スッ…
和服姿「じっくりと、時間をかけて、極上のおにぎりに仕上げてみせます」ニギニギ…
和服娘「この方がいなくなった方が、この世は光を増すことでしょう」ニッコリ
御曹司「や、やめ……!」
うぎゃぁぁぁぁぁぁ……!!!
………………
…………
……
客「またクロワッ様買いにくるよ」スタスタ…
女「ありがとうございましたー!」
店主「近頃、だいぶスッキリした表情になったな」
女「ええ、彼を一発ブン殴ったおかげかしら」
店主「…………」
店主「だとしたら、もういいぞ」
女「え?」
店主「もうここを出ていって、元の生活に戻ってかまわない」
女「…………!」
弟子「そ、そんなっ!」
弟子「やっと女さんも慣れてきたっていうのに……!」
店主「どうする?」
女「あなたが許してくれるというのなら……そうさせてもらうわ」
弟子「! ど、どうして……!」
女「あ、勘違いしないでね? ここが嫌だってわけじゃないの」
女「一生ここで働いてもいいかもって思うくらい」
女「だけど……だからこそ、こうして許しを得た以上」
女「ちゃんと元の生活に戻ることがあなたたちへの誠意になると思うから……」
弟子「…………」
女「今までありがとう」
弟子「……ボクこそ、楽しかったです!」
女「こんなに……いいの?」
店主「それと、持ってけ」ポイッ
女「これは……コッペパン!」
店主「いっただろ? パンがお前を選んだんだ」
女「ありがとう……」モグッ
女「うん、ふわっふわでおいしい!」
店主「俺が作ったんだから当たり前だろ」
店主「準備はできたか?」
女「ええ……」
女「それじゃあ、またね!」
弟子「また遊びに来て下さいね!」
店主「心に闇ができたら……いつでも来い」
女「うん!」
会社――
女「課長、できました」
課長「うむ、ご苦労さん」
若手「あ、あの……」
女「ん?」
若手「今夜、飲みに行きませんか?」
女「ごめんなさい、今日はちょっと行くところがあって……」
若手「そ、そうっすか……残念」
女「ありがと、また誘ってね!」
若手「は、はいっ!」
若手「ええ、残念です」
若手「それにしても、新しく入ったあの人、妙な魅力がありますよね……」
課長「うむ……」
課長「なんというか、深い闇をくぐり抜けてきたというか、そういう魅力がある」
若手「ですよねえ! くっそー、諦めないぞ!」
女「こんばんはー!」
弟子「!」
弟子「いらっしゃいませー!」
店主「…………」
店主「また来たのか。心の闇ができたらといっただろうに」
女「今日も会社で色々嫌なことあったのよ。それだって、立派な心の闇でしょ?」
弟子「そうですよ、そうですよ!」
弟子「し、師匠!」
女「ふふっ」
女「さぁ~て、今日はどのパンに……選んでもらおうかしら」カチカチ
女「うんっ、これにしよっと!」
―おわり―
この世のどこかにこんなパン屋があってもいいな