女「・・・ええ。」
男「なに?」
女「私を笑わすことよ」
何だ、簡単じゃないか。自慢じゃないが俺は笑いの才能がある。
男「何だそんな事かよ!簡単だぜ!」
女「・・・そうかしら?じゃ笑わしてよ」
男「うん。」
女「・・・」
男「そんじゃ早速!記念すべき第一回目のギャグだ!存分に笑うが良い!」
爆笑が取れる鉄板中の鉄板。その名も
男「腹踊りー!」クネクネ
俺は上半身裸になり、腹踊りを始めた。これで笑わなかった奴は居ない。
女「・・・痩せた身体の腹踊りなんてどこに笑う要素があるの?」
男「ふぇ?」
女「はっきりいうわ。つまらない」
ガビーん
男「っしゃ!次ぃ!こいつも鉄板!秘儀お尻ペンペン!」
俺は彼女に尻を向けるとズボン下ろし尻を丸出しにした。
ペンペンペンペン
これで笑わないほうが可笑しい!珍妙な仕草と、この音!スゲえ笑えるだろ!つか、自分でやってて笑えてきたわ!さあ、笑え!腹がネジきれるほどに!
女「・・・安易な下ネタほど嫌いな物はないわ。お願いだからその汚いお尻を直ぐにしまいなさい。」
男「は、はい!」
女さんは電信柱にションベンをする野良犬でも見る様な目で俺を見ている。まずいな、こうなったら
こ、こうなったら!最後の手段!多少卑怯だが仕方が無い。有名なギャグで笑いを取りにいく
男「せーの!コマネチ!」
笑いの巨匠ビートたけしの一発芸。コマネチ。俺はこれを初めて見た時、一週間は頭から離れなかった。それほど面白い。
女「・・・」
あれ?反応がないな?きこえなかったかな?
男「せーの!コマネ
女「二度やる必要はないわ。よくもそんな古いネタを使う気になるわね。それと、せーのっていうのはやめなさい?掛け声ほど寒いものはないから」
動作の途中でストップがかかった。うわぁみろよ彼女のあの目!黒目がさっきより、小さくなってる気がする。どんだけ興味なくしてんだよ。
男「よーし。お待たせいたしました。次は、ダジャレで笑わします」
女「・・・」
う、うわぁ。なんだそのウンコを突き刺した棒を無邪気に振り回すガキを見る様な目は。でも何か興奮する。
男「ある家の庭には、ヘチマがありました。ある日、その家にヘチマ泥棒が入りました。次の日、奥さんが庭を見て一言。ヘチマがヘッチマッたなぁ。なんつって」
女「・・・長い。あと、お約束みたいになんつってて付けるな」
あれ?何か怒ってる?でも、怒った顔も素敵。
女「・・・」
さっきから、眉毛一つ動いて居ない。どんだけ無愛想なんだよ。そこがたまらんのだが
男「変だな?この雨あめー。なーんつって。」
女「・・・」
あれ?自然過ぎて気がつかなかったかな?雨と甘いをかけたんだが。
男「変だな?この雨あ
女「つまらないネタを二度もやるなといっている!それと、なーんつって禁止!」
あ、眉毛動いた。逆ハの字に。
男「そ、そうかな?」
女「今の貴方と付き合う気にはならないわ。」
ガビーン
女さんはそういうと俺に背を向けて歩き出した。
男「あ、明日も君を笑わしてもいいかい!どうしても君の笑顔が見たくなった!」
女「・・・勝手にしなさい」
男「勝手にする!絶対に笑わしてやる!で、付き合う!」
男「バラエティ番組を見て笑いを極めてやる!」
TV「ワハハ!なんでやねん!」
ピーン!
閃いた。これだぁ!
翌日
女「・・・何?また体育館の裏に呼び出して」
男「今日こそは笑わしてやる!覚悟しろ!」
女「・・・で?それは誰よ」
俺は昨日のTVをみて確信した。笑いは一人でやるもんではない。相方が必要なのだ。
男「こいつは用務員のおじさんだ。」
用務員「・・・仕事あるんだけど」
女「・・・」
俺は女さんが体育館裏にくるまでのあいだに、用務員のおじさんとネタ合わせをしていた。
男「じゃ、さっきの流れでよろしくお願いします」
用務員「え、本当にやるのかい。私嫌だなぁ」
女「・・・」
用務員「よ、用務員のおじさんで」
男・用務員「アジアのパピヨンズ。よろしくお願いします」
女「・・・」
男「いやぁ最近ポッキリ寒くなってまいりましたがな」
用務員「め、めっきりやろが!」ベシ
昨日のTVでもう一つ確信した事。それは関西弁は笑えるということだ。
男「そうともいいまんがな。」
男「・・・」チラッ
女「・・・」
男「こう寒いと槍でも降ってきそうやなぁ」
用務員「な、なんでやねん!」ベシ
男「・・・」チラッ
女「・・・」イラッ
男「いやぁ寒くて寒くてここはゴッサムシティか!なーんつって!」
用務員「も、もうええわ」ベシ
男「・・・」
用務員「・・・」
女「・・・」
男「どうだった?いちよさ、昨日お笑いの研究したんだ。笑えただろ?」
女「・・・笑うどころか、殺意が芽生えたわ。いちいち私の反応を気にしながらやるな!あと下手な関西弁禁止な!」
用務員「ひ、ひい!男君、私は仕事に戻るよ」
男「あ、ちょっ」
用務員のおじさんは女さんの血走った目に睨まれるのに耐えられないのか一目散に逃げて行った。
男「もちろんだよ!君が好きなんだ!君の笑顔が見たいんだ」
女「そ、そう。」
女さんの頬にほんのり赤味がさした気がする。
女「コホン!でも全然面白くないじゃないの!私の事を、その、す、好きなら私を笑わせるくらい簡単でしょ?」
男「うーむ。そのはずなんだよ。俺は今までクラスのお笑い担当として生きてきた。それなりに笑いにはうるさいつもりだし、自信もある」
女「・・・」
あれ?変だな。さっきまでほんのり赤かった女さんの頬から血の気が引いた気がするぞ
そういうと、女さんは俺に背を向け歩き出した。今日も駄目だったみたいだ
男「女さん!明日も、明日も良いかな?」
女さんは立ち止まり振り向いた。
女「明日もつまらなかったら罰を受けてもらうわ。」
男「ば、罰。罰ってなに?」
女「罰は、罰よ。当然でしょ?私の貴重な時間をつまらない時間に当てた罰を受けて貰うの」
女さんはそういうと、もう振り返らずに体育館裏から出て行った。
男「・・・罰。」
罰ってなんだろ。どんなお仕置きかなぁ。興奮してきたなあ。そうだ、明日はワザとつまらない事をしよう。そして、女さんにお仕置きして貰おう!
女「・・・今日は一人なのね」
男「まあね。さーて、罰が怖いから今日こそは笑わせてやるよ!」
なーんてね。今日は笑わせるつもりはないよ。とびきりのつまらない時間をプレゼントしてやる。
男「ゴリラのモノマネ。ウッホウホウホウッホ」ドンドン
四つん這いになり、ドラミングをしながら女さんの周りを練り歩く。
女「・・・」
男「ウホホホイウホホホウッホホ」ドンドン
女さんと目があった。親の仇ゴリラを見るような憎しみに溢れた目をしている。
男「ウッホ。っと。さて、次は。猿のモノマネー。」
女「・・・」
男「ウッキキ。ウッキー」ゴシゴシ
四つん這いになり、頭と顎を掻きながら女さんの周りを練り歩く。
女「・・・」
体育館裏には、春には綺麗な花が咲く桜の木が植えてある。俺は猿なので木に登る事にした。
男「ウッキー。ハァハァ。ウ、キ。」ヨジヨジ
木登りなんて小学生の時以来だ。俺は何とか太い木の枝にまたがった。
男「はぉはぁ。ウ、ウキウキ」
女「・・・」
下を見るとちょっと高くて怖い。
木登りは登るより降りる方が怖いんだよな。
男「・・・」
降り方が分からない。
男「・・・ウッキー」ゴシゴシ
女「・・・」
用務員「・・・また君か、勘弁してよ、本当に」
用務員のおじさんは、5・7・5で感想を述べると体育館裏から出て行った。
男「・・・ウッキー」ゴシゴシ
女「この期に及んでまだやるんかい!」
あれ?妙だな。女さんが少しだけ笑った気がする。それにちょっと機嫌が良い様な感じがする。
男「今日は以上だけど。どうだった?」
女「・・・下らないわよ。何よゴリラと猿のモノマネって。それに」
男「ん?」
女さんが肩を震わせながらしゃがみ込み、両手で口を抑えた。
女「お、おり、降りられなくて昨日の用務員のおじさん呼ぶとか馬鹿だー。ここに馬鹿がいる。アハハハハ」
男「あ」
女さんは目に涙を浮かべながら笑い転げている。あれ?何だこれ?もしかしてこれって
男「もしかして、ウケてる?」
女「・・・うるさい!見んな!馬鹿!」
男「あ、や。やった!うけてる!笑ってる!」
女「・・・フ、フフフ!アハハ」
男「やったぁぁぁぁぁ!笑ってるぞ!俺が笑わしたんだぞ!」
女「うるさい!ちょっとあっちいってて!」
言葉は相変わらず辛辣だが、まだ肩を震わせて笑っている。女さんはモノマネが好き、と。意外だな、こんな幼稚園児が好きそうなネタで笑うとは。それにしても、笑った顔は、想像以上に可愛らしい。
女「・・・」
男「よし、女さん。これで俺と付き合ってくれるんだな」
女「・・・ずるいわ、あんなの反則よ。」
また思い出したのか、女さんの口角が上がる。
男「モノマネがツボなんて女さん意外とガキっぽいとこあるんだね」
女「・・・はぁ?言っとくけど貴方のモノマネに笑った訳じゃないから!」
男「え?」
女「マヌケさに笑ったのよ!」
男「え?でも、笑いは笑いだろ」
女「・・・そうね。罰は無しでも良いわ。でも、まだ今の貴方とは付き合う気にはならない」
そういうと、女さんは俺に背を向けて歩き出した。背中が小刻みに震えているのは気のせいだろうか?
男「あ、ちなみに罰ってなんだったの?」
女「・・・忘れて良いわ」
男「気になるから教えてよ!
女さんは立ち止まり振り向いた。どーもまだ笑いが収まり切らないのか頬がピクピクしている。
女「・・・これから毎日お昼、一緒に食べる。そういう罰」
言いながら彼女は俯いた。全く何処が罰何だか。
男「わかった。悔しいがその罰を受ける事にする!明日昼に君のクラスに行くよ」
女「・・・だから罰は無しっていってるじゃない」
男「じゃ罰じゃない!君と少しでも一緒に居たいから!明日から俺と昼飯を一緒に食べて欲しい!」
女「か、勝手にすれば!」
女さんは全速力で体育館裏から出て行った。明日こそは計算された笑いで彼女からとびきりの笑顔を引き出してやる。
TV「犯人はお前だ!」
男「・・・面白いか?そのドラマ」
妹「そんなでもないかな。私最初から予想できてたし」
男「そう」
しばらく妹とドラマを見ていた。明日はどうやって女さんを笑わせようか、ずっと考えていた。
妹「お兄ちゃん。最近楽しそう。何かあった?」
男「まあちょっとな」
妹「へー、なーんか怪しい」
ふと、今日の女さんの笑顔が浮かんできた。明日も見たい。出来ればずっと毎日見たい。
TV「CMの後は驚きの真犯人」
妹「え!嘘でしょ!」
男「ははは。楽しんでるじゃないか」
不思議なもんだ。こんなどうでもいい事でも俺は笑ってる。ますます分からなくなってきた。どうやって彼女を笑わそうか。
昼休み
チャイムが鳴り、昼休みが始まった。いつもなら屋上に行くところだが今日は違う。
男「・・・普通に行っても面白くないな」
サプライズ、それはきっと笑いに繋がる。俺はベランダの窓から侵入する事にした。たぶん、面白いと思う。
友「ちょ、男!なにしてんの!」
教室の窓から身体を乗り出し、窓のしたにある足場とも言えない様な出っ張りに降り立つ。
男「何って、昼飯を食いに行くんだよ。」
友「お、おう。とにかく頑張れよ!」
男「ありがとう!」
女さんのクラスは隣。このクラスの一番後ろの窓から女さんのクラスの一番前の窓までは5m程度だ。
男「70歩くらいでいけるはず!」
一歩一歩。雨樋を掴みながら慎重に歩を進める。
男「ふ、ふう。三階だしな、落ちたら死ぬかも」
ザワザワ
体育「お、おい!こらそこの馬鹿!落ちたら死ぬぞ!」
下から体育教師の声がする。あと、25歩。
ガラリ
隣のクラスの窓が開き、中から生徒が顔を出した。
女A「て、えええ!君、なにしてんの!なにしてんの!」
男「い、良いから騒ぐな!女さんにばれたら意味ね~だろ!」
男「・・・ふう」
ようやく一番前の窓に手が届いた。さっきの女は青い顔をして突っ立っている。
男「・・・あとは、侵入するだけってうわぁぁぁあ」
足が滑った。何とか窓のサッシを両手で掴んだが足元の出っ張りが見つからず足が宙に浮いている。
「きゃぁぁぁぁ!」
体育教師「う、うわぁぁあ!ちょ、ば、か。おま、まってろおぉぉ!」
目に汗が入って染みる。ヤバイ、心臓の音が聞こえる。まずい事に掌が汗で濡れてきていて、今にもサッシから手が滑りそうだ。
友「ちょ、おま!」
女「・・・どうしたの、って!お、男君!!助けないと!」
誰かが俺の手を掴み、引っ張り上げている。
女「誰か!手伝って!お願い、お願いします!大切な人なの!」
「あ、うん。」「おう!」
女「せーの!」
たくさんの人が俺の腕を掴んで、引っ張っている。正直
男「ちょっと痛い」
友「ゆうてる場合か!」
みんなの努力の、かいあって落ちずにすんだ。
「お前、馬鹿!」「ちょー怖かった!」「馬鹿かお前は!」「嫌な汗かいたわ」
女「・・・」
男「あ、の」
体育教師「ちょ、ちょっとこいそこの糞馬鹿野郎!!」
結局、昼飯を食えずに体育教師に指導室まで連れていかれた。
担任「・・・馬鹿たれ。」
体育教師「大馬鹿野郎がぁ!」
隣の担任「一歩間違えれば大事故だったのよ?」
校長「どうしてこんな危ない事をしたのか、話してくれるね?」
男「・・・」
最近の癖で面白い事を言いそうになるのをグっと堪える。
男「驚かせたくて、やりました」
校長「そう、ならその目的は達した。もうやらないと誓うかい?」
男「もうやりません」
校長「うむ、よろしい。この話は全校生徒に説明するよ。とても大切なことだからね。いいね?」
男「はい、申し訳ありませんでした。」
担任「・・・お前、本当にそれだけなのか?」
男「え?何がです?」
担任「特に目立ちたがりでもないお前が、急にこんな行動するとは考えられなくてな。それに隣のクラスだ。ひっかかる」
校長「うむ、そうですね」
体育教師「確かになぁ、お前運動音痴だもんなぁ!」
担任「はっきりと聞いておく。誰かに脅されてとか、じゃないのか?」
担任はいじめを疑っているみたいだ。下手に嘘をつけば泥沼にハマる気がする。正直に話そう。
男「いじめとかではありません。自分の意志です。あと、隣のクラスのみんなを驚かせたかった訳じゃありません」
担任「ん?」
男「女さんを、笑わせたくてやりました!」
担任「・・・女の気をひくためか?」
男「はい!大好きだからです!女さんが!」
隣の担任「あらあら、何だか照れちゃうわね」
体育教師「ぶっわはははは!面白い奴だなお前!」
校長「ははは。男君、もっと他にもアプローチはあるはずだよ?次は安全にね?」
男「はい!がんばります!」
俺は一礼して生徒指導室を後にした。
隣の担任「私、今回の件で男君よりも驚いた事があるんです」
担任「なんです?」
隣の担任「女さんです。今回あの子が中心になって男君を助けたの。大きな声を出して、みんなに呼びかけて」
体育教師「あー、たしかにあいつはそういう事しないな。積極性にかける奴だ」
隣の担任「何だか嬉しくて。」
校長「全ての生徒は私達の子供。子供の成長は嬉しいものです。同時に私達は全ての生徒の親です。これからも大切に見守って行きましょう。」
三人の教師「はい」
「あ、有名人だ!」「窓枠男きたー!!」「目的がわからねぇよ」「マジかっこいい!憧れるわ」「憧れねぇよ!」
男「ど、どもども」
一日にして、俺は全校生徒の注目を集める時の人となった。
男「あ、女さん」
女「・・・」
女さんは俺に気付くと鞄を掴み教室から出て行く。
男「あ、ちょっと女さん!」
女「・・・」
女さんは俺の事を無視して、下駄箱で靴を履き替えて、校舎を出て行ってしまった。
男「お、女さん。話を聞いて欲しい」
女さんは校舎を出ると、何故だか体育館の方に歩き出した。3日前から放課後に呼び出している場所に向かっている。そう確信した。
体育館裏
男「今日はまいったよ、驚かすつもりが三階から落ちそうになるなんて」
女さんはさっきから桜の木を見ているばかりで俺の方を見ようともしない。
男「本気で死ぬかと思った。あはは。」
女「・・・」
女さんは無言で俺の目の前まで近づくと、息を大きく吸い込んだ。
バシン
右の頬に鋭い痛みが走る。
男「・・・あ」
目の前にいる大好きな女の子は大きな瞳から綺麗な涙をボロボロと流していた。
女「私は貴方に笑わせてって言ったのに!心配させたり、泣かせたりして欲しいなんて頼んでないのに!!」
男「ご、ごめん」
女「お昼だって!一緒に食べたかったのに!!」
男「ごめん。女さん、ごめん」
女「笑いのセンスだってないし!!木から降りられなくなるし!」
男「・・・ごめん」
それから彼女はずっと泣き続けた。俺はずっと謝り続けた。何だか小さな子供をあやしてるみたいだった。
男「・・・帰ろう。」
女「・・・笑わしてよ」
男「えええ?こ、このテンションだとちょいキツイかなぁ。」
女「・・・だったら、明日は今日の分も笑わせなさいよ」
男「うん。明日こそはチャップリン顔負けの笑いを届けるよ」
女「・・・期待しないで待ってるわ」
女さんと別れて、何と無く右の頬に触れてみた。
男「はは。結構思い切りぶたれたな。」
今日は、女さんを笑わせるつもりが思い切り泣かせてしまった。今日の事件を面白がって笑う奴も沢山いた。だけど、泣いたのは女さんだけだ。
男「・・・女さんも笑ってくれてたら、良かったのかなぁ?」
分からない。でも、頬の痛みは何だか俺の心をあったかくしてくれる。そんな気がする。
男「・・・明日こそは、爆笑の渦に、女さんを巻き込んでやる、ぞ」
翌日
男「・・・なんだこれ。」
下駄箱を開けると、手紙が沢山入っている。まさか郵便ポストと間違えるわけも無いからたぶん、おそらく俺宛ての手紙。
友「おっ、おっ!不幸の手紙じゃね??」
その中の一枚を友が読み上げる。
友「何か必死な感じがかっこよかったです。はぁ?」
友はもう一枚手紙を広げる
友「胸がキュンキュンしました。ッザケンナよ!」
まだ俺の下駄箱を漁っている友を置いて俺は教室に向かった。
男「ちょ、ちょっと、教室入りたいんだけど」
「きゃー!きたー!」「かっこいいー!」「サイン下さい!」「ばかっぽーい!」
男「な、なんだこれ」
昼休み
結局、休み時間の度にミーハーな生徒が俺の教室まで押しかけて来てサインやら握手やらをさせられた。
男「はぁ、疲れた。今日こそは女さんと昼飯を食べるぞ」
隣の教室に着くと、女さんは席に座っていた。
男「女さん、昼飯を一緒に食べよ」
「きゃー!窓枠男よー!」「サイン欲しいー」「す・て・き」
男「つってもここじゃあれだし、いつもの所に行こう」
体育館裏
男「ふー、まいったよ。サインやら握手やら」
女「・・・へえ?よかったわね」
あれ?女さん、機嫌が悪い?いや、無表情なのはいつも通りなんだけどツンケンしてるような。まあ、ツンケンしてるのもいつも通りか。
男「下駄箱にはラブレターがはいってるしさぁ。これはモテ期到来ですかねぇ。アハハ」
女「・・・良かったじゃない。私なんかより可愛くて何でも笑ってくれる女の子と付き合えばいいじゃない」
男「え?」
女「ごちそうさま」
女さんはまだ半分も残っている弁当箱を片付けると、早々と体育館裏から出て行ってしまった。
男「・・・放課後こそ、女さんを爆笑の渦に」
放課後、俺は襲いかかるミーハー連中の手を逃れ、女さんの席に向かう。
男「あ、良かった。まだいた。今日こそは大爆笑間違いなしだぜ!」
女「・・・絶対笑わしてくれなきゃ許さないから」
男「え、お、おう!まきゃ、まきゃせろ!」
俺には多少プレッシャーがかかるくらいが丁度いいんだ。そういう状況でこそ真の力を発揮出来るはずだ。
女友「ふーん?君が男君かぁ」
女「と、友ちゃん。」
ん?妙に女さんが慌てている。慌てるのはいつも俺だから何だか新鮮だな。
男「なんだチミは?」
女友「なんだチミはってか!そうです私が変なおじさんです!」
何だこいつ。やべぇんじゃねえのか?
女友「あそれ、変なお~じさん、だか~ら変なお~じさん」
なぞの呪文を唱えながらその女は珍妙な踊りを踊り始めた。呆然とする俺とは別に女さんはキラキラした目で彼女を見ている。
女友「ダッフンダ!」
女「ズコッ」
変な女の掛け声と共に女さんがずっこけた。
女さんは結構派手にこけていた。恐らくこの変な女の掛け声に驚いて腰を抜かしたに違いない。
男「女さん!しっかりしてくれ!」
女「アハハハ。駄目お腹痛い。」
男「え??」
意外にも女さんはお腹を抱えながら笑っている。
女友「男君、君とは一度話をしたかったんだ。ついて来て。あ、女っち、ちょっと男君借りるね」
男「は?」
女友「いいから」
俺は変な女に腕を掴まれ教室を出た。
男「女さん、ちょっと待っててくれ!」
そのまま屋上まで連れてこられた。この変な女はたぶん、俺に大事な話をしようとしている。雰囲気で分かる。
屋上に着くと、変な女は無言でフェンスまで歩いて行く。仕方がないので俺もついて行く。
女友「女っち、あんまり笑わないでしょ?」
変な女はフェンスにもたれると呟いた。屋上から見る街の景色はオレンジに染まっている。
男「・・・まあ、でもお前は笑わせてたな。正直悔しいよ」
女友「昔はもっと笑う子だったんだ。毎日バカみたいに笑ってた。」
男「昔?」
女友「ほら、私、幼馴染だからさ、昔から知ってんだ。」
男「へー。羨ましいな。」
変な女は俺から顔をそらすと、しばらく黙り込んだ。
男「・・・」
女友「無視されて、靴を隠されたり、みんなから悪口を言われたり」
無意識に、俺は拳を握りしめていた。
女友「理由なんて、分からない。あの子の家がお金持ちだからとか、そんな下らない理由だと思う」
男「・・・」
女友「いつの間にか、私以外の子と話できなくなっちゃった。笑わなくなっちゃった。人を信じられなくなっちゃった」
変な女はその場に崩れ落ちた。泣かないように、必死に歯を食いしばっている。
女友「・・・だけど、ね。最近楽しそうなんだ。昔ほどじゃないけど、笑ってくれるようにもなったんだ」
男「・・・」
女友「それは、君のおかげ。君が女ちゃんのために、必死になってくれてるおかげ。」
男「・・・」
女友「ありがとう。本当にありがとう。女ちゃんを救ってくれて」
男「・・・別に、救ってあげてる気はないよ。俺はただ今の女さんが好きなだけだ。好きな子に振り向いて欲しいだけだ」
女友「・・・」
男「ありがとうな。話してくれて」
女友「うん」
男「それから、ずっと女さんのそばに居てくれてありがとう。女さんの友達で居続けてくれて本当にありがとう。」
女友「・・・泣かすなよ。早く女ちゃんの所にいけよぉ」
今すぐ女さんを笑わしたい!!
男「・・・そうだ!」
もう一度、あの人を呼ぼう!あの人がいればまた笑ってくれる。女さんの教室に向かう前に、俺は用務員室に向かった。
教室には女さんが席に座っていた。他の生徒は誰もいなかった。
男「女さん」
女「・・・遅いのよ。待ちくたびれたわ」
女さんの机の前に行き、大きく息を吸い込んだ。
男「あいーん!」
女「・・・」
男「ゲッツ!」
女「・・・」
男「だっちゅーの!」
女「・・・」
こんな芸人のギャグじゃ笑わないのは分かってる。でも、今日は何としても笑わしたい。100回滑ってもいい。一回でも笑ってくれたら最高だ。
女「今日はここでやるの?」
男「ああ!ここが今日の舞台だ。絶対に笑わしてやる!」
女「・・・ふーん。」
指パッチンの合図で教室のドアが開き、用務員のおじさんが入ってきた。
用務員「・・・で、どの蛍光灯かえんの?」
女「・・・男君、その人は?」
男「え?忘れちゃった?こいつは用務員のおじさんだよ。ほら、アジアのパピヨンズ!」
用務員のおじさんに向かってウインクをする。また組めて嬉しいよ。
女「・・・前と違くない?」
男「え?そんなわけ!」
勝手に蛍光灯を変え始めている用務員のおじさんの顔を良くみると、確かに前の用務員のおじさんとは別人だった。
用務員「・・・」
黙々と蛍光灯を変える用務員のおじさんを二人で眺めて居た。
用務員「・・・出来たかな?」
男「あ、どーも。」
用務員「じゃ、戻るから」
スタスタと教室を出て行く用務員のおじさんをぼんやりと見送る。
女「蛍光灯、変える必要あったのかしら?」
男「・・・く、くくく」
女さんの一言で、俺は笑ってしまった。
男「だ、誰だよ今の人!アハハハ!」
女「指パッチン合図に入ってくるって変でしょ。アハハハ、お、お腹痛い」
男「出てきたかな?って何で疑問系なんだよ。くくくく、アハハ」
女「涙出てきた。あーくるし~。アハハ!」
俺達は誰も居ない教室で、笑い続けていた。女さんと二人で同じ事で笑い合える。こんなに嬉しくて幸せな奇跡は他にないってそう思う。
男「俺もだ。今、最高に楽しい気分だよ。」
女「・・・男君の笑う顔、初めて見たかも。」
男「え?そうだっけ?」
そういえば、俺は女さんを笑わせる事に必死で、自分が笑う事なんて全く考えていなかった。
男「・・・笑うって不思議だな」
女「どうしたのよ、急に」
男「同じ事でも、笑う人がいたり、逆に泣く人がいたり。」
女「・・・むう。」
男「それにさ、笑い過ぎても涙がでるだろ?泣く事と笑う事って反対のようで、案外近いのかもなって」
女「・・・でも、悲しい時は笑わないよ。悲しい時は、泣くだけだよ」
男「そうだね。でも、悲しさを癒やす事が出来るのは、きっと笑う事だよ。」
女「・・・だったら、私をもっと笑わしてよ。」
男「ほう、我がギャグ100連発を見たいというのだね?」
女「それは嫌だ」
男「ひ、ひでぇ」
オレンジ色の夕日は俺と女さんを優しく包みこむ。このまま時間が止まればいいのに、そう思っても、時計の針は一秒毎を律儀に刻む。
女友「・・・入り辛い。」
男「なにしてんだ?」
女友「いや、教室に謎の結界が張られていて入れなかったのよ。おほほ」
本当に変な女だな。
女「友ちゃんも一緒に帰ろう。」
女友「うん。女っち、顔が赤いぞ?」
女「え?夕日のせいだよ!」
男「とかいって、俺といるから照れてるだけだったりしてー」
女友「ちょ!おま!」
女「・・・友ちゃん、そこの馬鹿はほっといて帰ろ!」
男「へ?な、そりゃないよ!」
女友「男君。君は笑いの勉強よりも先に知るべき物があるようだね」
男「ちょ、ちょっと先に行くなって!」
女子二人は俺を置いて帰って行った。女ごころと秋の空。気付けば外もすっかり暗くなっていた。
男「・・・」
本はあまり読まない。最近読んだのは妹に借りたセカチューと言う本で10ページから進まない。
男「えーと、お笑い入門お笑い入門、あ、これだ」
本棚からお笑い入門という本をとりだす。
男「・・・なんか違うな」
友「何が違うんだ?」
男「お、おお!びっくりした。」
友「お前が本屋とはな。女子更衣室で遭遇した時なみに驚いたぞ」
男「女子更衣室なんて入った事ねえよ!ったく、本屋くらい来るよ。たまには」
友「ふーん?お笑い入門ねぇ?・・・所でよ、お前の下駄箱にラブレター沢山入ってただろ?」
今日も何通か入っていた。正直どれもラブレターという様な甘い内容ではなく、完全に嫌がらせに近いものだった。
友「くくくく。でもな、実際お前にホの字の女の子がいるんだぜ?」
男「俺は女さん一筋なの!」
友「ほら、同じクラスの笑子ちゃん。可愛いし、良く笑うし、最高だろ?」
男「・・・それが?」
友「何を隠そう、お前の事が好きらしいぜ?これマジな」
男「誰から聞いたんだよ。」
友「ラブレターに笑子ちゃんの名前があって、本人に聞いたから間違いない。」
男「お前様子が変だな。何を企んでる?」
友「い、いや。何も、企んでなんかねーし?」
怪しいな。こいつは口が回るが嘘を付けない男だ。さっきから俺と目をあわせないし、妙にそわそわしている。
男「ひょっとして、お前笑子の事が好きなのか?」
友「な、なななな!そんなわけないだろ?」
男「何だ、図星か」
男「アメリカンホットで。」
友「・・・あ、俺ウインナー珈琲。」
俺と友は静かに流れるジャズに耳を傾け、飲み物が来るのを待つ。
ウェイトレス「お待たせしました」
男「ズズズ」
友「ズズズ」
男「で?どういうわけなんだ?」
友「俺、俺は笑子ちゃんの事が好きなんだ!」がたん
静かな店内に友の大声が響いた。初老の男性がこちらに向かって軽く咳ばらいをする。
男「お、おい!分かったから!座れって!どうして、俺と笑子をくっつけようとするんだよ」
友「仕方ねーじゃねえか。いつも横目で彼女を追ってたんだ。でもよ、何て話しかければいいのか、わからねーんだよ。」
友は静かに珈琲をすする。この店は時間の流れがゆったりしている。
友「たまたまラブレターに彼女の名前を見つけちまったんだ。雷に撃たれたみたいな衝撃さ。」
男「・・・」
友「初めて彼女に話しかけたよ。俺は男の親友だっていったら、凄え喜んでさ。情けねーけど、嬉しくて」
男「・・・」
友「ははは、笑っちまうだろ?まるでピエロだ」
男「・・・もういい。わかった」
友「・・・ごめんな」
男「謝るなよ。俺達は親友だろ?」
友「男!」ガタン
男「友!」ガタン
初老「うぉっほん!ゴホゴホ」
男「あ、すみません。俺が二人のキューピットになってやる」
友「え、ええ!本当か!ありがとう。ありがとう!」
男「・・・猫だからなぁ。よし、女さんには塀の上で小さいおっさんがあくびしながら屁をこいていたと言ってみるか」
人を笑わせるのには、多少の誇張は必要だ。お笑い入門書にも書いてあった。
昨日は、女さんを見事に爆笑の渦に巻き込む事が出来た。とはいっても、俺の実力というよりは、用務員のおじさんのおかげと言える。
男「・・・うーん。でも何かいい雰囲気だったしなぁ。もう条件クリアだろ多分」
友「おーす。何をブツブツ言ってんだ。」
男「よう。」
友「・・・キューピットの件頼んだぜ?」
男「・・・。あ、ああ。」
友「お前、忘れてたろ。どんな風にキューピットしてくれんだ?」
男「・・・とりあえず弓矢でも買うかな」
友「・・・形から入るなよ」
友「・・・そういえば昨日から気になってたんだけど、笑子ちゃんの事なんで呼び捨てなんだ?」
男「え?幼馴染だからだろ?」
友「な!初耳だぞそれ!何故に隠していた!」
男「隠すって、別に聞かれた事ないだろ」
笑子は家が近所で小学生の頃からの知り合いだ。ラブレターとかは、いかにもあいつがやりそうなジョークだった。
友「なんかそうなると話がややこしくなりそうなんだけど?大丈夫か?」
男「なぜ?簡単だろ。俺がお前の気持ちをそれとなくあいつに伝えてやるって!」
友「うぉぉ!慎重にね?お願いだから慎重にね?」
男「おう!慎重にいく。ステーキの焼き方でいえばヴェリー・ウェルダンだな!」
友「ちょ!それ焼き過ぎ~!しかも意味わかんねぇ~」
教室に入ると笑子の席に忍び足で近寄る。
友「・・・もうこの段階で不安てどゆこと」
男「よ、よう。笑子。」
実はこの数日俺は意図的に笑子を避けていた。理由はすぐにわかる。
笑子「あ!男、おはよう」
男「・・・おはヨーグルト」
笑子「あはは!」
男「・・・コマネチ!」
笑子「あはは!」
男「ほれ、裸踊り~」クネクネ
笑子「あはは!もう、男ったら朝から面白過ぎるよ~」
ダメだ!こいつといると、俺はダメになる!
女さんと話すようになって気付いたのだが、笑子は異様に笑いの沸点が低いのだ。こいつのレベルに長いこと合わせていたから俺は今苦労している。それに気付いたのだ。
笑子「知ってるよ。男の親友だってね!男にも親友が出来たんだね!何かうれし~」
男「・・・つーか、お前さ、ラブレターとか書くなって。意味分からんから」
笑子「えー?何で?面白くない?」
これだよ!予想通り過ぎて力が抜ける。女さんに鍛えられた今なら言える、笑子は笑いのセンスがない!
男「はあ、お前さ、友の事どう思う?」
友「!」
笑子「友君?話した事ないからわかんない」
友「ズッコーン!」
友「!?」
笑子「あはは!意味わかんないけどないよー」
男「そ、そうか、ありがとう参考になった。」
笑子「ん?うん。どういたしまして」
これは脈なしですね。廊下で聞き耳を立てている友に報告にいく。
男「うーん。どうでしょう。至って健康だと思いますよ」
友「お前は医者か!」
男「・・・まあ、あれだ、もっと話しかけろよ。そうすれば笑子を不整脈にできるかもしれないぞ?」
友「笑子ちゃんを不健康にするみたいな言い方すんなっての!・・・ありがとうな、俺頑張るよ彼女を振り向かせてみせるよ!」
男「お薬多めに出しときますね?」
友「何でだよ!」
笑子「・・・なーんか、失礼な事を考えてないかな?」
友「わわ、え、笑子ちゃん。」
笑子「あ、友君!おはヨーグルトー!」
友「お、おはヨーグルトー。」
男「でたなスライム!」
笑子「なによそれー!私が最近プヨプヨしてきたからー?」
友「プ、プヨプヨ・・・」
男「なんだ、まーた太ったのか。あはは。なーにがダイエットだ!わはははは!」
笑子「あー!酷いー!ねぇ、友君聞いたでしょ!もう許せない!」
ポカポカ
男「わははは!そんな攻撃でよくもまあ勇者に挑む気になるなぁ。俺のターン!」
笑子「!」
顔の横で両手を広げ、親指を鼻の穴に入れる。
男「小山ゆ~えんちぃ~」
桜金造の唯一のギャグ。小学生の頃はこれでご飯三杯いけた。
笑子「あはははは!ヒィヒイ!おっかしいー!」
友「え、笑子ちゃん」
男「ふっ。勝った」
女「・・・」
男「お、女さん!おはヨーグルトー。」
女「・・・おはよう」
やっぱこれだよな。ちょっとやそっとじゃ笑ってくれない所が俺の体質に合ってる。
男「女さん、女さん!ほら、小山ゆ~えんちぃ~」
女「・・・やめなさい。女性に鼻の穴を見せるものじゃないわ。」
こんなもので笑うとは流石に考えていなかったが、予想以上に反応が悪い。いい年したおっさんが母親の事をママって呼ぶ所を見かけた女子中学生の目付きに近い。
笑子「あ、え?女さんだよね?男と仲良いの?」
男「私と女さんの関係ですか?い
い質問ですねぇ。俺と女さんズバリ付きあって
女「仲良くもないし、付きあってなんかいないわ」
男「・・・え?」
男「は、はは。すまんすまん。確かにまだ、付きあってはいない。だが、最近仲良くなった友達だ」
女「友達なんかじゃない!」
女さんの声で、ざわついていたホームルーム前の廊下が静まりかえる。
男「・・・友達とすら認めてくれないのかい?」
女「・・・貴方には沢山友達がいるじゃない!私となんて仲良くする必要ないじゃない!」
どうしてだ?どうしてそう考える?どうして女さんはそんなにも卑屈なんだよ。
男「俺は女さんが好きなんだ。だから俺には君が必要だ。」
女「わ、私は嫌いよ!」
男「!」
そういうと、彼女は自分の教室に入って行った。廊下にいる同級生の視線を全身に感じる。でも、俺は指一本動かすことができなかった。
俺は女さん嫌われている。
そんな単純な事実だけで、俺の身体は止まってしまうんだ。
笑子「お、男?きょ、教室に入らない?そろそら先生くるかもよー?」
友「なんだよあいつ!最低だな!」
男「・・・くっ」
数学の授業も、国語の授業も頭に入らなかった。
友「なあ、あんまり落ち込むなよ。」
笑子「数学教師さぁ、今日何回『である』っていったとおもう?答えは42回!あはは!多過ぎー!あはは、は・・・は」
休み時間の度に、笑子と友が俺を励ましに来てくれる。
男「ん?何が?別に気にしてないぜ?」
こいつらには、気を使って欲しくない。
友「え?なーんだ!てっきり女さんに振られたから落ち込んでるかと思って気を使っちまったよ。」
男「バーカ!そんなわけねーじゃねーか!」
笑子「・・・」
これ以上、女さんに迷惑をかけたくない。だから、もう俺は
女さんに関わらない、そう決めた。
男「・・・ぼっち飯ナウ」
昔から人前で飯を食べる事が少し苦手で、高校に入ってからはこうして青空ぼっち飯を満喫していた。
男「・・・ふぅ。」
弁当を平らげると、その場に寝そべる。白い雲をぼーっと眺めているだけで心が穏やかになっていくのを感じる。
男「言うほど俺、友達いないんだよ」
キィィィ
誰かが屋上のドアを開ける音がした。
笑子「あ、やっぱりここにいる!」
男「・・・」
笑子「隣、いい?」
俺の返事も待たずに隣に寝そべる。
男「お嬢様、お召し物が汚れますよ?」
笑子「あらやだわ!セバスチャン、あとでクリーニングに出しておくように!いいわね?」
男「承知いたしました。後で執事に言いつけておきます」
笑子「あんたは何者よ!・・・あははは、なつかしー!」
男「子供の頃良くやったよな、お嬢様ごっこ。俺は一度もお嬢様をやらしてもらえなかった」
笑子「あはは、やりたかったんだぁ?・・・わー!空が近いんだね」
男「・・・」
笑子「好きだったんだね、女さんの事が」
男「・・・うん」
笑子「そっかぁ。そうなんだね」
それきり笑子は何も言わず、空を眺めていた。昔からこういう時そばにいるのは大抵イヌのタロか笑子だった。
女友「あ、男君ジャマイカ!」
男「ども」
女「あ・・・」
男「・・・じゃ」
女さんと目が合わせないように足早に通り過ぎる。
女「あ、あの!」
女さんの声が背中越しに聞こえた。でも、俺は聞こえていないふりをして、教室のドアを開けた。
女友「あ、え?どうしたの女っち?なんかあった?」
女「・・・」
教室に入り、席に着くと机に突っ伏した。なんだか疲れた、今日はもう帰りたい。
笑子「あんなにあからさまに避けなくてもいいのに、何か言いたそうだったよ?」
男「・・・多分近づかないでとか、ウザいとかだと思う。」
笑子「はぁー。そんなことをあんなに真剣な顔で言わないよ。まったく、男はほーんと女々しいところあるよねー」
男「・・・笑子、背中に毛虫ついてる」
笑子「え?やだ!ちょっと取って!ねぇ、早く」
男「やーだ」
自分を嫌う人なんて、嫌いになればいいはずだ。そうすれば少しは心が落ち着く。でも、俺はどうしても、どうしたって、女さんの事を嫌いになんてなれない。
笑子「ちょっと!早く取って、ねぇ!お願い!」
男「わはははは!踊れ踊れぃ!」
今日みたいに避け続けていれば、そのうち忘れられるはずだ。女さんの事を。女さんを大好きだった自分自身の気持ちを。
それが俺が出した答えだった。
友「なあ、男。」
男「ん?」
友「頼みがある。」
いつもヘラヘラしている友の真面目を顔は久しぶりに見た気がする。きっと重要な話に違いない
男「あーそれ無理だわ。すまん。」
友「まだ話てねぇから!」
男「何だよ。言うても大体無理だぜ?」
友「いいから!あ、あのさ、今日カラオケいかね?」
カラオケ、ねぇ?声を出せば少しは気分が良くなるかもしれない。
男「いいよ。行こうぜ」
友「そ、それでさ!笑子ちゃんも誘ってくれないかな?頼む!」
男「笑子?あー、いいっすよ。」
友「マジで!ありがとう!じゃ、あとで校門で待ち合わせな!」
男「あいよ」
男「笑子、これからカラオケ行かないか?」
笑子「え?カラオケ!いくいく!」
笑子は高速で鞄に荷物を詰め込みながら友達に手を振りつつ席を立つ。
男「何つー雑な女なんだお前は。」
笑子「え?だってカラオケだよ?カラオケ!」
男「ながら行動は慎しみなさい。育ちの悪さがばれましてよ?」
校門では友が屈伸運動をしていた。軽く汗をかいている所を見ると、長い時間やっているようだ。何とも声を掛け辛い。
笑子「と、友君?」
友「や、やあ!笑子ちゃん。」
笑子に声をかけられた友は棒立ちになると固まってしまった。全くてんで情けない男だな。
男「いくぞ、カラオケ」
友「お、おう!」
笑子「なによ、友君もくるの?」
笑子が耳打ちしてきた。
男「言わなかった?」
笑子「聞いてないー!先に言ってよね!」
男「いいだろ別に。多い方が楽しいじゃねーか」
笑子「心構えってのがあるでしょ!」
男「なーに緊張してんだよ。大丈夫大丈夫。お前歌上手いしな」
笑子「そういう問題じゃないの!」
友「お、おい!どうすりゃいい?」
男「何が?」
友「笑子ちゃんと話たいんだけど、どんな話したらいいかわかんない!」
男「何でもいいんじゃないか?」
友「趣味とか、好きな食べ物とか教えてくれよ」
男「知らない」
友「なんだよケチ!」
男「はあー。伝言ゲームじゃないんだから!二人とも俺に耳打ちして話すの禁止!」
それからカラオケ店に着くまで3人とも無言で歩いた。
女友「あんなに女っちにベッタリだった男君のあの態度はおかしいよ。何かあったんでしょ?」
女「・・・私が悪いのよ」
女友「またそんな!男君が悪いんだね?分かった、ぶん殴ってくる」
袖をめくり、目を血走らせる女友は今にも黒板を蹴破って隣の教室に乗り込みそうな勢いである。
女「まって。話を聞いて。男君は悪くないの。悪いのは私」
女友「え?」
女「嫌いって言ったの。男君に」
女友「はぁ?なんで?嫌いなの?」
女「嫌いな訳ない!・・・そんな訳ない!」
女友「じゃあ何でそんな事を」
女「・・・わかんない!自分でもよくわからないの!」
今にも泣き出しそうな女の顔を見て、女友は肩を竦める。このワガママで可愛い友達がどうしようもなく愛おしい。
女友「はぁ、全く。・・・私はいつだって女っちの味方だよ。例えあんたが悪者でもね」
女「・・・ありがと」
女友「とりあえず、今日はカラオケに行こう!」
男「うぉぉお!どれだけガンバリャイイィ~だ~れかのぉぅつぁめなの~うぉぉぉ!」
笑子と友は男のハイパーハイテンションモードに呆気に取られつつ、冷静にソファに腰掛ける。友は自然に笑子の隣に座った。
友「おぉ、初っ端B’zかよ!飛ばすネェェ!!」
笑子「あははは!私達も負けてられないね!」
男「そしてぇつぁつぁくあう!ウルトゥラソゥ!ヘイ!うぉぉぉ!」
友「は、はは。ちょっとウゼぇ」
笑子「あはははは!ねぇ、友君は何歌う?」
友「そうだなぁー。ミスチルとかかな?」
男の異常すぎるテンション、カラオケルームという密室、さらに隣同士という環境が笑子と友の間にあった微妙な距離間を取り除いた様である。
男「・・・ウルトゥラソゥ!・・・ウルトゥラソゥ!・・・ウルトゥラソゥ!」
「うぉぉお!どれだけガンバリャイイィ~だ~れかのぉぅつぁめなの~うぉぉぉ!」
女友「お隣五月蝿いなぁ、よし、私らも楽しも!」
女「うん!」
女友「さてと、まずはアユかな・・・と」
「そしてぇつぁつぁくあう!ウルトゥラソゥ!」
女友「お隣うるさ!」
女「ハァァァイ!」
女友「女っち!?」
女「あ、ゴメン。私、B’z好きなの。」
女友「あ、うん。それはいいよ。私も好きだし。でも、隣の歌にノルのはよそ?」
女「・・・うん。分かった」
女友「よし、よし。分かればいいのよ。さてと、リモコンを操作してと、ピポパポ・・・と」
「ウルトゥラソゥ!」
女「ハァァァイ!」
女友「女っち⁉︎」
笑子「私この曲大好き~!」
ミスチルのTNKか、まさに名曲。崖の上で叫んでいるPVは火曜サスペンス劇場に多大な影響を与えた事でも有名だ。
笑子「私は、さくらんぼにしよ!」
男「俺はもちろんROCK縛りだ!あー、なんか喉渇いたな。ちょっとドリンクBARいってくるけど、なんこ飲む?」
笑子「あ、私はコーラね!友君は?」
友「勝利も敗北もないま・・・え?じゃあメロンソーダ。人は悲しいくらい~」
男「分かった!」
男「えーと、笑子がコーラに友がメロンソーダ」
ドリンクバーにグラスをセットすると、隣の人も置いたグラスの横にグラスをセットした。
男「あ、すみません。すぐ終わりますんで」
女「あ、・・・男君」
男「え?」
聞き慣れた声につい降り向いてしまった。目を丸くしている女さんが居た。
男「あ、俺。・・・ごめんなさい」
ドリンクバーに置いたグラスをそのままに、俺は逃げ出した。
女「あ、まって!お願い!行かないで!」
女さんの声が聞こえる。行かないでって言っている。俺はいつだって女さんの言葉に左右されるんだ。だから、俺は何処にもいかない。その場で立ち止まった。
自分でも分かるくらい、言葉にトゲがある。自分が傷付きたくないから、俺は彼女を傷付けようとしている。
女「グラス、忘れてる」
男「・・・」
振り返り、無言でドリンクバーまで行き、グラスにジュースを注ぎおもむろに掴む。
男「・・・」
視線を床に落とし、足早に女さんの横を通り過ぎる。
女「ごめんなさい」
後ろから袖口を女さんに掴まれた。
男「・・・」
女「嫌いとか、友達じゃないなんて言って、貴方を傷付けた。本当にごめんなさい」
男「・・・うん」
俺の袖口を掴む力が少し強くなった。
女「男君が誰かと仲良く話したりしているのを見ていると、胸の奥が締め付けられて。苦しくて、切なくて」
男「・・・」
女「自分をコントロール出来なくて。それで、思ってもない事を口にして」
男「・・・うん」
女「こんな私が嫌いなの。大嫌い」
振り返ると女さんは泣いていた。これで何回目だ?女さんの涙を見るのは。
男「・・・俺の好きな子に嫌いなんて言わないでくれよ」
女「・・・うぅ。」
男「一緒に歌おう。」
女「う、うぐ。」
友「おう、遅かったなって!え?女ちゃん?」
男「ドリンクバーで会ったんだ。」
友「そっか。歓迎するよ。男の友達は俺の友達だ。よろしく」
笑子と友のグラスをテーブルに置いてから俺の分忘れてる事に気がついた。
笑子「女さん。こうしてお話するのは初めてだよね?私は笑子です。ヨロシクね」
女「あ、あの、わたしは」
女さんは俺の服の裾を掴み、必死に言葉を紡ごうとしている。
男「ここに悪い奴はいないぜ。悪の巣窟だ」
友「そうそう、今も世界征服について相談していた所でって、違うわ!」
笑子「あははは!友君は本当に面白くないねぇ」
友「うるせぇ!泣くぞ!」
女「ぷっ!あはは!」
女さんは服の裾を離し、テレビの前に立ちマイクを手に取った。
女「私は女です!男君の友達です!そして、友君と、笑子ちゃんと、お友達になりたい!」
それだけ言うと、深々と頭を下げた。彼女の体は少し震えている。
友「女ちゃん。さっきも言ったけど男の友達は俺の友達だ。よろしく。それと、友達には頭を下げるものじゃないぜ?」
笑子「私の隣に座ろうよ。一緒に歌お!」
女「うん!」
笑子「ぷは~!ひさっしぶりに歌ったよ!」
友「あー、あー。ヤベェ声枯れてる」
笑子「あはは!大丈夫だよ、元から汚い声なんだし!」
友「あ、そっかぁ!汚い声で得したなぁーって、それ酷くない!」
笑子「あははは!」
笑子と友はいつのまにやら、仲良くなっていて二人ではしゃぎながら歩いている。ふと空を見上げると丸い月がポッカリ浮かんでいた。
男「子供の頃って月が怖かったんだ」
女「どうして?」
男「俺を監視しているみたいでさ。で、逃げても逃げても何処までもついて来るんだ。物陰に隠れても無駄さ。月は俺を見失わずにずっとそこにいるんだ。」
女「今は?まだ怖い?」
男「いや、流石にもう怖くないよ。」
月には雲が少しかかり、雲間から月明かりが漏れている。
男「今夜の月は綺麗だ」
女「・・・本当に」
女友「い~まからそいつを、これから~そいつをなんぐりに~いこうかぁ~」
女友は一人で2時間休みなく歌い続けていた。浜崎あゆみに飽きると中島みゆき、中島美嘉、都はるみ、いきものがかり、山本リンダ、チャゲアスと飽きが来ないように工夫していた。
プルルル
女友「はい。・・・え?もう時間ですか?え?延長?はい、します」
女友「は!そういえば女っち遅い!・・・ま、いいかぁ、よーし今日はオールだ!」
こうして女友は一人、オールナイトで熱唱し続けるのであった。
終
女「・・・」
私の家は真っ暗でどの窓からも明かりは見えない。カレーの匂いもしなければ、笑い声も聞こえてこない。
女「ただいま」
玄関で靴を脱ぎ、リビングルームに続く廊下の電気を点ける。
スーパーで買った食料を冷蔵庫に詰め込むとどっと疲れが押し寄せてきて、ソファに横になり目を瞑った。今日は料理をする気になれなかった。
女「楽しすぎると、一人になった時に寂しすぎるじゃない」
友情も愛情もよく分からない。薄いガラス細工で出来た繊細な芸術品みたいで、眺めるだけなら問題ないのに触れば壊れてしまいそう。
女「私は上手く出来てるの?教えてよ。ママ」
ガラス細工が壊れるのが怖い。そして、それ以上に破片で自分が傷付く事が怖かった。
結局、そのままソファで朝まで寝てしまった。軽くシャワーを浴び眠気を飛ばすと郵便箱に新聞紙を取りにいく。
女「お腹空いたな」
焼いたベーコン3枚と目玉焼きを二つ、それにトースト2枚とオレンジ一つが朝食。
女「行ってきます」
学校に着くと、下駄箱近くで友ちゃんを見つけた。
女「友ちゃん。おはよう」
女友「あー!女っち!」
女「あれ?目が充血してる。」
女友「オールナイトで歌ってたからね!女っち私を置いて勝手に帰ったでしょ!」
女「・・・あ!ごめん。友ちゃん。」
女友「もう!おかげでアユの歌を全曲歌って更にアコースティックバージョンまで歌ってしまったよ。」
女「あはは。アコースティックバージョンて昔騙された事ある」
女友「私も初めて買ったCDのお目当ての曲がアコースティックバージョンだった時はガッカリしたよ」
女「とくにロックは残念よね」
女友「うん、もうロックしてないじゃんてね!ふぅ、女っちはみんなとも私くらいの距離感で接すればいいんだよ」
女「・・・うん。わかってる」
女友「男君と出会って、女っちは変わったよ。良く笑う様になった。」
男君。私に好きって言ってくれた人。真っ直ぐで優しくて強い人。
女「・・・うん。」
でも、何かが変わる気がして変われるきっかけが欲しくて体育館裏に向かった。
男「好きです。つきあってください」
そこで、私は生まれて初めて告白された。正直嬉しかった。初めて世の中に存在を認められた気がした。
でも、同時に中学時代の陰湿なクラスメイト達の顔を思い出してしまった。
この人も、あの人達と同じかもしれない。
女「・・・条件がある」
とっさに出た言葉。
女「私を笑わすことよ」
泣くことの反対、それはきっと笑う事。中学時代に出来なかった事。この人といて、私が自然に笑える事が出来ればきっと私はこの人を好きになれる。その時、私はきっと本当の意味で変わる事ができる。
これは、私への課題。
この条件は私が私自身に与えた課題。
数学教師「さて、この問題を・・・そうですねぇ。生徒あさん。答えて下さい」
生徒あ「・・・、前方後円墳、ですかね」
数学教師「違います。えー、では後ろの席の委員長さん。答えて下さい」
委員長「36です」
数学教師「正解。えー、このように・・・」
とはいえ、そんなに面白いネタなんてそうそう転がってるはずもない。いやまてよ?ネタ(寝た)だけに転がってるかも。
男「ふ、ふふ。これ使えるかも」
数学教師「では、この問題を男君。答えて下さい。」
しまった。完全に聞いていなかった。黒板には訳の分からない数式が書かれている。ここは適当に
男「・・・前方後円墳ですかな」
数学教師「違う」
友「お前さぁ、ヤバいぜ?ちょーヤバイぜ?」
数学が終わると友が俺の席にすっ飛んできた。普段の間抜けたアホヅラからは考えられないほどに深刻な顔をしている。
男「なんだよ?陸に上げられたばかりのチョウチンアンコウみたいな顔して」
友「パクパクって!!どんな顔だよ!」
笑子「あはは!キモーい」
友「ちょ!笑ちゃんそれ酷いわ!陸に上げられたばかりの不安な深海魚に対してそれは酷いわ」
男「分かったから深海に戻れ。お前には太陽の光も届かないほどに暗くスチール缶がペシャンコになるほどの水圧がかかる深海がお似合いなのだ」
友「ちょ!最近の俺の扱い酷すぐる」
すると、友は再び深刻な顔をした。何だ?嫌な予感がする。
友「いやな、お前は女さんを笑わしたいんだろ?」
男「ん?まあな」
何だ?唐突に。
友「いいか?よく聞け。一度しか言わない」
男「なんだよ、稲川淳二ばりに脂汗かきやがって。」
友「エジソン、ニュートン、アシモフにアインシュタイン。彼らは偉大な科学者だ。」
男「はぁ?そうだろうな、特にエジソンが偉い人なのは常識だと聞いた事がある。」
友「エッジソンは偉いひ~とぉ!ってやかましいわ」
笑子「あははは!」
何なんだこいつは?少し様子がおかしいぞ?
少し考える。エジソン、アシモフ、アインシュタインにニュートン。彼らに共通するもの、それは
男「ひ、左利きとか?」
友「え?そうなの?それは知らないけど。答えはな、ズバリ、ユーモアセンスがある!って事だ」
友の声にざわついていたクラスが一瞬静まる。
男「本当かよ!」
友「ああ、間違いない!じゃないとリンゴみて重力とか発見出来ない。」
ゴクリ。
男「つまり、何がいいたい?」
友「お前は数学が出来ない。ということは理系ではない。つまり」
そういうと、俺の鼻先に人差し指を突き立てる
友「お前にはユーモアセンスがない!」
笑子「うーん?なんだか論理が飛躍し過ぎな気がするけど」
男「なるほど!分かったぞ!俺の進むべき道がなぁ!」
正直、いまの膠着状態では女さんの大腸がネジ切れる程に笑わせる事は難しいと考えていた。
男「俺に数学教師の弟子になれと、そう言いいたんだな?」
友「そうだ!たぶん!」
差し出した右手を友が握り返した。
男「ありがとう!早速弟子になってくるよ!」
俺は席を立ち、呆然としている生徒を押しのけ職員室に向かった。
友「馬鹿にしに来たつもりだったんだが」
笑子「男は全てを真に受けるからねぇ。」
職員室に入ると、すぐに数学教師の元に走った。数学教師は優雅にコーヒーをすすっている。
男「先生!お願いがあります!」
数学教師「ん?君は2組の男君だね。どうかしましたか?」
数学教師は椅子を回転させ俺に向き合った。温和そうな笑みを浮かべ右手でずれた眼鏡を直した。
男「はい。あの、実は悩みがあって、先生ならきっと解決してくれると考えて来ました」
数学教師「悩み、ですか。なるほど、どうしましょうか。ここは沢山の人がいるので何処か空いている部屋にでも行きますか?」
この人は人の話をキチンと聞いてくれる人だ。きっとどんな悩みでも親身になって聞いてくれる。何も心配する必要はない、そう思わせてくれる先生だ。
男「いえ!ここで大丈夫です。」
数学教師「そうですか。どんな悩みですか?」
男「俺、昔から人を笑わせる事が好きで、得意だったんです」
数学教師「・・・ふむ。」
男「いつだってくだらない事をして、周囲の人間を爆笑の渦に」
数学教師「男君、話の途中で悪いのですが、その話は悩みと関係あるのですか?」
男「あります!」
数学教師「・・・そうですか。申し訳ありません。続けて下さい」
男「はい。基本的に、俺は体で笑いを取るタイプでした。腹を出したり、尻をだしたり、変顔したり。そういう体を張った一発芸的な笑いが俺の専門分野でした。」
数学教師「・・・なるほど。続けて」
数学教師「・・・ふむ」
男「その人のおかけで俺は随分落ち込みました。今までの芸歴はなんだったのか?って自問自答の日々ですよ。はは、笑ってやって下さい」
数学教師「・・・ふむ」
男「最近じゃあ、毎日その人をどうやって笑わせるか?それだけの為に生きてるようなものです。生きてるのか、生かされているのか。それすらも最近じゃあ分からない。」
数学教師「・・・ふむ」
男「ええ。もう、どうすれば彼女を笑わせる事が出来るのか、良く分からなくなってきたんです」
数学教師は空いている椅子を持ってくると、俺に座るように促した。さらに、紙コップに粉末のコーヒー豆を入れポットからお湯を注ぎ、俺に渡してくれた。
男「あ、ありがとうございます。」
数学教師「ブラックは嫌いですか?笑いにも多少のブラックは必要ですよ。」
そのまま熱いコーヒーをすする。ブラックコーヒーは熱くないととてもじゃないが飲めない。
数学教師「人を笑わせるのは、とても難しい。職業として成り立つくらいですからね。」
男「はい」
数学教師「笑いのツボって言葉があります。人にはそれぞれ面白いと感じる現象がある。それは、君が得意な体を張った一発芸を笑う人と笑わない人がいる事でも分かる事です」
男「分かります」
数学教師「貴方は、今まで一度もその彼女を笑わす事が出来ませんでしたか?」
女さんの笑った顔を思い出す。俺は彼女を、何度か笑わしている。でもどれも、俺が笑わしたというよりは、偶然起こった出来事に笑ったようなものだ。
男「あります。でも、実力ではありません」
数学教師「実力か、そうでないかは今は関係ありません。彼女はどんな事で笑ったか?それが分かれば彼女の笑いの’ツボ’が分かる。違いますか?」
笑いのツボ?
思い出せ、彼女は何に笑っていた?
何が好きで、何に興味がある?
数学教師「沢山の人を笑わすのは難しい。でも、特定の個人ならそう難しいくもない。貴方は彼女の事をまだあまり知らないだけなのではないでしょうか?」
その言葉が胸に突き刺さる。その通りだ。俺は彼女の事を何も知らない。
好きな食べ物、好きな映画、好きな音楽、好きな家電。何も知らないじゃないか。
数学教師「いいですか?彼女を笑わすには彼女をもっと知る事です。穴だらけの数式では答えがでませんからね。」
男「分かりました」
数学教師「ふふふ。いい顔になりました。ぜひとも美しい数式を用いて素晴らしい解答を導き出して下さい」
男「ありがとうございます。あの、」
数学教師「なんですか?」
男「弟子にして下さい」
思わず口にしてしまった。
数学教師「残念ですが、弟子は取りません。」
やんわりと断られ、俺は職員室を後にした
数学教師の言葉を頭の中で何度も反芻していた。
「彼女を笑わすには彼女をもっと知る事です」
今までの女さんとの会話を思い返しても、笑わすこと前提の会話ばかりで彼女の話をろくに聞いていなかった。一方通行でひとりよがりな会話ばかりだった。会話とも言えないものだったのかも知れない。
笑子「どうしたの?真剣な顔して。ご飯食べないの?」
男「笑子、知るってどういうことだと思う?」
笑子「え?知る?唐突だなぁ。うーん」
笑子は腕を組んで首を傾けた。こいつが何かを考える時の癖だ。小学生の頃からか進歩がない。
笑子「例えばさ、徳川埋蔵金が何処にあるかってまだ誰も知らないよね」
男「埋蔵金?知らないなあ」
笑子「ある日男の押入れの奥から徳川埋蔵金の地図が出てくるの。そしたら男は徳川埋蔵金を発掘できるよね」
男「なんの話だよ」
笑子「でもさ、男が徳川埋蔵金の在処を知ってる事が周囲にばれたらどうなると思う?多分狙われるよ、下手したら殺される」
突然物騒になったな。こいつは何を言いたいんだ?
笑子「知る事で宝物が手に入るかも知れないけど、その分リスクも伴うの。」
男「・・・そんなに大変な事なのかよ」
笑子「知らなければ良かったって良く聞くでしょ?そういう事も多いんじゃないかな?」
女さんは実は男性だったとか、キューティーハニーだったとか。もしくはマフィアに雇われて俺を殺しにきた殺し屋なのかもしれない。
笑子「な~んてね、あははは。って、男?どうしたの?深刻な顔して。」
男「いや、いいんだ。女さんが男性でも、正義の味方でも殺し屋だって構わない。」
笑子「え?」
男「俺は女さんの腹筋を崩壊させる!その為なら・・・俺は死ねる」
新たなる決意を胸に、俺は弁当箱を掴み教室を後にした。
友「ん?笑ちゃん、男の奴どうかした?妙に悲壮感漂ってるっていうか」
笑子「あ、はは。し~らない。あーお腹減った~」
もし、本当の女さんを知ってしまった時、俺はそれでも笑わせる事が出来るのか?そして、俺は女さんを好きでいられるのか?
誰にでも人には見せない裏の顔がある。アニメおたくだったり、鉄っちゃんだったり、露出狂だったり、シャブ中だったり、ジャックザリッパーだったり。
本当に人を好きになるなら、本当に女さんを好きになる覚悟あるのなら、受け入れなければいけない。
知ってしまったら、もう知らない頃には戻れない。後には引き返せないんだ。政治家じゃないんだ、知りませんでしたは通用しない。
男「・・・だったらどうした!」
手に再び力を入れ、思い切りドアをスライドさせる。
バーン!
大気をつんざく程の爆音に騒がしかった生徒達は一斉に黙り込み、目を丸くすると俺に注目した。女さんは窓側の席に一人で座っていた。
男「女さん!俺は、女さんの全てが知りたい!隅から隅まで余すところなくだあぁぁぁぁあ!」
担任「・・・」
体育教師「・・・」
隣の担任「・・・」
校長「・・・」
男「・・・」
生徒指導室に呼ばれたのは2回目だ。俺の魂の叫びを聞きつけた体育教師に取り押さえられ、そのまま連行された。
担任「・・・女の気を引くにしても、やり方ってものがあるだろ」
隣の担任「照れちゃうというか、引いちゃうわね」
体育教師「流石に今回は笑えん」
校長「確かに他のアプローチをしなさいと言いましたがこれほどとは・・・」
空気が重い。
男「すみませんでした。反省します」
校長「・・・うむ。この話は全校生徒に説明するよ。とても大切なことだからね。いいね?」
男「え?これも大切な話ですか?」
担任「・・・当然だ」
それから俺は道徳の話をクドクドとされ、2時間後に釈放された。
隣の担任「私、今回の件で男君よりも驚いた事があるんです」
担任「なんです?」
隣の担任「ドアです。あんなに大きな音がするなんて」
体育教師「あー、たしかに凄い音がしましたねぇ。でもおかげですぐに駆けつけることが出来た」
隣の担任「何だかおかしくて。」
校長「全ての生徒はよその子供。私達は学校という施設の職員に過ぎません。これからは一歩引いた視線で見守って行きましょ」
三人の教師「はい」
「キターーー!ヘン夕イ窓枠男!」「映画化キボンヌ」「生徒指導室に何度も行くなんておまいはDQNでつか」「安価行動乙」
何とでも言うがいいさ。そんな薄っぺらな言葉では俺の心は動じない。まとわりつくクラスメイトを押し退け席についた。人気者の辛いところだ。
生徒あ「同じクラスメイトとして恥ずかしいよ」
男「なんだとこの野郎!」
生徒あの心ない言葉に頭に血が上り、思わず大声を上げてしまった。
笑子「ま、まあまあ。男、おちつこ?席にすわろ?」
男「あ、ああ、すまん。つい。」
友「お前らもあんま、からかうなよ?こいつは今ナーバスなんだからな」
男「反省してる。こっぴどく怒られたからな。お前は真似すんなよ」
友「しねーよ!」
笑子「あははは。でも、男よりも女さんの方が恥ずかしかったと思うよ?謝んないと駄目だよ」
男「うん。後で謝る。はぁ、俺は馬鹿だよな、後先考えずに行動しちゃうんだもの」
思わず頭を抱えてしまう。もう少しゆっくりドアを閉めるべきだった。
友「お前でも悩む事があるのか。でも、正直羨ましいよお前が」
男「はぁ?なんで?」
友「何つーか全力で生きてるっつーか。俺は窓から侵入とか怖くて絶対できねーよ。すげ~って思う」
笑子「だねぇ。男のバカさはノーベル賞級だね。」
男「馬鹿にされてるとしか思えないんだが」
友「はー、俺もお前くらい後先考えずに行動出来たらなぁ」
友は隣に立っている笑子の横顔をチラリと見るとそう呟いた。
空の鞄を掴み、隣の教室に乗り込む前に数学教師の教えを口に出してみる
男「女さんの笑いのツボを知る。その為には女さんの事をもっと知らなければいけない」
深呼吸をしてから、隣の教室のドアを開く。女さんは窓際の席で一人外を眺めていた
男「や、やあ。いまいい?」
女「・・・あら、釈放されたみたいね。娑婆の空気はどうかしら?」
窓の外から視線をゆっくりと俺に合わせながら言う。心なしか目が座っているように思える。声にも温度がない。
男「しゃ、釈放て。いや、昼の件は謝るよ。ごめん」
女「別に気にしてないわ。貴方の突飛で的外れでヘン夕イ的行動にも慣れてきた所だし」
言いながら女さんは腕と足を組む。冷ややかな視線と相成って、まるで尋問されている気分だ。
男「い、や。昼のは、その。言葉のあやと言うか。まあ、本心なんだけどちょっと言い方を間違えたかなと」
女「・・・ヘン夕イ、スケベ、工口工口星人」
男「いや、そんな下心なんて微塵もないから!純粋に女さんの事をもっと知りたいだけで」
女「・・・いよいよ寒気がしてくるわ。ここがゴッサムシティならアーカムアサイラム送りね」
それから10分間ほど言い訳と謝罪を繰り返すと、ようやく女さんは腕と足を組むのを辞めた。
女「好きな事とか、趣味とかが知りたいんだ。だったら最初からそう言えばいいじゃない」
男「は、はは。そうだね。」
女「で?何から知りたいのかしら?」
男「そうだなぁ、まずは好きな食べ物から」
それから俺は女さんに色々な事を教えて貰った。好きな事、嫌いな事、苦手な事、子供の頃の夢。中学の頃、いじめられていた事。今、1人暮らしをしている事。5年前に両親を交通事故で亡くしていること。
男「・・・ありがとう教えてくれて」
女「わかったでしょ?私なんてつまらない人間なの。私の事なんて知らない方が良かったでしょ?」
男「そんなこと」
女「もう、暗いし私先に帰るね。」
そういうと俺の返答も待たずに、女さんは教室を出て行った。
俺の両親は仲がいいし、妹とも仲がいい。家族はいるのが普通で、親が死ぬなんて考えたことも無かった。
両親の話をする時、彼女はとても苦しそうだった。それでも、俺に話してくれた。
男「つまらない人間は俺の方だよ」
俺は女さんの話に上手く相づちを打てなかった。彼女の事を受け止めきれなかった。笑わせる事も出来なかった。本当に情けない。情けなくて涙が出る。
男「ちっ!馬鹿が!俺の良い所は何だよ!言ってみろこの野郎!」
拳を机に叩きつける。
男「後先考えずに行動するところ!じゃねーか!」
教室を飛び出し、女さんを追いかけた。
男「間に合わないか!」
窓を開け、半身を乗り出す。ここは3階だ、地上を見るとその高さに少し目眩がする。
男「行くしかない!」
窓枠に両足を乗せしゃがむ。爪先に力を入れて正面の木に向かってジャンプした。
男「ぐはーっ!っとよし!」
何とか木の太い枝に捕まることが出来た。
バギッ
男「って!うわぁ!」
枝が重さに耐えきれず折れ、俺共々地面に落下した。木の枝に何度も当たりながら落下したので最終的な衝撃は大した事が無かった。
男「ぐぬぬ。よし、走れば間に合う!」
女さんは校門を出て左に行った。
立ち上がり、埃を払うと駆け出した。
女さんの両親が交通事故で亡くなった事を聞いた時、ショックを受けた。女さんが中学時代イジメられていたと聞いた時は可哀想だと思った。
でも、それだけだ。
本当にショックを受けて、可哀想な目に合ったのは女さんで、その時の本当の気持ちなんて本人にしか分からない。他人を完全に分かること何て出来ない。
でも、きっとお互いを知る事で距離は縮まる。
男「教えてくれたって事はぁ!近づきたいって事ぉ!そうだろぉ!」
男「ハァハァ、ぐはーっ!」
女「って!どうしたの男君!さっきからたった5分でズタボロじゃないの!」
落ちた時に枝で切ったのか、制服はボロボロ、顔や腕には切り傷が出来ていた。
男「い、や。一緒に帰ろうと思ってさ」
女「・・・ふーん?いいけど」
息が整うまで、しばらく無言で歩く。
男「俺は小学生の頃、帰り道でオシッコ漏らしたことがある!」
女「ちょ!な、何をいいだすの?」
男「野球が好きだけどヒジを悪くしたから高校からは、もう辞めた。好きな女優は堀北真希と新垣結衣」
女「な、何なのよ。わけわかんない!」
男「中学時代には自分で考えたカッコイイダークヒーロー物の小説を書いて大量に印刷してから町中の掲示板に貼りまくった事もある!もちろん作者名も本名で書いた」
女「・・・そう」
男「あと、中学2年の時に一年上の先輩に告白した!その場で振られた。」
女「分かったから!何なのよ、その黒歴史暴露は!」
男「いや、俺の事も知ってほしくてさ」
女「もっと普通の事でいいじゃない」
男「いや、ダメだ。女さんには俺の1番恥ずかしい事を知って貰わないとな」
女「な、何よそれ。」
男「あとなー、俺は中学2年までサンタを信じてた!それで友達に真実を聞かされて親に確認したらあっさり認められて、一晩泣きはらした!」
女「あはははは!」
心なしか体温が上がった気がする。
女「男君は歩く黒歴史だね」
男「なんつー酷いネーミング。」
女さんは、言葉にするのも辛い過去を俺の為に話してくれた。過去の出来事って割り切れるほどに時間も経ってないし、きっとまだ彼女を苦しめている。
それでも、俺に話してくれた。それは、きっと俺を信頼してくれているからだ。そして、俺に期待しているからだ。
「知る事で宝物が手に入るかも知れないけど、その分リスクも伴うの。」
笑子の言葉を思い出す。
俺はこの先、何があっても、どんな辛い出来事が起きても、絶対に女さんだけは裏切らない。女さんを傷付ける様な事は絶対にしない。そう、心に決めた。
男「あーあと、小学生の修学旅行で買った木刀を中学2年の時にしばらく帯刀して登校してたなあ」
女「う、うわぁ。それはひく。てか、中学2年の頃ヤバいね」
男「ちょ、そんなにマジで引かないでー。」
男「気付いてるかな?」
女「え?何が?」
男「さっきから、女さんはずっと笑ってる」
一瞬驚いた顔をすると、すぐに手で口元を隠した。顔も500度で熱したフライパンみたいに真っ赤だ。
女「へ、変だった?」
男「え?別に、普通だったけど」
女「自然だった?引きつってなかった?」
妙に必死な顔でそんな事を聞いてくる。
男「う、うん。自然だったけど」
それを聞くと、本当に安心したように息を吐き、今まで見たことがないくらいに柔らかく微笑む。思わず見惚れてしまう。
女「良かったぁ。」
男「な、なんだよ、急に。変な女さんだな」
女「そうなんだ。自然に笑えてたんだね。そっか」
1人でブツブツと同じ言葉を繰り返し、1人で何かを納得している。一体どうしたんだ?
女「あ、じゃあ、また明日」
男「え?あ、うん。また明日」
別れた後も、何度か振り返りながら歩いた。心の中で『振り向け』って叫ぶと驚いた事に本当に女さんは振り返ってくれた。
女「ありがとう!」
大きな声で、女さんはそう叫んだ。何の事かは分からないけど、嬉しくて帰り道はnobodyknows+のココロオドルを歌いながら帰った。
男「エンジョーイ! 音楽は鳴り続ける イッツジョイン 届けたい胸の鼓動!コッコロオドルアンコールわかす Dance Dance Dance」
散歩中のババア「READY GO」
嬉しかった。
そして
すぐに後悔した。
きっと、こんな暗い話を聞いたら男君は私を避ける。今までみたいに気軽に話しかけてくれるわけがないって、そう思って悲しかった。
だから、私は逃げ出した。私は本当にずるい。避けられる前に避けようとするんだから。でも、男君の顔を見るのが怖かった。
赤色の信号をボーッと眺めてると、後ろから男君に声をかけられてジムキャリーみたいに心臓が飛び出すんじゃないかと思った。ボロボロでグチャグチャの男君は昔みた戦隊ヒーローみたいでかっこよかった。
「俺は小学生の頃、帰り道でオシッコ漏らしたことがある!」
突然の黒歴史披露が始まり、最初は戸惑ったけど、すぐに分かった。
男君なりに私を励まそうとしている。
その事に気が付いた時、心が軽くなるのを感じた。
自然に笑うことが出来た。
女「私、好きな人が出来たんだよ」
親父「おう。今日も世界は平和だな。」
男「その様子だと、巨人がリードしてるみたいだね」
親父「巨人が勝てば世界は平和。こんなに良い事はないってな!ガッハハハ!!」
母「もう!あんまり飲み過ぎないで下さいよ?あなた弱いんだから」
上機嫌な親父とは反対に妹はソファでむくれている。
妹「あーぁ、私ドラマみたいのにー。」
男「なんだ?またあの推理物のか?」
妹「うん。あーぁ、つまんなーい」
親父「もー、妹ちゃんも一緒に見よーヨォ!ほら、パパのお膝にお座りして仲良く巨人を応援しょ?」
妹「ブッー!巨人なんか負けちゃえ!」
妹は舌を出しながらティッシュの箱を親父に投げつける。
母「ほらほら、そろそろご飯が出来ますよ?」
なんて事ない、いつもの風景だ。当たり前のようにリビングに家族が集まって、今日一日の出来事を語り合う。 たまに鬱陶しい時もあるけど、有るのが当たり前で無くてはならない空間。
男「・・・女さんには、ないんだよな」
妹「ん?お兄ちゃん、何か言った?」
男「いや。なんでもないよ?あ、母さん、俺も何か手伝うよ」
母「あらあら、珍しいわねぇ。じゃあ、机の上を拭いてくれるかしら?」
男「分かった」
妹「あ、私もお味噌汁器にいれる!」
母「あら、ありがとぅ。いい子ねぇ。」
親父「おぉ?感心感心!!どれどれ、もう一杯飲もうかねぇ?ガッハハハ!」
母「あなたも少しは手伝いなさい!」
親父「は、はい!分かりました!」
モノマネ、用務員さん、蛍光灯の交換、変なおじさん、黒歴史。
部屋に戻り、思いつくままに女さんが笑った事をノートに書いてみる。
男「こんなんで笑いのツボがわかるのか?」
一行空けて、次は女さんの好きなものを書くことにする。
好きなもの
イチゴ、ショートケーキ、猫、映画、パフェ、遊園地
男「何というスイーツ(笑)。いや、笑ってはいけない、笑わせるんだからな。さてと、次は」
嫌いなもの
ニンジン、ピーマン、虫、下ネタ
男「子供かよ!うーん、やっぱり下ネタは嫌い、と。次は」
女さんの性格
内気、強がり、すぐに泣く、照れ屋
男「こんな所か。・・・あ、忘れてた」
凄く優しい。
男「うーん、とりあえず俺の知ってる女さんはこんな感じかな?」
改めて書いた文字を眺めても、女さんの笑いのツボが見えてこない。笑ったときの状況を思い出してみても、何が面白かったのか良く分からない。
男「これは、明日数学教師に相談だな。」
翌日、昼休みになると職員室の数学教師の元に駆け付け昨日のノートを見せた。
男「これでなにか、分かりますか?」
数学教師「男君、まあ座って下さい。今、コーヒーを入れますから」
そういうと紙コップに粉末コーヒーを入れポットからお湯を注ぐ。
数学教師「本当は挽きたてのコーヒーを賞味して頂きたいのですが。これで勘弁して下さい。どうぞ。」
男「あ、ありがとうございます」
黒い液体が入った紙コップを受け取り、仕方なく口にする。苦い。
男「そ、それで、女さんの笑いのツボは」
数学教師「そうだ、国語の先生から頂いたチョコレートがあります。せっかくですので一緒に食べましょうか」
数学教師は引き出しからチョコレートを出すといそいそと菓子受けに入れ、一つつまみ口に運ぶ。
数学教師「とても美味しいですよ。」
男「先生!そんなのどうでもいいから!アドバイスを下さい!」
数学教師「男君、笑いは心のゆとりから生まれます。緊張していたり、焦って笑わせようとしていては、いくら面白いネタでも相手には伝わらないのですよ?」
男「は、はい。すみませんでした。」
数学教師「ふふふ。とにかく、一息入れましょう。」
数学教師「さてと、そろそろ本題に入りましょうか。その前に、この笑ったことに関してもう少し詳細に説明して下さい」
男「は、はい」
言われるままに、女さんが笑った時の状況を事細かに話した。
数学教師「・・・不条理ですね」
男「え?何ですか?」
数学教師「例えばノドが乾いたので自動販売機で飲み物を買うとします。120円を入れてコカコーラのボタンを押しました。しかし、受け取り口から出てきたのは缶コーヒーでした」
男「は?」
数学教師「面白いですか?」
男「いや、面白くはないと思います」
数学教師「しかし、そういう予測不能な現象におかしみを覚える人はいます」
男「予測不能な現象ですか」
数学教師「私の考えでは、女さんの笑いのツボはこの不条理にあるとみて間違いないでしょう。」
思わず持っていた紙コップを落としそうになる。思い返してみると、木から降りられなくなった時も、蛍光灯の交換の時も、変なおじさんの時も、確かに予測不能な現象だった。そして、その時女さんは確かに笑っていた
数学教師「不条理とは非常に高度な笑いです。現に男君も計算して笑わしたわけではないのでしょう?」
数学教師「私は合理的に物事を考えてしまうので、不条理の笑いは少し苦手です」
数学教師は眼鏡を外し、コーヒーで曇った箇所をメガネ拭きで拭き取る。
数学教師「笑う前に考えてしまうからです。何故缶コーヒーが出てきたのかを。そして、自分なりの結論を出します。補充の時に間違えたんだな、と。」
俺なら何も考えずに缶コーヒーを飲むだろう。
数学教師「女さんは、とても感性の鋭い女性なのだと思われます。」
男「先生!俺は計算して女さんを笑わしたい!どうすればいいですか?」
数学教師は指で眉間を揉み、深いため息をついた。
数学教師「申し訳ありません。先程も言ったように、私は不条理が苦手です。少し考えてみますが直ぐには答えがでそうにありません」
男「お嬢様。お風邪を召されますよ?」
笑子はいつかの俺みたいに一人で寝転がり空を眺めている。
笑子「そう思うのなら毛布の一つでも持ってきたらどうなの?気が利かないわねぇ。」
男「おやおや、うっかりしておりました。私ももう年ですかねぇ」
笑子の隣に俺も寝転ぶ。
笑子「私、告白された」
男「これはこれは、オモテになるようで。」
冗談めかして言ったが、内心驚いた。あの奥手な友がこんなに早く告白するとは思わなかった。
笑子「あーぁ。もてる女は辛いのだ」
男「どうすんだよ?受けるのか?」
笑子「あははは。迷ってるよ。」
心なし笑子の笑い声がいつもよりも弱い気がする。
男「迷うことないぞ?あいつはいい奴だ。保証するよ」
笑子「あはは、誰かさんと勘違いしてる。」
男「え?友じゃないのか?」
笑子「サッカー部の先輩だよ。」
笑子は男と女と言う垣根を越えた友達で大事な存在だ。友だって何でも話せる親友だと思ってる。
笑子「うん。本当カッコイイ人なんだよ。あはは。参っちゃったなぁ」
男「と、友は知ってんのか?そ、の。お前が告白されたってことを」
笑子「知らないよ。言ってないからね。」
男「そ、そうか。まだ、その先輩に返事する必要ないと思うぞ?うん。待たせとけって!」
笑子「明後日までに返事欲しいって。」
男「え!明後日?」
時間がない。すぐにでも友にこの事を知らせないと。
男「わ、悪いな。急用が出来た!先に教室戻る」
立ち上がり、急いで屋上を後にした。
教室に戻り、今聞いた事を全て友に伝えた。
男「お前、笑子が好きなんだろ!このままだと、笑子はサッカー野郎に取られるぞ!」
周囲の目も気にせず、俺は友の肩を掴み声を張り上げた。
友「それは笑ちゃんの問題だ。俺がどうこう言うことじゃねーよ」
男「お前何を言ってるんだよ!笑子がサッカー野郎と付き合う事になって!それでいいのかよ!」
友は俺の手を払い、席に座る。
友「笑ちゃんがいいなら、俺はそれでいい。」
友の言葉とは思えないほど、冷静な言葉に頭に血が上り、思わず友の胸元を掴み引き上げた。
男「ふざけんな!好きなんだろうが!」
「ちょ、ちょっとやめなよ」「はいはい、ちょっとカメラ止めて」「ここ後でカットね」
友「離せよ、お前には関係ないだろ」
男「関係ないだと?今、関係ないって!そう言ったのか!」
友「そうだ。これは、笑ちゃんの問題だ。俺にもお前にも関係ないだろ」
男「・・・分かった。悪かったな」
手を離し、ざわつく教室の中、自分の席に戻った。
5時限目の授業中、さっきの友の言葉が頭の中で何度もリフレインしていた。友の事を友達だと思っていたのは俺だけで友は俺の事を友達だなんて思っていなかったのかも知れない。そんな事まで考えてしまう。笑子にも言われたけど、俺は本当に女々しい所がある。
キンコーンカーンコーン
いつの間にかチャイムが鳴っていて、授業は終わってしまった。友の方を見ると、ちょうど席を立って廊下に出て行くところだった。
笑子「男、ちょっといい?」
友の後を追いかけようと席を立つと、笑子に声をかけられた。
男「・・・笑子」
笑子「友達から聞いた。友君と喧嘩したんだってね。」
男「・・・」
笑子「私の事と、関係あるの?」
男「関係ない。これは俺とあいつの個人的な問題だ」
まるでさっきの再現だ。思わず苦笑してしまう。
笑子「関係なくなんてないよ!2人とも私の友達だもん!関係あるよ!」
男「分かってる。俺だってそう思ってる。心配すんな」
友達だからこそ、大事に思ってる人だからこそ、本心を言えない事もある。余計な心配をかけたくないからだ。何となく友の気持ちが分かった気がした。
男「ちょっと、友と話てくる。お前は心配しなくていいからな」
女「あ、男君」
廊下でばったり女さんに会ってしまった。不条理の笑いという数学教師の言葉が咄嗟に頭に浮かぶ。
男「や、やあ。女さん、あ、ごめんね。今日一緒に弁当食べれなかった」
女「・・・別に、気にしてないわ」
少し口調が冷たいのは気のせいだと思う。
女「男君、何かあった?」
男「へ?何で?」
女「目が泳いでるし、落ち着きがないよ。それに、今日、一度も私に会いに来ないなんて、その、へ、変じゃない」
男「あ、いや。その、実は」
笑子が告白されたこと、その事で友と言い合いになってしまったことを全て話した。
男「友は、笑子の事が好きなんだよ」
女「友君の考え方は正論よ。自分の事は自分で決めるべきなんだから。」
男「ま、まあ、そうだけど」
女「友君は、きっと耐えているのよ。」
男「え?耐える?」
女「本当は、貴方の話を聞いて、すぐにでも笑子ちゃんに気持ちを打ち明けたかったんだと思う。でもね?今、そんな事をしたら、きっと笑子ちゃんは、今よりもっと悩むと思うわ。」
男「・・・あ」
女「友君は、笑子ちゃんが答えを出すのを待っているのよ。歯を食いしばって必死でね」
これじゃあ、生き辛いだろう
大体の人間は自分の事だけで精一杯だ。人の気持ちなんて考えない方が楽に生きていけるに決まってる。きっとそれが、器用に生きていくって事だと思う。大人ってのは、つまりそういうのが出来る奴らなんだと思う。
そういう意味だと、女さんは子供。それもかなり幼い子供だ。きっと、俺なんかよりもずっと。
男「女さん、口に指を入れて両側に広げながら、文庫文庫文庫って言ってみてよ」
女「は?どうしてよ」
男「いいことがあるよ。」
渋々といった顔で、人差し指を口にいれ、両側に広げる
女「うんこ、うんこ、うんこ」
「え?なに、やだぁ」「しょ、しょうもな」「カレー食ってる時にウンコの話するなとあれほど」
男「ドワッハハ!」
男「い、いや。ヒィヒィ、べ、別に、ブワッハハハハ。からかってなんかないさ。ヒィヒィ」
女「はらいなはらひっへも、へっほふろふなひわほ」
相当パニクってるのか、女さんはまだ口を指で広げたまましゃべっている。
男「アハハハハハ!ブワッハハ!だ、ダメだ。笑いすぎて腹がいたい。カハッカハッ」
まさか俺の方が女さんに笑わされるとは、世の中分からないものである。
男「ハァハァ、く、くく。」
女「い、いくら何でも笑いすぎよ!」
男「ご、ごめん。」
真顔を作ろうと努力しても、どうしても口元が緩んでしまう。
男「ま、まあ。その、女さん。面白かったよ」
女「笑わすつもりなんてなかったわよ!全く、本当に意味不明よ男君は」
男「ははは。でも、ありがとう。元気出たよ。」
女「・・・ふん、よかったわね」
女さんは少し照れた様にそっぽをむき、唇をとんがらせながら言った。
男「じゃ。友、探しにいくからさ!」
女「う、うん。・・・仲直りしなさいよ」
男「うん。」
友の行く場所には大体目星が付いていた。
友「・・・入ってます」
予想通り、友は3階トイレの一番奥の個室に入っていた。友は胃腸が弱いのか、良くトイレにこもる。
俺「よ、よう。俺だ。その。調子はどうだよ」
友「・・・よくはないね」
声が低い。やっぱりさっきの事をまだ怒ってるんだろう。
俺「その、さっきは悪かった。謝るよ。ごめん」
友「いや、もういいよ。気にしてない」
俺「そうか。それにしても、お前も男なんだな。見直した」
友「・・・は?」
俺「俺が来る前からずっと歯を食いしばって耐えてたのか?」
感の鋭い友の事だ、笑子が告白された事にもすぐに気付いていたかもしれない。
友「お、お前、何を」
男「心配すんな。笑子には言わない」
友「ば!言ったら殺すぞ!
友「はぁ。何なんだよ、マジで。」
男「本当に悪かった。反省してる。」
友「わかったから!なんでわざわざトイレなんだっつーの!おかげで今日も出なかったじゃねーか!」
男「そ、それも、なんか悪かったな」
友「いや、それはいいよ」
トイレから出ると、友は真面目な口調で話した。
友「笑ちゃんの事は、好きだ。ほら、カラオケ行っただろ?あれ以来結構仲良くなれたと思ってるんだ」
男「そうか。俺から見ても、お前といる時の笑子はいつも以上に楽しげに見えるんだよな」
それを聞くと友は嬉しそうに俺の肩を殴ってくる。
友「本当かよ!すげー嬉しいぜ!」
男「・・・なぁ。笑子が答えを出すのを待つつもりなのかよ」
友「ああ。サッカー部の先輩だろ?俺も知ってる。いい人だ。あの人の事を笑ちゃんも好きだったら、その時は仕方がないから、諦めるさ」
隣を歩く友は、いつも通りのアホ面で、お世辞にもイケメンとは言えない。それでも今の友はブルーハーツの歌詞に出てくるドブネズミの様な美しさを感じてしまう。
男「俺はさ、お前と笑子がくっつけばいいって思ってんだ。」
友「ありがとな」
笑子「友君とは、仲直りしたの?」
男「ああ。元通りだ。言ったろ?心配すんなって」
笑子「喧嘩の原因。やっぱり私が告白された事だってね。友達に教えて貰ったよ」
男「ま、まあ、でも気にすんなよ。お前はお前の答えを出せばいいんだ」
笑子「・・・それで、友君は何て言ったの?」
男「ん?」
笑子「私が先輩に告白されたって聞いて、友君は何て言ったの?」
男「ああ、関係ないって言ったな。お前が自分で決めるべきだって」
それを聞くと、笑子は俯き、寂しげに笑った
笑子「あはは。私、告白受けようかな。」
男「え?好きなのか?」
笑子「ううん。話した事ないからわかんないよ。でも、そのうち好きになれるかも知れないし」
男「そうか。おめでとう!これはお祝いしなきゃいかんですなぁ!」
サッカー部の先輩と付き合う、これが笑子の出した答えなら俺は応援する。友も諦めると言っていたし、仕方がないことだ。
笑子「・・・うん、ありがと」
友も帰り支度が終わったのか、俺の席にやって来た。
友「よう、なんの悪巧みしてんだ?俺も混ぜろ」
笑子「・・・」
男「いや、笑子の奴、告白受けるってさ」
友「え!」
友は持っていた鞄を落とし、慌てた様子ですぐに拾った。
友「そ、そそそそそそそそそうなんだ?ほ、ほほほほほ本当に良かった。・・・そ、それじゃ」
早口でそれだけまくし立てる様に口にすると、背を向け廊下に向かって歩き出した。
男「お、おい。ちょ、まてよ!ちょ、待てって!」
俺の呼びかけも無視して、友は教室のドアに手を掛けた。
友「!」
突然の笑子の大声に、友は足を止める。
笑子「私がサッカー部の先輩と付き合っても、友君は何とも思わないんだ!」
男「おい、友はお前の為をおもってだな」
笑子「男は黙ってて!」
男「はい」
しばらく口を閉じることにする。どうも今の俺は場違いな感じが否めない。今の俺はまさに脇役。状況を第三者に伝えるだけのモブキャラと化していた。
友「・・・俺は」
振り返る友は情けない事に泣いていた。さっきはあんなにカッコイイ事を言っていたのに呆れてしまう。
友「俺は!笑ちゃんが好きです!サッカー部なんかに渡したくないよー!」
聞いているこっちが恥ずかしくなるような告白を友は涙と鼻水でグッシャグッシャになりながら叫ぶ。これはいくら何でも酷すぎる。俺なら迷わず、サッカー部の先輩に行ってしまう。
笑子「・・・分かった。行かない。」
友「・・・べ?」
笑子はティッシュを取り出し、友の顔を拭いた。まるで出来の悪い弟と優しい姉みたいだ。
笑子「あはは!酷い顔だよ」
友「ご、ごべん。だっで、笑ぢゃんがあ。」
笑子「友君は私がいないと、駄目だから。だから一緒にいてあげる。」
友「ゔわぁぁぁん!ありがとう!ありがとう笑ぢゃーん!ゔわぁぁぁぁぁん」
笑子「もう、馬鹿なんだから」
もうみてらんない。何だこの茶番は。俺は二人を残して教室を後にした。
頭の片隅で何かが閃きそうな予感。
男「・・・不条理」
数学教師の教えを思い出す。
「いいですか?彼女を笑わすには彼女をもっと知る事です。穴だらけの数式では答えがでませんからね。」
頭の中でスパークが走った気がした。
男「そして、女さん自身の事」
気が付けば俺は駆け出していた。俺の出した計算結果、それが正しい答えなのかが今すぐ知りたい。
数学教師「どうしました?そんなに息を切らして」
職員室には数学教師以外の教員は居なかった。数学教師だけは、残業しているらしい。
男「ハァハァ!先生!俺、答えが出ました!」
数学教師「それは本当ですか!ぜひ、私にも聞かせて下さい」
笑子と友の茶番劇から俺は不条理、女さん自身と言うキーワードの他に新たに茶番と言うキーワードを得た。これらを掛け合わせた結果、一つの解を導き出すことが出来た。
男「それは・・・」
壁に染み有り障子に穴ありという、ことわざがある。数学教師以外に誰もいないとはいえ、あまり大きな声は出せなかった。
数学教師「・・・ふむ。良いのではないでしょうか。」
男「本当ですか!」
数学教師「私は不条理が苦手です。面白いかは分かりません。しかし、君の計算結果は、実に温かい。」
そう言って、にこやかに微笑むと、俺の頭に手を置いた。
数学教師「頑張りましたね、男君。私は正しいと思いますよ」
男「ありがとうございます!」
女「う、うん。・・・仲直りしなさいよ」
男「うん。」
教室にもどり、自分の席に座る。楽しげに話しているクラスメイトを横目に一人で校庭をぼんやり眺めていた。
私は対人恐怖症という心の病気だと思う。以前インターネットで調べたら、症状が同じだった。一番酷かった時は人混みを歩いているだけで頭が真っ白になり、気持ちが悪くなって道端で吐いてしまった事もある。
でも、最近は良くなってきた。女友にも指摘されたけど、何より自分自身が良くなって来ている事を実感している。
凍りついた心がゆっくりと溶けている。そんな感じがする。男君、女友、笑子ちゃん、友君、心から笑いあえる友達が出来たから。
少しづつ、カタツムリみたいにゆっくりと、私は未来に進む事が出来た。
でも
もし、男君と出会う事がなかったら。
もし、私があの時、男君にごめんなさいと言っていたら。
私はきっと過去を振り返るばかりで、ちっとも未来を見る事をしなかった。凍りついた心はいつかヒビ割れ、粉々に砕け散っていたかもしれない。
楽しげに談笑しているクラスメイトを今度はじっくりと観察してみた。
女A「昨日空みたら流れ星見えたんだ~!マジ凄くない?」
メガネ女「私はUFO見たけど何か」
女A「そういうのいいから。流れ星だよ?あー私も夜空を流れたい、なーんてね」
メガネ女「牛と一緒にアブダクションされましたけど何か」
女A「私の話を聞け!このマイペースメガネが!」
思わず肩の力が抜けた。
女「・・・なんだ、私と同じじゃない。私と同じただの高校生じゃない」
そばまで近づくと、二人とも私に気が付いた
女「あ、の」
女A「あ!どしたの?女さん。君から話しかけて来るなんて珍しいね」
女「私も、見たよ」
女A「え!マジで?凄かったよね!私以外にも絶対誰か見てたと思ってたのよ~」
女「光の柱が降りて来たと思ったらメガネ女さんと牛がUFOに吸い込まれるんだもの。驚いたわ」
女A「って!そっちかい!」
メガネ女「ワレワレワウチュウジンダ」
女A「お前は宇宙人に連れ去られた側ちゃうんかい!」
女「トラストミー」
女A「あー、それは鳩山由紀夫か?ハァハァ、ええ加減にせぇや!」
女「あはは」
女A「女さん、君って結構面白いね。さっきも廊下でうんこうんこ言ってたし」
女「そ、それは!」
メガネ女「ユーモアセンス、あると思う」
それから、しばらくたわいも無い会話を続けた。私は何を恐れていたんだろう。あれだけ人を怖いと思っていたのに、少しの会話だけで、恐怖心は消えている。
私はきっと、未来に進める。
自分の教室には誰も残っていなかった。友と笑子は二人で仲良く帰ったのだろう。
男「女さん、まだいるかな」
隣の教室を覗くと、いつも通り窓際に座っている女さんの姿があった。
男「あ、女さん!まだ帰れないの?」
女「・・・ようやく帰れそうよ」
男「そうか!なら一緒に帰ろうぜ?」
女「ええ。」
まだ短い付き合いとはいえ、なんとなく女さんが上機嫌なのが分かる。
男「何か良い事あった?」
女「うん!お友達が出来たの!」
声が弾んでいる。
男「そうなんだ。どんな子?聞かせてよ」
女「うん!女Aさんと、メガネ女さん。女Aさんはボーイッシュな感じ、メガネ女さんはちょっと変人かな。それでね」
ニコニコと楽しそうに友達の事を語る女さん。きっと、話したくて仕方がないんだろう。誰かに聞いて貰いたくて仕方がないんだろう。
男「あはは!それで?」
女「それから、メガネ女さんがね」
T字路が見えてもまだ、女さんの話は止まらない。俺はワザとゆっくりと歩いた。この道が宇宙みたいに膨張していって、あのT字路がドンドン離れて行けばいいのにって本気で思った。
女「あ、そっか。ここでお別れだね」
男「・・・あー、そういえば女さんの家の方に新しい本屋が出来たんだってな。ちょっと覗いてくかな」
女「・・・うん!」
女「ん、じゃ。また明日」
手を振り、門を潜ろうとする背中に声をかけた。
男「土曜日、俺の家に来てくれないか?」
女「え?明後日?どうして?」
男「どうしてもさ。」
不思議そうな顔をする女さんに手を振り、俺は元来た道を戻り家路に着いた。本屋は別の日にでも行くことにする。
家に帰り、台所に立つ母親に相談をする。
男「ちょっといい?土曜日の事なんだけどさ」
母「あら?土曜日?何かあったかしら。・・・あ、あー。あれね。それがどうかしたの?」
男「その、友達を招待してもいいかな。」
母「友達って、あんた何考えてるのよ」
男「い、いいだろ?それにきっと、盛り上がるぜ?」
母「おかしなこねぇ?ふふ、でもいいわ。素敵じゃない。」
男「お!おお!センキュー!」
母「沢山呼びなさいね?母さん頑張っちゃうから!」
男「は?た、沢山?1人の予定なんだけど」
母「よーし!これはご馳走かしらねぇ」
駄目だ、聞いちゃいない。まあ、多少計画は狂ったけどどうにかなるだろ。
たぶん。
男「よお。」
下駄箱で友に会った。昨日の告白を思い出し、ニヤニヤしてしまう。
友「お、お前、何を笑ってんだ!」
男「ププププププ」
友「こ、こんにゃろ!」
俺の頬をつねってきた。
男「わ、わかった!笑わん!笑わないから手を離せ!」
友「ちっ!分かればいいんだよ、分かれば」
男「・・・ぶ、くくくく」
友「あ!今笑っただろ!」
男「いいえ。笑っていません」
友「そうか」
男「ブワッハハッハハ」
友「てめえこのやろぉ!」
下駄箱で馬鹿騒ぎをしていると、笑子がやって来た。
笑子「あはは!朝から元気一杯ね?」
男「よう!助けてくれよ、お前の彼氏が暴れやがって参るぜ」
笑子「わわわわ!あ、あんまり大きな声で言わないでよ!」
友「そ、そうだぞ!お前にはデリカシーってものがだなぁ」
笑子「それを言うならデリバリーだよ」
友「そうそう、お前には時間通りにピザを配達するっていうプロ根性ってものがって!デリカシーで合ってるから!」
笑子「あはは!40点かなー?」
こ、こいつら、俺の存在を忘れて2人の世界に入ってやがる。
男「あー、ごほんごほん。ちょっといいかね」
笑子「あ、なに?どうかした?」
男「土曜日、お前らも俺の家に来てくれないか?」
2年6組の教室を覗くと、女友が数人の女子と馬鹿笑いしている。
男「よお、久しぶり」
女友「おやおや!めんずらしいねぇ。てっきり私の事なんて完全に忘れていると思ってたよ」
男「いやー。忘れるはずがないだろ?」
そう、忘れるはずがない。女友はずっと女さんを支えてくれた人だ。だから、忘れていいはずが無い。たとえ忘れたとしても、きっといつか思い出していたに違いない。
女友「・・・目が泳いでるんですが、それは」
男「おほんおほん!所で、明後日俺の家にきてかれないか?女さんもくるからさ」
女友「え?うーん?意味わかんないけど、女っちくるならいくよ」
今回の件で、親身になって話を聞いてくれて、適切なアドバイスをくれた数学教師を呼ばない訳にはいかない。
「せんせー!この問題がわかりません」
数学教師「・・・これは、ジャンプの巻末クイズですか?」
「はい!」
数学教師「恐らく前号のジャンプを見返せば答えは見つかるのではないでしょうか?」
「ありがとうございました」
ちょうど、数学教師は廊下で生徒に絡まれている。
男「先生!今いいですか?」
数学教師「おや、男君。こんにちわ」
男「こんにちわ!明後日の件なんですけど、一つ問題が」
数学教師「問題ですか。男君、大事にトラブルは付き物です。慌てずに対処しましょう」
男「母親に話したんですけど、人を沢山呼べって言われまして。先生も良ければ来て頂けれると嬉しいのですが」
数学教師「え?私もですか?」
しばらく、数学教師は頭をかきながら唸っている。
数学教師「実に不条理ですね。構いませんよ、私で良ければ同席させて下さい。」
男「ありがとうございます」
数学教師の例で言えば、不条理はコカコーラのボタンを押したら缶コーヒーが出てきたが、ギャグだとコカコーラのボタンを押したら自動販売機が爆発する。
男「アジアのパピヨンズ、いいコンビだった。だが、解散をここに宣言する」
誰も居ない体育館。俺は静かにマイクを置いた。不思議と涙は流れない。特に思い出が無いから。
男「・・・」
一人になりたいとき、俺はいつも屋上に来てしまう。フェンスにもたれて見下ろす街並みはちっぽけで、あくせく動く人間は蟻みたいだ。
男「女さん、喜んでくれるかな?」
夕陽が街全体に照らし、まるでオレンジ色の絨毯が敷かれみたいだ。こんな綺麗な夕陽をみれば、どんな極悪人だって改心したくなるに違いない。
男「夕陽のあっち側ってどうなってんだろ?」
子供の頃、俺は夕陽に向かって走った事がある。別に昔の青春ドラマに憧れた訳ではなくて、単なる好奇心で。結果、夜になり迷子になって泣きながらお巡りさんに保護されたという落ちもついている。
男「・・・気になるな」
もしかしたら夕陽の向こう側に、俺の知らない未知の世界が広がっているかも知れない。
男「って!何を馬鹿な事を!んな訳あるか!んな訳あるか!んな訳あるか!」
わざとらしく肩を竦め、屋上を後にする。夕陽の向こう側?そんなのきっと偉い学者がすでに探索とかして論文でも出してるだろ。馬鹿な考えは止めてのんびり家に帰るとする。
男「ハァハァ。いや、ちょっと身体を鍛える為に走ってた」
母「へぇ、そりゃ感心感心。今日はおでんよ」
男「いいね。先に風呂に入るよ」
風呂から出て、リビングに行くと、今日も親父がTVを独占している。
妹「あ!お兄ちゃんおかえり。今日もTV見れないんだけど何とか言ってよ!」
親父はTVに文字通りしがみついて、歯軋りしながら巨人戦を観戦している。妹の言うとおり親父の後頭部しか見えない。
親父「とりあえず落ち着けよ?しっかりボールを見るんだ!ばっ!おいおい、そこに手を出しちゃいかんでしょ!もーう!パパが代打で出場してあげたい」
ビール腹の中年親父が何を抜かすか。
男「妹よ。諦めるんだ。ああなると親父はテコでも動かん」
妹「えー!つまんなーい!野球の何が面白いのか分からないもん」
男「はは、まあそういうなよ。分からない物ってのは分かるチャンスがあるって事なんだぜ?」
親父「お?なんだ、男。気付かない内に随分と大人っぽい事を言う様になったな。何かあったのか?」
男「ん?あ、やっぱ分かる?なんだろ、愛する意味を知った、みたいな?」
カッキーン!
親父「おっしゃ!良い当たり!抜けろぉー!オンドリャアー」
男「話を聞けよ糞親父」
妹「私、あんな風になりたくないから、野球の事は知らなくていいかも」
男「うーん。これもリスクか」
母さんがおでんを鍋ごと食卓机に設置する。
親父「おお!すんばらしい!おでん最高~!」
妹「パパ。もうチャンネル変えていいでしょ?見たいのあるの!」
親父「えぇー。でもでもぉパパが応援しないと巨人負けちゃうよ?」
母「あなた!いい加減にしなさい!玉子抜くわよ!」
親父「妹ちゃん、チャンネル変えていいよ。」
妹「やった!」
妹は探偵物のドラマにチャンネルを合わせる。それにしてもドラマの探偵はどうしてこうも変人揃いなのだろうか。
TV「く!またしても殺人を止められなかった!」
TV「またしてもか!」
母「ほらほら!妹ちゃんも席に座って!」
全員が席につき手を合わせ、いただきますを口にする。母曰くこの儀式が料理を美味しくする秘訣らしい。
コンコン
男「どうぞ。」
妹「お兄ちゃん。ちょっといい?」
男「ん?なんだ?」
妹は顔を赤くして、モジモジとしている。
妹「お、お兄ちゃん。さっき言ってたよね。」
男「何か言ったか?」
妹「あ、愛する意味を知ったって」
俺はそんな恥ずかしい事を口走っていたのか?タイムマシンがあったらその時の俺を連れ去って時空の狭間に置き去りにしてやりたい。
男「そ、それが?」
妹「私、ね。す、好きな人ができたの。」
男「ふーん。それで?」
妹「どうすればいいの?わかんない」
涙目で訴える5つ下の妹には、まだ恋愛経験がないらしく、初めての恋心に戸惑っているらしかった。
男「まー、経験上俺に言えることは一つだけだ」
妹「え!なになに?」
男「愛する事とは、すなわち、笑わせるということなり」
妹「え!」
目を丸くして驚いている。無理も無い。
男「好きな人を振り向かせたいなら、まずは笑わせてみろ。」
妹「そうなんだ!分かった!私、笑わせてみる!ありがとうお兄ちゃん!」
妹は顔を輝かせて俺の部屋を後にした。
今日はいつもよりも早く教室に着いた。誰も居ない教室。なんとなく教卓の前に立ち、教室を見渡してみる。
男「・・・先生か」
数学教師という人物と出会い、俺の頭の中でぼんやりと将来の夢が出来ていた。中学時代は、プロ野球選手になりたいと本気で思っていたけど、ヒジを悪くして俺はその夢を諦めた。
男「・・・学校の先生に、俺は成りたい。」
口に出すと、ぼんやりとしていた物が形を持ち始める。
男「俺は、学校の先生になりたい!」
野球が出来なくなった時、何か大切な物も音を立てて消えてしまった気がした。もう、夢を見る事も出来ない何て考えていた。
友「なれよ、絶対なれ!」
いつのまに教室に入っていたのか、友が真面目な顔で俺を見ていた。
男「聞かれてたか。照れるな」
友「前、笑ちゃんが俺に話してくれた。野球出来なくなったんだってな。お前が無茶ばっかするのは、それが原因なんだろ?」
教室の外を見ると、笑子が立っていた。2人で登校してきたんだろう。笑子は泣きそうな顔で俺を見ていた。
友「簡単に死のうなんてすんな!お前は先生になれ!笑ちゃんを泣かすな!友達だろ!」
別に死のうなんて考えた事はない。でも、どうなっても構わないとは思っていた。マウンドに立つことが出来ない俺には存在価値がない。だから、それ以外の事で、俺は自分の居場所を作りたかった。
友「人を笑わせる前に、自分が笑えるようになれよ!」
俺が女さんを好きになった理由。
それは、
上手く笑えなくなった自分と少し似ていたから。
俺が彼女を必死になって笑わそうとしていたのも、俺自身を彼女に投影していただけなのかも知れない。
男「・・・なるよ。学校の先生に。それが、俺の夢だ」
友「俺はお前の友達だ。応援するよ」
笑子「良かったね!本当に良かったね!新しい夢ができて。私、嬉しいよ。嬉しくて涙がでるよ」
喜ぶ友人2人を見ながら、俺の心をゆっくりとぶ厚い暗雲が覆い始めているのを感じていた。
男「女さん。昼飯を一緒に食べよう」
女「そうね」
久しぶりに体育館の裏に2人で行く。この場所は俺が初めて彼女を笑わせた場所だ。
男「・・・」
女「どうしたの?今日の男君、ちょっと悲しそうに見えるけど」
男「そんなことないよ」
俺が女さんを好きになったのは、ただ俺と似ていたから。
それは、本当に女さんの事を好きになったと言えるのだろうか。
本当に彼女の事が好きなら、好きって言えるはずだ。
俺は女さんに顔を向けた。
男「女さん、俺は君の事が、」
好き。
あれ?
言えない。
前はあんなに簡単に言えた言葉が、喉の奥でつっかかって出てこない。
女「どうしたのよ。」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
男「あぁ、最悪だ」
気が付いてしまった。俺が彼女を好きになった本当の理由を理解してしまった。
俺は、彼女を憐れんでいただけ。可哀想な自分と重ねていただけ。彼女を好きに成る事で、どうしようもない自分を少しでも許せると思っていただけだったんだ。
俺は彼女を騙していた。
自己満足だけのために。
あの時好きでもないのに、女さんの事を好きだと言ったんだ。
男「俺は、君に謝らないといけないことがある。」
女「え?謝る?」
これ以上、嘘をつきたくない。
男「俺は君に告白しただろ?好きだって。」
女「・・・ええ。」
優しく微笑んでいた表情が少しづつ強張っていく。
男「本気じゃなかったんだ。」
女「・・・え?」
男「あれは、君に向けた言葉じゃなかったんだ。」
女「・・・嘘だったの?」
男「・・・ああ」
女「私を騙して、影で笑っていたの?」
男「それは違う」
女「私の事が、好きではないの?」
男「・・・それは」
咄嗟に言葉が出なかかった。重苦しい沈黙が、2人を包む。遠くの方でチャイムが鳴っているのが聞こえた。
女「・・・もう、話しかけたりしないで。私に近づかないで下さい」
女さんは立ち上がり、俺に背を向け歩き出した。どんどん距離が離れて行く。俺は追いかける事も、声をかける事もしなかった。
放課後になっても、帰り支度をする気にならない。教室からクラスメイトが全員吐き出され、下校の放送が流れても俺は何処にも帰る気がしなかった。
担任「何してる、教室を閉めるぞ」
男「・・・」
学校を出て、汚い野良犬みたいに街を彷徨い歩いた。なんだか胸の真ん中に穴が空いてしまった気がして、手を当ててみる。当然、空いてはいなかった。
男「・・・女さん」
好きでもないはずなのに、気が付いたら女さんの事ばかり考えている。女さんの笑った顔が頭の隅で常に浮かんでいる。
男「・・・優越感に浸りたかっただけだったのかもな」
きっと今の俺は世界で一番醜い男に違いない。ノートルダムの鐘でも衝きたい気分だ。
今日は、いよいよ例の計画を実行する日だ。しかし、女さんは来ないだろう。つまりこの計画の半分以上はやる価値がないものだった。
母「男?暇なんでしょ?あんたもリビングの飾り付けを手伝いなさい。」
ベッドで寝ていると階下から母さんの声がして、仕方なしに起き上がる。
男「分かった。今行くよ」
リビングには既に笑子と友が来ていて、妹と一緒に折り紙を折っている。
友「よう!なんかこういうの久しぶりだぜ」
笑子「あはは!楽しいねぇ?妹ちゃん」
妹「うん!喜んでくれるかなぁ!」
母「ふふふ。ありがとうね。手伝って貰っちゃって。きっと喜ぶわよ」
気を紛らわす為に俺も壁にボンボンを貼り付ける。
昼過ぎに、笑子たちとクラッカーやパーティグッズを買いに町に出た
男「クラッカーこんなに必要か?」
友「まあ、多いに越したことは無いだろ。あ、このタスキいいな。【今日は私が主役です】ってなぁ」
笑子「あはは。あ、こっちのウサギのカチューシャ可愛い!みんなでつけよう!」
友「えぇ!俺はしない!笑ちゃんだけしろよ!」
笑子「あ、そういう言い方するんだー。へー」
友「あ、ああ。ご、ごめん。笑ちゃん、付けるから!俺も男も付けるからさあ!冷たい目を向けないでぇ」
くだらないコントを見ながら胸が痛む。この2人には、まだ昨日の事を話していない。女さんが来ない事をこいつらは知らない。
男「お、おいおい。危ねえから椅子から降りろ。俺と友がやるから!」
笑子「あはは!おばさん張り切り過ぎー」
母「あら、じゃあお願いしようかしら。そろそろターキーが焼き上がるころかしらね」
そう言うと、鼻歌交じりにキッチンに向かう。今にも踊り出しそうで恐ろしい。
男「相当浮かれてやがる」
笑子「ふふふ。なーんか、素敵」
食卓机にはケーキやらピザやらサラダやらが所狭しと並んでいる。どれも母さんの手作りらしい、かなり気合が入っている事は間違いない。
ピンポーン
笑子「あ、女さん来たんじゃない?」
男「・・・」
ドアを開けると、数学教師と妹の友達が数人いた。妹の友達は何を勘違いしているのか魔女の変装をしている。
数学教師「こんにちわ。随分賑やかですね」
男「・・・先生」
数学教師と妹の友達達をリビングまで案内する。
友「げぇ!なんで数学教師がきてんだよ!」
笑子「え!やだ、こんな日に家庭訪問?」
数学教師「ははは、違いますよ。今日は教師として来たわけではありませんから。・・・おや?女さんはまだ来ていないのですか?」
男「・・・多分、彼女は今日来ません」
数学教師「ん?それは、一体どういう事でしょうか。」
男「俺は、嘘つきだったんですよ。最低な人間だったんです」
俺は女さんに告白し、笑わせる事が出来たら付き合うと言う条件を貰った事を話した。今まで、俺は女さんと付き合いたいが為に、必死で笑わそうとして来たことを話した。
そして、昨日女さんに好きと言えなかった事、俺が本当は女さんを好きで告白した訳ではない事を話した。
男「はい。隠していて申し訳ありませんでした」
数学教師「構いませんよ。」
母「あ、先生。そこのソファに座って下さい。お茶も出しますから」
数学教師「どうもすみません。私、場違いではありませんか?」
母「場違いだなんて、とんでもないですよぉ。ほら枯れ木も山の賑わいと言いますでしょう?」
笑子「お、おばさん。それ使い方が」
数学教師「ははは。では、遠慮なく今日は楽しませて頂きます」
数学教師はソファに腰を下ろした。俺も隣に腰を下ろす。
男「本当にすみません。先生には、色々お世話になってたのに」
数学教師「良いんですよ。謝る必要なんてありません」
数学教師は床に落ちている折り紙を一つ手に取ると、細い指先で何やら折り始めた
数学教師「懐かしいですね。私も子供の頃は沢山折り紙を折りましたよ。・・・と、ほら、カブトです。」
男「はぁ」
数学教師「大人になるとは、どういう事だと思いますか?」
大人になる事。20歳になれば自動的に大人になるのだろうか?たぶん、そんな事はないと思う。
コーヒーの苦さに慣れる。人とのコミュニケーションに慣れる。世の中の汚さに慣れる。そうして、俺達はつまらない人間になっていく。たぶんそれが大人なんだ。
数学教師「ふふふ。随分とひねた答えですね。」
男「・・・」
数学教師「貴方から見て、多分私は大人でしょう。貴方のお母さんも大人でしょうね。」
男「はい」
数学教師「男君の言った様に私達は君達よりも色々な事に少し慣れているかもしれません」
妹の友達が数学教師に飴玉を手渡した。数学教師は笑顔で受け取り、少女の頭を優しく撫でた。
数学教師「私だって昔は少年でした。今の君達の様に息苦しさを感じながら生きていたんですよ。」
男「はい」
数学教師「大人になること、それは子供だった事を自覚し振り返る事ができるか?ですよ」
男「・・・振り返る?」
数学教師「ふふふ。男君、これは教師としてではなく、一人の大人として言わしてください」
そういうと、数学教師は身体を向け、手を俺の肩に乗せた
数学教師「Don’t Think. Feel!」
男「・・・」
数学教師「格闘技はわかりません。しかし、この言葉は恋愛にも通じると思いませんか?」
男「・・・」
数学教師「自信を持って子供だった事を振り返れる人間こそ、本当の大人です。その為に、君は今逃げてはいけない。」
俺の心の中から熱い何かが湧き上がってくる。せきたてられるように、ソファから立ち上がる
男「先生!俺、チョット出かけてくる!」
男「考えるな!」
Feel!
男「感じろぉぉぉぉ!」
ドアを蹴り飛ばし、家を出た。
ひたすら足を交互に動かし走る。目的地は、もちろん女さんの家。何も考えず、ただがむしゃらに、誰よりも早く、一秒でも早く。
男「ファタタタタタタタタ」
魚屋が呆気に取られた顔で俺を見ている。八百屋が腰を抜かして倒れた。子供が水風船を俺に投げつけてくる。
でも、そんなの関係ねぇ!
成金の家のワン公が俺に向かってバカみたいに吠える。ゴミ捨て場のカラスが俺に向かってカアカアと鳴く。ベビーカーの中の赤ちゃんが泣き出す。
でも、でも、でも、でも!
そんなの関係ねぇ!
男「ファタタタタタタタタ」
気付けば目の前に女さんの家があった。
男「オォワタァァァァァァァァ!」
ガラ
女「え?なんの音?」
二階の窓から女さんが顔を出した。
男「女さん!俺だ!男だ!」
女「!」
ピシャッ
俺の顔を見るなり、窓を閉めてしまった。
最初に告白した時、俺は本気で好きになってはいなかったかもしれない。でも、一緒に過ごしているうちに、笑わせようと彼女の事ばかり考えているうちに、可憐な笑顔をみるたびに、彼女の存在が心の中で大きくなっていった。
男「さっき、俺は女さんにもう一度告白しようとした!でも、出来なかったんだ!好きだって、そんな簡単な言葉が口に出せなかった!」
玄関のドアが開き、女さんが出てきた。
女「何よ!もう近づかないでって言ったでしょ!」
男「そんなの無理だ!出来るわけないだろ?」
女「これ以上私を苦しめないで!悲しませないで!」
男「好きなんて言葉じゃ足りないんだ。」
ゴスペラーズも言っている。本当に人を好きになると、簡単に言葉に出せなくなってしまうんだ。
男「もう女さんが居ないと、俺は生きて行けそうもない。」
女「・・・なによ、それ」
男「つまり、これは、なんだ。その、あ、あ、あ、愛の告白って奴だ」
愛って言葉は妙に生々しくて、口にするだけで顔が熱くなってしまう。目の前の女さんは目を丸くして俺を見ている。恥ずかしくて視線をそらした。
男「な、何も笑うことないだろ」
女「だって!すんごく顔が赤い!耳たぶまで真っ赤!」
男「し、仕方ないだろ!ほ、ほら!俺の家に行こう!」
女「あ、そういえば今日何の集まりなの?」
男「パーティだよ。」
女「パーティ?こんな普通の日に?」
男「普通じゃないさ。特別な日だ。さあ、行こう」
女さんの手を取り走り出す。日が暮れる前には家に着かく必要がある。時間がない。
女「え!ちょ、ちょっと!なに?走るの!」
男「悪いけど全速力で頼むよ。6時には着かないとまずいんだ」
女「は、はあ?訳を話しなさいよ!」
男「ま、そのうち分かるさ」
俺たちは走り出した。今なら夕日の向こう側にでも何処にだって行ける気がする。でも、それは今度にとっておこう。
男「ただいま」
母「何してんの!はやく席に着きなさい!リビングの電気も消す!クイックリープリーズ!」
男「あ、あはん」
数学教師「男君、そして、女さん。さあ、早く頭にこれを載せなさい。このクラッカーは一人二つ用意されています。さあ、手にとって」
女「な、なんで数学教師が?」
友「あ、あのよ。今更なんだけど、これ何のパーティ?」
笑子「え?クリスマスでしょ?」
友「馬鹿!今日は11月9日の土曜日じゃねーか!」
笑子はクラッカーを友に向け、紐に手を掛ける。こいつ、撃つ気だ。
笑子「え?なに、聞き間違いかな?私の事馬鹿って言ったの?」
友「え?ち、ちがうよ?馬鹿お前男お前馬鹿だろ!」
母「は?うちの子が馬鹿ですって?」
男「お前らとにかく落ち着け!」
一同「ラジャー」
ガチャ
その時、玄関のドアが開いた音がした。
母「シーっ!誰も喋らないで!いいわな?」
一同「ラジャー!」
この見事な一体感。
ガチャ
リビングのドアが開いた
女友「あのぉ、お邪魔します。」
母「誰だお前!」
母が席を立ちあがった。
よし、今だ
一同「パーン!」
母「やめろぉ!」
女友の後ろから、親父が出てきた。
母「あなた!」
親父「おお?え?な、なにこれ?」
親父が目を丸くしてリビングを、見回している。
母「ほら!みんな!なにしてんの?クラッカーを鳴らしなさい!」
一同「パーン!」
親父「おお!ビ、ビックリした!」
母「あなた。今日は何の日か覚えてるでしょ?」
親父「ん?今日?俺の誕生日は、先月だったよなぁ?」
母「あなた!まさか忘れたの?」
親父「え?ま、まさか!覚えてるさ!結婚記念日だろ?」
母「あーなーたー?」
我が家の記念日はやたらに多い。それぞれの誕生日はもちろん、結婚記念日、親父が母さんにプロポーズした記念日、初デート記念日何てのもある。親父が忘れるのも無理は無い。
妹「もう!パパ!今日はママがパパの告白をOKした日だよ!」
親父「あ、ああ!そうそう!忘れるわけがないだろ?
」
母「ふふふ。あの時のあなたの顔、今でも思い出すわ」
親父「そうだな。あれから20年か。今でもあの時の事を思い出すと心臓がバクバクする」
母「私もよ」
二人は俺達の存在も忘れ、見つめあっている。たぶん今、二人の頭の中ではホール・ニュー・ワールドでも流れてるんじゃないか?ディズニーだったら観客置き去りのミュージカルが始まる所だ。
友「お、おいおい。まさか今日のパーティってこれじゃねーだろーなぁ!」
妹「そうだよ」
友「ぜっんぜん俺達関係ないんですけど!」
笑子「あはは!でも、とっても素敵じゃない。おばさん!おじさん!おめでとう!」
数学教師「さあ、とにかく、折角のパーティですから楽しみましょう!」
親父達を放っておいて、俺達は俺達でパーティを楽しむことにした
女友「あの、全然話が見えないんですが。なにこのアウェー感」
男「楽しんでる?」
女「ええ。気分は最高よ」
男「OK!そいつは最高にハッピーなお知らせって奴だ。」
女さんも積極的に会話をしているみたいで、今では妹達の輪の中に溶け込んでいた。
親父「あー、皆さん。楽しんでくれている中で、申し訳ない。一度、席に戻ってくれませんか?」
親父が手を叩きながら、声を張り上げる。
友「OK。おい、みんなボスの声が聞こえたろ?さあ!ケツを蹴り上げられる前に席に戻るんだ!」
笑子「なんで友君が仕切ってるのよ!」
全員が席に座ると、親父が口を開いた。
親父「皆さん、楽しんでるみたいで何よりです。」
にこやかに全員に目配せをする。
親父「こんなサプライズパーティがある何て思いもしませんでした。クラッカーの音と共に会社の疲れと機密情報も何処かに飛んで行ってしまいましたよ。その辺に転がってるかも知れません。機密情報を見かけたらシュレッダーにかけておいて下さい」
一同「ワッハッハ!」
いつもTVのまえで巨人を熱烈に応援していて、妹にとことん甘く、母さんに頭が上がらない親父の姿はそこにはなくて、別人のように立派な大人が居た。
親父「もう少しだけ、退屈な私の話に付き合って下さい。どうぞ、食べながら、飲みながらで結構です。」
誰もが親父に注目し、一言も口を挟まない。
親父「年齢は私と同じか少し上。いつもきちんとしたスーツを着ていました。その清楚で美しい姿に一目で恋してしまった。私は毎朝、彼女と同じ車両に乗り、彼女の視界にギリギリ入るくらいの所で立っていました。」
母さんは顔を赤くしながら親父をみている。きっと一字一句聞き漏らしたくないのだろう。
親父「最初は彼女を見るだけで良かった。でも、すぐに話がしたくなった。私の事を知って貰いたくなった。」
そこで親父は照れ臭そうに頭をかいた。
親父「ははは。いやぁ、恥ずかしいものですね。すみません、白ワインを一口頂きます。」
照れてる親父も初めてみた。
親父「私は当時、恋愛経験の一つもなくてね。彼女に話かけることができずに半年が過ぎてしまった」
友「oh my god!!こんな悲劇って他にある?」
女友「Fuckin shit!何てことなの!」
数学教師「君達、私語は慎みなさい。」
親父「ははは。でも考えてみると、彼女は私の事何て知らない訳だ。私の一方的な片思いだからね。それに、私だって、一年間もマレーシアにいれば彼女の事何て忘れるに決まってるだろ?」
そう言うと親父は再び白ワインを口にする。
親父「彼女の事は忘れる事にしたよ。でも、最後にマレーシアに行く前に、ほんの少しでもいいから、話かけてみることにしたんだ。」
ゴクリ。誰かの生唾を飲み込む音がする。親父は反応を確かめるように全員に視線をおくる。会議慣れしてるんだろうな。
それにしても、いつもガハガハ馬鹿笑いしている親父からは想像も出来ない程の純情っぷりだ。この青年からどう成長するとこの中年親父に成り果てるのだろうか。
親父「徹夜で考えていたスマートな言葉は、まるで口から出てこなかった。戸惑う彼女の前で数分間私はただ黙って突っ立ていたよ。」
笑子「あはは!おじさん!それじゃあ不審者だよ!」
親父「参ったね。その通り、不審だったと思うよ。」
彼女の前に立ったは良いが、頭の中が真っ白になってしまった。プレゼンで予期していない質問をされた時もこんな風に頭の中が真っ白になった事がある。あの時は先輩の助け舟があったけど、今は誰も助けてくれはしない。
とにかく、とにかく、何か声を出さなければ。
若親父「あ、あの!」
声が上擦った。
女性「は、はい!」
若親父「わ、私は!明日から一年間マレーシアに行きます!」
女性「はぁ」
若親父「その前に!貴女に伝えたい言葉がある!聞いて下さい」
深く息を吸い込む。肺の奥の奥まで。そして、息を止めて一気に吐き出した。
若親父「貴女は私を知らないと思います。でも、私は貴女をずっと見てきた。上手く言葉に出来ないけど、私は貴女に恋しています。好きです、付き合って下さい」
乗客が全員、私たちに注目しているのが分かる。目の前の女性は口を手で覆い隠している。
女性「あ、の」
若親父「すみません。こんな馬鹿みたいな事をして。皆さんも朝から大変失礼致しました」
振り返り、乗客に頭を下げた。
女性「わ、たし」
何か言おうとしている女性の口を手で制した。
若親父「一年後の今日、私はこの時間のこの車両のこの場所で貴女を待っています。さっきの答えはその時に聞かせて下さい」
女性「そんなの、忘れてしまいます。気持ちも変わってしまうかもしれませんよ?」
若親父「でも、私は忘れない!そして、気持ちも絶対変わりませんよ!」
私の身勝手な言葉に、女性は苦笑交じりにこう言った。
女性「こんな告白、忘れようがありませんよ」
親父「そして、私はマレーシアに旅立ったんだ」
笑子「それで、どうなったんですか?一年後、その女の人はいたの?」
親父「それがね、話はそう簡単にも行かなくてね。出張の期間が半年延長してしまったんだよ」
友・女友「Holy shit!」
マレーシアから日本に戻ると、まずその寒さに震えた。マレーシアは一年を通して常に暑く私の皮膚も真っ黒に日焼けしている。
会社には翌日から出勤する事になっていた。まあ、出張報告やらの事務処理で忙殺される事は目に見えている。そんなことは、問題では無かった。
彼女はあの日、電車で私を待っていたのだろうか?
もし、あの時の告白をまだ彼女が覚えてくれていて、私にどちらかの答えを出そうとしていたとしたら。
私は何て酷い人間なんだろうか。
その事を考えると夜も眠る事が出来なかった。いっそ、彼女が告白の事何て微塵も覚えていない方が、まだ良い気もした。
翌日、もし彼女がまだあの車両を利用していて、今日も乗っているとしたら、私はあの日の事を謝る事が出来るかもしれない。そんな事を考えながら電車に乗り込んだ。
しかし、そこに彼女は居なかった
若親父「・・・はは。私は何を期待しているんだ。居る訳がないだろ。いい加減忘れるんだ。」
背後から声を掛けられ飛び上がる程驚いた
若親父「あ、貴女は。」
そこには、あの日と変わらぬ女性の姿があった。
女性「ホームに貴方を見つけてね。驚かせたくなりました。それにしても、逞しくなられましたね」
若親父「あの、私の事をまだ覚えているんですか?」
女性「ふふふ。忘れる訳がありませんよ。あの告白から毎日カレンダーをめくりながら、一年間待っていたんですよ?」
若親父「そ、んな。私はあの日、電車に乗らなかった。最低な男です。それでも貴女は許してくれるのですか?」
女性「正直、あの日は仕事を休んで家で泣いていました。悲しかったわ。でもね、貴方は言いました忘れないし、気持ちも変わらないって」
そんな言葉まで覚えてくれているのか。
女性「私はその言葉を信じて、毎日この車両で貴方を待っていたんですよ?」
生まれてから今まで聞いた中で、一番胸に響いた言葉だった。私の胸は一杯になり、声を出す事も出来ずにいた。
女性「あの時の告白の前から、貴方の事は知っていましたよ?だって、毎朝同じ車両に乗っているんだもの。それに、私に気があるって事も分かってましたよ?」
若親父「ははは。お見通しでしたか」
女性「ふふふ。コホン。では、あの時のお返事をしますね」
若親父「・・・少し長く話し過ぎたね。これで私の話は終わりだ。」
笑子「え?それで、その女性の答えは何だったんですか?」
笑子の疑問に親父は母さんの肩を抱き寄せて答えた。
親父「その女性が今の妻だよ。さぁ、みんなグラスを手に取って、もちろん未成年はジュースだ。乾杯をしよう」
全員がグラスを手に取る。
親父「えー!では、妻と私の変わらぬ愛、そして、来年の巨人軍優勝を祈りまして、カンパーイ!」
一同「カンパーイ!」
みんながグラスを掲げる中、一人だけグラスを下ろした人がいる
数学教師「申し訳ありませんが、その掛け声では私はグラスを掲げる事はできませんね」
親父「んー?あなたは、学校の先生ですかな?」
数学教師「最後をこうしませんか?くたばれジャイアンツ!ゆけゆけタイガース来年こそ優勝!カンパーイ!」
親父「あんた、トラキチか」
数学教師「くたばれジャイアンツ!」
数学教師「タイガースファンこそ、真のプロ野球ファンだと、私は考えています。だいたいジャイアンツを応援して何が面白いのでしょうか」
親父「ガッハハ!野球の華はホームランよ!巨人といえば、ホームラン!ガッハハ!」
完全にいつもの親父だ。それにしても数学教師がトラキチだったとは、あの人は野球とか興味ないと勝手に思っていた。
女「素敵なお話だったわね」
男「ん?まーそうだね。あの親父が昔、あんな風だったとはなぁ」
女「私、男君にまだ返事をしていないわ。」
男「あー。でも、俺はまだ君を笑わせていないだろ?」
女「ううん。沢山笑ったわ。毎日とても、楽しいもの」
このパーティはもう終わりが近づいている。妹の友達はみな帰ったし時計は10時を指している。
友「おう!男!俺達ももう帰るぜ?またな」
笑子「楽しかったよ!また、パーティ開いてよね!」
女友「次はもっと早く来るから!女っち、またねー!」
花火大会の終わりの様に、人が少なくなると急に寂しさが襲ってくる。楽しい時間は寂しさをより深く感じさせるんだ。
親父「ガッハハ!あんたたちは毎年毎年あきもせずにそればっか言っとるけどね!来年は巨人軍よ。」
男「こっちはまだやってるのか」
母「ほら!あなた!いい加減なさい!先生も、そろそろお帰りになられた方がいいのではありませんか?」
数学教師はしこたま酒を飲んだのか、フラフラになりながら帰って行った。残ったのは、俺と親父、母さんと妹、それに女さんだけだった。
母「女さんも、そろそろ帰らないと、ご両親が心配されているわ」
女「いえ、私の両親は、もういませんから」
母「そうだったの。ごめんなさい。辛い事を思い出させて。」
女「いえ、いいんです。もう、昔の事で忘れました」
そう言って笑う女さんは、やっぱり何処か寂しそうに見える
親父「もう遅いからね。今日はうちに泊まるといい。なあ、妹ちゃん、お姉ちゃんと一緒に寝なさい」
妹「うん!お姉ちゃん大好き!」
いつのまに馴れたのか、妹は女さんに抱きついた。
女「いいんですか?」
親父「何を遠慮する事がある?君と私達は一緒の飯を食べて笑い合った仲じゃないか。これ以上の絆が何処にある?君はもう我が家の一員だよ」
母「ふふふ、可愛い娘が1人増えたわね」
茶番でもいい。おせっかいだって構うもんか。寂しそうな女さんを俺はもう見てられなかったんだ。
だから、俺は今日家に招待した。
もう一度、人の愛を温かさを感じて貰いたくて。
親父「ま、とにかく。今日はもう疲れたろう。風呂にでも浸かってゆっくり休みなさい」
女「はい」
妹「私も一緒に入る」
親父「さてと、私も見るかな」
母「あなた!」
親父「お、おいおい、何を勘違いしてんだよ。スポルト見るんだってスポルト!」
月曜日
教室に入り席に着くと、友と笑子がやって来て、土曜日のパーティの話で盛り上がった。
笑子「あはは!それにしても、数学教師が居たのには驚いたよ!なに?親戚?」
友「数学教師メチャクチャ酔ってたよな?タイガースがどーのこーの、かなりレアだぜあれは」
男「あの人にはお世話になってるからな」
笑子「だったら授業もちゃんと受けなさいよ!」
友「そーだそーだ!」
男「お前に言われたか無いわ!」
生徒あ「おい、男君。隣のクラスの女子が君を呼んでいるぞ?」
隣のクラスの女子か。わさわざ呼び出す何て窓枠事件以来の俺のファンかな?
男「なんだ、女さんか。どうかした?」
女「ご期待に添えなくて悪かったわね。」
男「わざわざ呼び出す必要なんかないのに。」
女「放課後、体育館裏に来ること。いい?」
男「あの、ジメジメした場所?勘弁してくれよ」
女「何度も呼び出したくせに!」
男「ははは。冗談だよ。その話はここでは出来ない事?」
女「ええ。あの場所じゃないと駄目。絶対来なさいよ!」
それだけ吐き捨てる様に言うと、女さんは隣の教室に帰って行った。
放課後、グラウンドにはサッカー部と野球部が声を張り上げている。体育館では卓球部と、バスケ部が練習をしている。
いつも通りの放課後。
男「さてと、行くか」
体育館裏で俺を待っている人がいる。
その人はきっと、笑顔で俺を待っている。
そして俺も彼女の前で笑うだろう。
これからも、ずっと一緒に笑うだろう。
終
楽しく読ませてもらったよー
ありがとー!
最近読んだ中で一番面白かった!乙!
次に期待します!
ずっと見守ってたぜ!乙!
やっぱ純愛もの良いなあ、俺も女を笑わせる旅に出るわ!