一日目 ひき娘の部屋前
こんこんこん
ひき娘「開けません。
泥棒さんはお引取りください……っ」
男「わたしは泥棒ではありませんよ。
まったく、顔を見ていきなり逃げ出されると、
案外傷つくものですね……。
御家族から話をされていませんか?
今日から家庭教師が来ると」
ひき娘「き、聞いてないですっ。
とにかく、そんなウソを言ってもダメです。
今ならまだ無かったことにするので、
お引取りくださいっ」
よく考えてください。
鍵がかかっていた玄関の扉を開いて、
堂々と入ってきたんです。
いきなり出くわして驚かれたでしょうが、
もしわたしが泥棒であれば、
もう少し行動を考えているはずですよ」
ひき娘「……堂々とした泥棒さんかも」
男(確かに。白昼の住宅街では、
ピッキングなどの技術に自信があれば、
帰宅するような自然さで侵入するらしいですね。
あながち穿った意見ではありませんが、
立場を悪くしても意味がありません)
では、ひき娘さん。
わたしがひき娘さんのお名前を知っているという事で、
わたしへの不信を解いてもらえませんか」
ひき娘「家の表札に、
削ってなければ私の名前があるはずです」
男「……そういえば、眼にした気がしますね」
ひき娘「それに、今更家庭教師とか変ですよ。
私がひきこもり始めたのは二年も前ですもん!
いまさら学校に行くとか、ムリですよ」
男「しかし、間にカウンセラーが来ませんでしたか?
お母様から、三人ほど過去にカウンセリングをしたと、
そのように聞いていますが」
ひき娘「……それは、確かに何度か。
カウンセラーさんは来ましたけど」
通ってきていたカウンセラーも帰してしまった。
違いますか?」
ひき娘「……はい」
男「そこで、ひき娘さんのお母様から、
今すぐに部屋から出てきてもらう事より、
いざ出たときのために、
最低限の学力を維持して欲しいというご依頼があり、
わたしがこうして出向いてきました」
ひき娘「それは、お母さんが考えそうだけど……」
男(わたしも一応カウンセラーとしての、
資格は持っていますが。
ここは普通に家庭教師としたほうが、
抵抗は少ないでしょうね)
信じていただけますね?」
ひき娘「……少しですけど」
男「今のところ、警察を呼ばれなければ構いませんよ」にこっ
ひき娘「それで、その――」
男「申し遅れました。
わたしは男と云います。
この近くの塾で中高生を対象として、
文系科目を中心に学んで貰っています。
良ければ、名刺でもいかがですか?」
ひき娘「えっと……
それじゃ、扉の下から、お願いします」
男「はい、どうぞ」すっ
男「もちろんです。
信用していただけたのなら、
扉、開けてくれませんかね?」
ひき娘「はい……って、ソレとこれとは、関係ないですっ」
男「ドサクサにまぎれてみましたが、
開けていただけませんか」
ひき娘「ダメです」
男「では、少し大変ですが、
今日の授業は扉越しに行いましょうか」
男「はい。ですから、勉強をしましょう」
ひき娘「……」
男「何やら、にらまれているような気配がしますね」
ひき娘「……」
男「今度は少し泣きべそをかいているような」
ひき娘「もしかして、見えていませんか?」
長く教師を続けていると、
それなりにそうした空気が分かるものです」
ひき娘「……そういうものなんですかね?」
男「はい。そういうものです。
では、まず第一歩として。
扉の前に教材を置いて、少し距離をとるので、
回収して、勉強できる状態になってください」
ひき娘「その、勉強は苦手なんです……」
男「得意にするのが私の役目です。
大丈夫ですよ、優しく教えて差し上げます」
男「ふむ……少し意外ですね」
ひき娘「何が、ですか?」
男「とりあえず、どの程度までさかのぼる必要があるか。
それを判断するために、今のテストを受けてもらいました」
ひき娘「……」
男「ひき娘さんが学校に通わなくなった頃の生徒さん、
中学二年生を対象とする全国模試の過去問題です。
正確な統計とはなりませんが、
その得点でおおよその得手と不得手、
そして学力が分かるわけです」
ひき娘「その、どう、でした?」
男「そうですね。
まだ足場を固めたい部分はありますが、
総じて悪い評価ではありません。
むしろ、ブランクを考えれば大変よく出来ているでしょう」
男「これで勉強が苦手と言ってしまっては、
立つ瀬が無い人もいますよ」
ひき娘「その、本当に苦手で。
でも、その、やることもなくて」
男「退屈しのぎに、ですか。
では、多少宿題が多くても、大丈夫ですね」めもめも
ひき娘「……それは、ちょっと」
男「大丈夫ですよ。
無理な事は要求しません。
ひとまず今日はこれで終わりにしましょう。
実は、十七時からは塾でわたしの授業がありまして……
ひき娘さんのための勉強メニューを組むため、
今回のテストは持ち帰らせてもらいます。
次回には、採点と赤ペンを入れて御返ししましょう。」
男「車で来ているので、大丈夫ですよ。
しかし、今日はこれで失礼しますね」
ひき娘「あ、はい」
男「そうそう、宿題ですが。
次回は明後日ですからね。
それまでに、英語のドリルは終わらせてください。
数学も、基礎編を終わらせてください」
ひき娘「……え、その、終わらせる?」
男「はい。大丈夫ですよ。
大した量ではありません。
ほどよい努力で達成できる量です」
ひき娘「その、ムリだと思うんですけど……っ」
男「わたしは結果重視主義ですが、
努力すればその分実力はつきます。
がんばってください」にこっ
とことことこ
一日目 ひき娘の部屋
ひき娘「ふはっ」
ひき娘「……こんなに喋ったの、
久しぶりで、喉、痛いかも」
ひき娘「気がついたら、
案外普通に話してた、かな?」
ひき娘「お母さんとも、
最低限しか話さないのに」
ひき娘「……男先生」
ひき娘「丁寧な人?
でも、怖そうな人」
ひき娘「顔、ちゃんと見えなかったな」
ひき娘「優しそうだといいけど」
ひき娘「笑顔の優しい人は、すき」
ひき娘「……」
ひき娘「外には、出たくない」
ひき娘「勉強は、いいけど。
学校とか、友達とか、先生とか、
まだ、怖いよ」
ひき娘「もう、外には出たくない」
ひき娘「痛くて。
辛くて。苦しくて。怖くて。
外には、いいことなんて、何にもないもん」
一日目 男の車
ぶろろろろ
男(ひきこもりの子に授業なんて、
初めての体験で、戸惑いますね)
男(いきなり警察を呼ばれそうになるとは、
さすがに思っても居ませんでした)
男(しかし、そうしたアクシデントを除外しても、
簡単には済まないようですね)
男 ぺらり
保護者は母親のみ。昼は仕事。
中学二年で不登校に。
以来、部屋からも出てこない)
男(これしか情報が無くては、
作戦の練りようもない。
どうして引きこもってしまったか。
せめて趣味や好きな食べ物でも分かれば……)
男(非効率的でいまいち不本意ですが、
完全にゼロから親しくなるしかないですか)
大人しく、利発で、
勉学への忌避感などは感じられません。
他の生徒さんたちよりは、
幾分か伸びやすい気がしますね)
男(難しい子ですが、
ソレを疎んでは教師として立ち行きません)
男(嫌われない程度に、
がんばるとしましょうか)
男(ひとまず、中学二年生までの復習と足場固め。
普通の生徒と違って、
時間つぶしとしてドリルなどをやるような、
パズルとして楽しんでくれる雰囲気がありますからね。
焦りは禁物ですが、それなりに早く終わるでしょう)
男(それが終わる頃には、
もう少し距離を縮めておきたいものです。
廊下での授業はさすがに寒いですし、
お尻も、腰にも負担が厳しい……)しみじみ
一日目 TL:sugomori
sugomori 今日、久しぶりに、
私にお客さんが来ました。
どうやら、明後日また来るみたいです。
kuro sugomoriに、お客さん?
そんな話題が出たの初めてよね。
どんな人?
sugomori 顔は見てないです。
っていうか、kuroさんは私がひっきーって、
知ってるじゃないですか。
本当に来ただけなのね。
megane お客さんですか。
キチンと対応しなくてはいけませんよ。
お会いしたことはありませんが、
どうやらsugomoriさんは、どこか……
sugomori その、気を使ったみたいで、
気を使っていない省略はやめてください(>_<*)
どこか、なんですか? meganeさん。
megane どこか、ユーモラスな方なのでと、
そう言いたかっただけですよ。
なにか、邪推をなさいましたか?
kuro megane さんって、性格イイですよね(笑)
megane 良くそのように褒めてもらえますね。
kuro あぁん、惚れちゃいそう!
megane おや、どこかで猫が鳴いているような。
kuro 私は発情期の猫じゃありませんよーだ。
sugomori は、はつじょうきって、kuroさん。
カマトトぶってちゃダメよ?
今は女も肉食の時代!
megane 秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。
世阿弥のお言葉ですが、
今の時代ほど、これを実感する時もありません。
kuro え、meganeさんは女性幻想持ちなの?
megane これでも男性の一翼として。
kuro ちょっといがーい。
megane どう見えていましたか?
megane 否定はしませんが、
男女関係に幻想は必要ですよ。
それを楽しみたいのであれば。
sugomori なんか、おとなの会話……
kuro sugomoriがオコチャマなのよ。
sugomori それは傷ついた……(><。)
megane おっと、そろそろ用事が。
また夜にでもお話しましょう。
kuro 私もー
sugomori え、ふたりとも?!
普通はひきこもってないの。
sugomori ショボ━(´・ω・`)━ン
megane 夜になったら、
確か今夜はガンダム00の再放送でしたね?
sugomori はっ、そうです。楽しみな00です!
megane 実況で盛り上がりたいので、
その時はお付き合いください。
それでは、失礼しますね。
sugomori がんばってください。
☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
kuro meganeさんって、さりげなくタラシね。
それじゃ、私も暇だったら夜にお話しにきてあげる。
sugomori まってるね!
一日目 男の教室:近代史
男「では、そろそろ授業も終わるので、
では、総括に入りましょう。
今日は一時間かけて産業革命と、
十九世紀イギリスを代表する一人の思想家について学びましたね。
産業革命については前半にまとめを終えてますから、後者を。
十九世紀に発生した市民による運動の名前、
また、その目的はなんですか」
生徒1「プロレタリア運動、もしくは労働者運動です。
当時、急激に格差が広がった、
労働者と雇用者の関係是正が目的でした」
男「事象的には正解です。
彼のその考えの根底にあるのは疎外論ですが、
その疎外論では何をいっていますか?」
人間の手によって生み出された物が、
人間の手を離れて、
逆に人間を支配して、
その人間性を失わせることです」
男「はい、その通りです。
この場合、その生み出されたものとは金銭ですね。
『人間が生み出したお金という価値に追い立てられ、
自らの価値を奪われた人々が、
真に尊厳を取り戻すための運動』
というわけです。
人々は尊厳を奪われたと感じるほど、
金銭に追われるようになってしまったのでしょう。
ではなぜ、それほど労働者と雇用者の格差が広がりましたか?」
生徒3「えっと、労働の価値が下がったからです」
男「説明としてはちょっと足りませんね。
誰か補足を」
材料から生産物を作るまでの価値の変化と等量でした。
パンを十個作る程度の能力は、
パン十個から材料の価値を引いたものと等量です。
しかし、そのためには材料を用意する必要があり、
それは少量のほうがコストがかかります。
そこで、大量に安く材料を用意できる人が、
その材料から生産物を作るための労働力を雇って働かせます。
それが資本家です。
資本家は、パンを十個作る『労働量』そのものを安く買い、
本来より安くパン十個を手に入れて売ります。
こうして、労働の価値が下がりました」
男「いいですよ。
労働力の価値を決めるのが、
物ではなく、資本家の判断になった事がきっかけですね。
その考えから、労働者運動の発案者は、
どのように主張を行いますか」
人が金銭によって使われる事なく、
金銭を使う事によって豊かさを得られる社会を目指しています。
具体的には、富の共有や平等な分配です」
男「はい。では、その発案者の名前。
そして代表的な著書を、年代入りで」
生徒6「K.H.マルクスさん、1818年から1883年です。
代表的な著作は、共産主義宣言と、資本論で、
前者は1848年、後者は1885年から1894年です」
男「その通りです。
現在、彼の目指した共産主義を実践する国家はありませんが、
大きな力を持った思想なのは確かでしょう」
きーんこーんかーんこーん
男「というところで、時間ですね。
質問があれば、一時間程度なら教員室にいますので、
聞きに来てください。
もちろん、近代史以外でも大丈夫です」
生徒たち「「「はーい」」」
一日目 塾教員室
男「はい、では、このレポートは預かりますね。
次回の授業後に評価を伝えましょう」
女生徒「はい、お願いします」
男「努力している人は好きですよ。
応援させてもらいます」
女生徒「はいっ!」
たったった
男「これで、質問も終わりですかね。
くっ、ふー」せのびー
黒髪「授業お疲れ様です、先生」肩もみもみ
男「ん、おや、黒髪さんですか」
黒髪「いつも通り、丁寧な授業で助かります」もみもみ
男「それが仕事ですので。
黒髪さんも、お金を払っている生徒さんですから、
こんな事はしなくていいんですよ」
黒髪「これは趣味ですから」もみもみ
男「単純に趣味ですか?」じっ
男(黒髪さんにしては分かりやすい)
男「……ずいぶんお上手ですね」
黒髪「お父さんの御機嫌取りのため、
ずいぶん勉強しましたから」もみもみ
男「はは、それはご苦労様です。
それで、質問ですか?」
黒髪「帰ろうとしたら、
先生が疲れた様子だったので気になって」もみもみ
体はだんだん重くなる物でしてね」
黒髪「先生おいくつでしたっけ?」もみもみ
男「今年で三十路に」
黒髪「やだ、もうちょっと……」もみもみ
男「もうちょっとなんですか?」
黒髪「……先生ってふけ顔ですね」もみもみ
さて、あまりこうしているのも良くありません。
御用がなければ、今日は帰りますが」
黒髪「あぁん、もう冷たいですね」くねくね
男「わざとらしいですよ」
黒髪「わざとですから。
そういえば、先生ってひどいですよね。
猫の声がするとか言って」
男「本当に猫の声を聞いただけですよ」
黒髪「あの時隣にいたじゃない。
猫なんて居ませんでしたよ。
ここ、防音しっかりしてるから、
猫の声なんて聞こえる場所じゃなし」
黒髪「まったく。それこそわざとらしい。
ところで、彼女、どうですか?」
男「例の巣篭りさんですか」
黒髪「可愛いでしょ」
男「嫌いなタイプではありませんが。
そういう話ではありませんからね」
黒髪「ノリが悪いわね。
折角、カウンセリングが出来るって聞いて、
ひきこもりの彼女に先生を紹介したのに、
なんでガンダムとか話してるんですか」ぷぅ
女性では媚びているように見られて、嫌われませんか?」
黒髪「見られなければいいのよ。
たまには可愛らしいぶりっ子をしてみたい時もあるの」
男「そういうものですかね。
お約束として、わたしは頬を突くべきでしたか?」
黒髪「それはイヤ」
男「難しいところで」
それで、巣篭りちゃんはどうです?」
男「わたしは友人として紹介されましたが、
カウンセリングの相手として依頼されたわけでは、
ありませんからね」
黒髪「むう」
男「そういう話をする時期では、まだないですよ。
ただでさえ顔を合わせない会話は難しいものですから」
黒髪「顔を合わせられるなら、
ひきこもりになんて成らないわよ」
とりあえず、また別件で、
ひきこもりの子のお相手をすることになりましてね。
こちらはお仕事で」
黒髪「あまり熱心にコチラの事情にかまえない、ですか」
男「少し忙しくなる、程度です。
カウンセラーとしてのわたしに頼みがある、
と云われたときに断っていれば、話は違いましたが。
一人の大人として、関わることにしましたからね。
それなりに責任を自覚しながら行動しますよ」
黒髪「甘いですね、先生」
黒髪「否定はしませんわ、ふふ」
男「たくましいことです。
それでは、そろそろビルも閉じる時間です。
また次の授業でお会いしましょう」
黒髪「あら、twitterではかまってくれないんですか?」
男「気が向けば、お相手しましょう」
黒髪「楽しみにしています」にこっ
とことこ
どうにも、彼女のお相手は楽ではないですね」
友「おつかれーって、どうしたよ、男」
男「お疲れ様です。
今まで黒髪さんと話していましてね」
友「特別親しいって、例の生徒か。
ウチの生徒に手ぇだすなよ?
って、にらむなよ、冗談だ」
男「にらんでいませんよ。真顔なだけです」
もし良かったら、この後どうだ?」くいっ
男「そうですね……
深夜までは少し時間が有りますし、
少しで有ればお付き合いしましょう」
友「よし。じゃ、男の車で、
いつものトコ行こう!」
一日目 居酒屋
友「いやー、やっぱ、
仕事の後はビールだなっ!
って、またお前、日本酒かっ」
男「ビールは口に合いませんからね。
いつもの事でしょう」
友「俺がツッコミ入れるのもいつもの事だろ。
んで、さあ、話せ! 吐け!
俺に砂を零させろ!」
男「なんの事ですか?」
お前の仲だよ。
高校の時からなんだかんだ一緒にいるが、
あれだけ仲がいい女なんて、いなかったろ」
男「失敬ですね。
何人かお付き合いもしていましたよ」
友「でもって、
『律儀すぎて、お付き合いしてる気がしないの』
なんていわれて、毎回俺が痛飲に誘われてな!」けらけら
男「……」
友「あー、悪い」
男「悪気がないのは分かっています」
友「そう、悪気はない!」
友「そう、頭が――ってなんでやねん!」
男「とりあえず、黒髪さんについてですが、
特別親しいという事はありませんよ。
わたしにとっても、彼女にとっても」
友「ん? そうは見えなかったが」
男「彼女の友人に引きこもっている子がいるということで、
ちょっと相談に乗ってあげて欲しいと云われましてね。
なんでも、元はわたしの勤めていた、
あの中学校にいた生徒だとか」
友「あー、そこに責任感感じちゃう?」
男「多少は」
一介の個人塾にすぎないウチまで、
悪評が漂ってきてたからな」
男「恥じ入るばかりです」
友「お前は恥じるなよ。
そこに反発して辞めるなんざ、漢だろ」
男「子供のような所業でしょう」
友「んで、その、
お前さんにとっての『恥じ』につけいれられて、
友人の面倒を見てくれと」
わたしがカウンセラーの資格を持っていると聞いたようで。
自分の世界にひきこもった友人との付き合いに、
助言を求めに来ただけでしたが、
わたしの方が放って置けなくなりまして」
友「……ホントに、不器用だな」
男「ありがとうございます」
友「褒めてネェから!」
男「不器用は、褒め言葉だと云ったのは友さんですよ?」
友「そうだっけか?」
男「教育委員会ににらまれたわたしに、
ウチで働けと声をかけてくれた時、
理由をきいたら『見捨てられネェからな』と云いましてね。
わたしが不器用ですねと云った時、
そう、返されました」
男「御迷惑をおかけして……」
友「おう。大迷惑だ!
俺より教えるのがうまいだの何だの、
なんで女生徒の質問者はみんなお前に行くんだ!」
男「……」
友「せっかくジジイのやってた塾継いで、
女子高生うっはうっはな、
俺様パラダイスだったのによ。
奥様は女子高生計画が台無しだ!」
男「……そうですか」
あーくそ、酒飲みながら顔色一つ変えやしねぇ」
男「飲まれるようでは未熟ですからね」
友「せっかく、
お前が来てから塾の人気が上がったとか、
生徒が口コミで増えて嬉しい悲鳴だとか、
言ってやろうと思ったのによ」
男「……照れくさいですね」
友「だろ? 酔った方がいい時もあるってもんだ」
男「あなたの隣にいるのが照れくさいです」
友「ぶふぅっ、な、な、なに言ってやがる」
男 ふきふき
友「あ、悪い……だが、その、なんだ、
男同士でそういう趣味は、俺には……」
友「もげろ!」
男「元気ですねぇ……」
友「お、俺の純情が弄ばれたっ……」だだだっ
男「どこに行く気ですか……
って、お手洗いですか。
まったく騒がしい……」
男「しかし、その騒がしさに、
昔から救われていますからね……」
男「それにしても。
ひき娘さんに、巣篭もりさん……
他にも多くの子供たち。
これからの日本、いえ世界を担うべき子供たちが、
自分の世界に閉じこもらなくてはならないこの『今』……
なんとも、なんとも悲しいですね」くいっ
二年前 中学校校長室
校長「ふむ、では男くん、
君が生徒に暴力を振るったと、
肯定するのかね?」
男「はい」
理事「まあ! なんてことザマショ。
そんな恐ろしいことをして、
悪びれもしないなんて」
男「恐ろしい、ですか」
理事「当然ザマス!
ウチの息子は、
顔に真っ赤な痕をつけて、
帰ってきたんザーマス!
きぃぃ、思い出しただけで、
はらわたが煮えくり返る思いザマス!」ぜぃぜぃ
教育委員会理事様。
どうか落ち着いてください」
理事「きっ」じろり
校長「……う、むむ。
とにかく男くん。
暴力事件はまずいんだよ」
男「そうでしょうね」
校長「ここは、ホラ。
僕も一緒に頭を下げるから、
誠意を込めて、理事様に謝罪しよう。な?」
男「……」
校長「君だって将来を嘱望される身だよ。
まだ、えっと、二十八だったかな?」
男「はい」
たしか論文も出していたね。
大学も、旧帝大だとか。
運がよければ、あと数年で校長への道もあるって。
それを台無しにするのは、良くないよ」
男「つまり、
校内で暴力を振るっていた生徒に対し、
指導を行ったことを謝罪せよと、
校長はそうおっしゃっていますか?」
校長「いやぁ。それはね。
指導はいいよ。
でも、暴力はやりすぎじゃないかい」
男「では、何によって彼らは、
自分達の行為の重さを知ることができますか。
人を、その身体を傷つけ、暴言で弄り、
笑っていた彼らに」
男「そうして卒業してくれるのを待つわけですか」
校長「言い聞かせきる前に卒業してしまうのは、
遺憾だが仕方の無いことだよ、男くん」
男「……」
校長「普段は冷静な男くんらしくもない。
なぜそれほどムキになるんだね」
男「わたしには、
そのような消極的手段で、
一生の傷を負う生徒達を守れるとは、思いません」
ウチの子は、信頼する先生のあなたに暴力を振るわれて、
一生残る心の傷を負ったザマス!
どう責任取るザマスか!」
男「では、アナタのお子さんが、
他の生徒を傷つけたことについても、
正しく責任をとる必要があることを、
誰が教えますか?」
理事「そんなのは誤解ザマス。
ウチの子に限って、そんな事はありません」 キリッ
校長「なあ、男くん、頼むよ。
つまらない意地を張っていないで、
キチンと謝罪をしてくれないかねえ。
わたしの任期中にこの学校で事件なんて困るよ、
まだローンもあるし、娘も社会人になってないんだ」
男 ぎり……っ
理事様も悪いようにはしないはずさ。
ですよね、理事様」
理事「それはウチの子が決めるザマス。
許せる態度の謝罪であれば、
節度ある親としてひきさがるザーマスヨ」
校長「な、ほら。謝って来よう」
男「何を……」ぐっ
校長「決まっているだろう。
君が暴力を振るったことをだよ」
男「何をいってるんですか、あなたたちはっ!!」
校長「……」
入院していると聞いている!
にも関わらずその子を嘲笑い、
説得からも逃げようとした奴らを、
改心させるために振るった平手に、
何の謝罪だ!」
理事「そ、そんな事実はないザマスよ!」
校長「ウチはそんな危険な場所じゃないよ。
その生徒さんは、足を滑らせたのさ。
めったな事は言わず、
今ならまだ間に合うから、ほら、なっ」
男「……もみ消す気か」ギリリッッ
男「ふざけないでください……」ジロッ
男「コレが今の教師ですか。
コレが今の教育なんですか!」
校長「そうだよ。
そんなねぇ、若くないんだからさ。
現実を見よう。
教師が手を上げれば保護者が動く。
保護者が動けばマスコミが、
マスコミが動けば、社会が動くんだよ。
今時、教育的指導なんて言葉ははやらないんだ」
男「……」
男「なら、わたしは今日から無関係です……」
校長「へ?」
男「わたしは否定します。
そんな教育を。こんな現場を」
校長「辞めるのかい?」
男「当然です」
校長「……そっか。わかったよ。
コッチで処理はしておくから、
今日中に荷物をまとめていって欲しいな」
男「分かりました……」くるっ
ばたん
彼、流行のツンデレってヤツなんでしょうか。
大変申し訳なく思っているようですが、
素直になれなくて、
引責辞任もあんな言い方なんですよ」
理事「引責辞任なんて、そんなの!
明らかに反省の色もなかったザマス!
これはもう、知り合いの新聞記者に書いてもらうザマス」
校長「いやぁ、それは困るんです。
理事様も、困るでしょ?
イジメの証拠が、もし、万が一出てきたりしたら」
理事「なっ、そんな事はウチの子は関係ないザマス!」
実は、その現場を見たという教員、生徒はいましてね。
なかなか、派手にやっていたようで……」
理事「そんな事は……」
校長「若さの暴走っていうのは、あるものです。
ここは一つ、事故って事にしては、くれませんかね?」
理事「……」
校長「教育委員会の理事様の息子さんが、
暴行傷害なんて、大見出しですよ?
あなた自身も、危なくなってしまいます」
理事「……しかたありませんわね」
校長「いやぁ、お話が通じてよかった、よかった。
大丈夫ですか? お顔の色が優れませんが。
良ければ保健室で寝ていかれませんか」
わたしも、失礼するザーマス!」どたどた
ばたん
校長「……ふぅ。
若いのは嫌いじゃないけどねぇ。
僕に関係のないところで、やって欲しいよ。
そう、ドラマの中やなんかでやって欲しい」
校長 ピポパポ
校長「ああ、守衛くん。
お客さんがお帰りだから、
うん、お車までお見送りしてあげてくれないかな?
僕を置いて出て行っちゃってね」
校長 がちゃ
校長 ぎしぃっ
校長「まったく。
現場と保護者と自称有識者と。
それぞれ鮫みたいに僕をにらんでくれる。
鮫皮にそんなにこすられちゃ、
すぐに僕なんて削りきられちゃうよ」
三日目 男の部屋
ちゅんちゅん……
男(……夢、ですか)
男 せのびー
男(もう二年。
まだ、二年でしょうか)
男 ふらふら
男(顔を洗って、
着替え、食事……)
男(啖呵を切って出てきたものの、
喧嘩の相手が教育委員会理事ですからね。
それが公然の秘密では、行く先もなく……)
今頃飢え死にしていたか、
それとも日雇いになっていたでしょうか)
男 ばしゃばしゃ
男(今頃こんな夢を見て、
実は後悔していたのでしょうか)
男(……両親に顔向けできないとは、
今も思っていますが)
男(当時交際していた彼女も、
すぐに別れることに……)
男(でも、後悔は、
していないハズです)
それこそ後悔していたでしょう)
男(恥じることは、していません……)
男 ごそごそ
男(さて、ひき娘さんは、
ちゃんと宿題を終わらせているでしょうか。
少々多めに出しましたが……)
三日目 ひき娘の部屋前
男「では、今日の授業はココまでとしましょう。
お疲れ様でした」
ひき娘「お、お疲れ様、です」
男「疲れていらっしゃいますね」
ひき娘「うう、信じられないです。
百ページ以上の英語ドリルと、
数学の問題集も五十ページ……
徹夜して必死に終わらせたら、
さらに宿題が増えました」
終わらせたのなら、
一日あたりの換算量は、
むしろ少し減らしています。
多く見えるのは、次が三日後だからですよ」
ひき娘「ううう……」
男「今は三月で間に合いませんが、
次の入試には挑める程度にしたいですからね。
普通の人の倍以上の勉強は必要ですよ」
ひき娘「わ、わたし引きこもりなんで、
そんなに勉強しても……」
男「受験の有無はお任せしますが、
ひき娘さんにしっかりと学力をつけてもらう事が、
わたしの仕事ですので」
わたしの事をいじめて楽しんでませんか?」
男「藪から棒ですね。
なぜそのような事を?」
ひき娘「いえ、なんとなく声が笑っているような」
男「笑ってなどいませんよ……くく」
ひき娘「笑ってるじゃないですか!」
男「気のせいです。
さて、ではそろそろ、私は塾での講義のため、
失礼させてもらいます」
ひき娘「あ、はい……。
その、がんばってください」
徹夜は情報が劣化するのでお勧めしません。
適切に計画を立てて、宿題を終えてください」
ひき娘「絶対量が多いんですよ……」
男「そうですね。
がんばって今回の宿題を終えたら、
見直しを検討しましょう」
ひき娘「ホントですか?!」がたたっ
男「ええ。お約束します」
ひき娘「がんばりますっ」
男「では、がんばってください」すたすた
三日目 ひき娘の部屋
ひき娘「今回の宿題が出来たら、
量の見直ししてくれる……」
ひき娘「それなら、がんばらないと!」
———————————-
三日目 男の車
ぶろろろろ
男「ひきこもりをしているという事で、
打たれ弱い人だと考えていましたが。
いやいや、それほどでもないですね」
男「無理な量では無かったですが、
少しサボれば難しい量です。
案外、努力家な側面がありますか」
男「もう少し増やす方向で、
スケジュールの前倒しも有りですね」
六日目 ひき娘の部屋前
男「そういえば、ひき娘さん」
ひき娘「ひゃぃ……」
男「返事が死んでいますね」
ひき娘「……」
男「大丈夫ですか?」
ひき娘「らいじょうぶれす……
ちょっと、つかれたらけれす……」
もう少し手加減しましたが」
ひき娘「悪くなかったれすけど、
手加減ほしいれす……」
男「三時間にテスト四本は、
やはり少しやりすぎましたか……」
ひき娘「ぷしゅー……」
男「すみません。
普段で有れば顔色を見て判断しますが、
分からないとつい、
自分の学生時代が基準になりまして」
学生時代は……」
男「もう少し多かったですね。
基本的に自主学習だったため、
効率とロスを考えると、
量で補う形にならざるをえませんでした」
ひき娘「そ、そうですか……」
男「しかし、考えてみれば、
ひき娘さんは女性ですからね。
男性のわたしと比較して、
体力が無いのは当然です。
次回以降はもう少し、
ひき娘さんの体力を考えたペースで、
授業やテストを行いましょう」
ひき娘「うう、お願いします」
先ほど聞こうと思ったのですが、
ひき娘さんは好きなものなど有りますか?」
ひき娘「好きなもの、ですか?」
男「たとえば、イチゴやチョコレートなど、
甘いものは如何でしょうか」
ひき娘「好きですよー。
イチゴもチョコも。
でも、しばらく食べてないですね……
しばらく……ずっと……」
男「ひき娘さん?」
ひき娘「あれ……
引きこもってから、実は食べてない?」
確かにそうなるかも知れませんね」
ひき娘「うう、思い至らなかったら、
忘れていられたのに……」
男「……実は今、
ひき娘さんが勉強をがんばったご褒美に、
『イチゴミルク練乳・オ・レ
~とっても濃厚なお味を召し上がれ~』
というジュースをコンビニで買ってきていますが」
ひき娘 ごくり
男「飲みたいですか?」
ひき娘 こくこく
男「もしかして、首を振っていますか?
扉越しに雰囲気は伝わりますが、
見えないですよ」
男「では、お顔を見せてくれたら、
差し上げましょう」
ひき娘「……え?」
男「いい加減、
扉越しの授業は難しいですからね。
声も通りにくいので、
今日も何度か聞き返してしまいましたし。
警察騒ぎになった初日に、
少しだけお会いしたわけですが、
ここで改めて顔合わせをしましょう」
ひき娘「えっと、その」
男「もちろん、強要はしませんが」
その、顔合わせとかはまた、
いつか機会があればで」
男「しかしそうなると」
ひき娘「はい?」
男「私はこのジュースを、
廊下において立ち去ることになりますよね」
ひき娘「ですね……?」
男「実は祖父母から、
飲み物や食べ物を床に置くなと、
厳しく言われて育ったため、
床においていくのは抵抗があるのですよ。
いっそ自分が飲んだほうがと、思う程度に」
ひ、卑怯です!」
男「卑怯とはなんですか。
わたしの買ってきたジュースですからね。
どのように扱っても文句は言われないはずです」
ひき娘「それは、その、そうですけど……」
男「今年のイチゴは出来が良かったと聞きます。
季節限定のこのジュースも、
今だけしか味わえない最高の甘さと香りを、
という謳い文句でした。
実はわたしも興味があるから買いましてね……」
ひき娘「う、」
男「ちょっと、ストローを差し込んでしまいましょうか」
ひき娘「……」
実に芳醇な香りです。
みずみずしいイチゴの、
口いっぱいに広がる甘酸っぱさが伝わるような香り。
練乳のしとやかな風味もいいですね」
ひき娘 ごくり
男「やはり、わたしが飲んでしまいましょうか」
ひき娘「うう……」
男「お部屋から出なくなって、
いえ、人のいないお昼は出ているようですから、
人と会わなくなって、でしょうか。
既に二年ほどですか?」
ひき娘「はい……」
男「二年ぶりのイチゴ。
わたしであれば、大層おいしく感じるものだと思います」にやっ
男「それほど、わたしと会いたくないですか?」
ひき娘「そういうわけでは、
ないですけど……その、いろいろ」
男「ああ、そうでした。
女性には気にかける事がいろいろと、
有るようですからね」
ひき娘「そ、そうです!
だから、その、今日は……」
男「では、妥協案で如何ですか?」
男「姿を見せなくて構いません。
右手を扉から出していたらければ、
手渡ししましょう」
ひき娘「……その、
のぞきこんだりは」
男「レディの部屋を覗くのは、
紳士ではありませんね。
配慮しましょう」
ひき娘「…………うう、
それくらい、なら」
こそっ
男「では、どうぞ」
すっ
ぱたん
ひき娘「あ、ありがとうございます」
男「いえいえ。
それでは、今日はコレで失礼しますね。
次回は明後日です。
宿題はいつもと同じように、
扉の前においてありますので」
ひき娘「はい。では、その、
がんばってください」
男 とことこ
男(心理学的に、扉を開くという行為自体に、
距離を縮める、壁をなくすという意味があります。
こうして何度か扉を開くことを繰り返せば、
自然と距離も縮まるでしょうかね)とことこ
男(しかし、まるで小動物のような動きで……
鷹におびえる子猫や子ネズミのようでしたね。
からかってはいけませんが、しかし……)とことこ
六日目 ひき娘の部屋
ひき娘「……えへへ。
イチゴなんて久しぶり~♪」
ひき娘「あれ。でも、未開封って……」
ひき娘「なんていうか、
すごく手のひらで踊らされている感じだよね」
ひき娘「うう。
twitterで書いちゃお……」
六日目 TL:sugomori
megane:実は最近、
小動物を観察するのが楽しくて……
kuro:うーん……
meganeさんに小動物って、
イメージ違うかも。
megane:どんなイメージですか(苦笑)
kuro:どんなって言われても、
ちょっと分からないけど。
たとえば自然公園にデートで行っても、
動物とかに思考を割くくらいなら、
その間仕事について考えてそうな?
そこまで無粋な人間ではありませんよ。
月に一度、プラネタリウムに行くのが趣味です。
kuro:ちょ、そんなwwwwwwww
megane:そこまで芝を生やさなくても。
kuro:だってぇー。
meganeさんに星とか、
ロマンチックなのがすごく、
えーっと、ステキです☆
megane:おや、今度はこうもりが。
kuro:どっちつかずって事ですか?
megane:むしろ、真っ黒という意味です。
聞いてください(>_<*)
kuro:んん?
わたしとmeganeさんの愛の語らいをさえぎる、
すごいニュース?
sugomori:え、お二人って……
megane:わたしがからかわれるような間柄です。
kuro:えーそんなー。
あたし、からかってなんかいないですよ?(棒読み)
megane:御丁寧にどうも(苦笑)
kuro:で、なに?
じゃれてるだけだから、
気にしないでいいのよ?
sugomori:えっとね。
今日はまた、あの人が来たんだけど!
kuro:おおー。
竹取物語の求婚者みたいね。
sugomori:そういうのは、ないけど。
でもね! すごく意地悪だったんですよ!!
(ノω・。)
kuro:んー。
まあ、わかるかも?
sugomori:何がです?
sugomoriって、いじめて楽しいタイプだし?
あ、そうだ。
こんど遊びに行かせてよ!
いっぱい可愛がって、あ・げ・る♪
sugomori:Σ(・□・;;;
megane:む。
すみませんが、時間来たので、
今日は失礼しますね。
kuro:あ、あたしもー。
sugomori:そんな、
このもやもやした気持ち、
どうすればいいんですかっ!
sugomori:自家発電?
kuro:あー
sugomori:ググって来たほうがいい?
kuro:いやいやいや!
しないでいいから。
あんたはそのままでいいの。
うん。
sugomori:??
kuro:じゃ、わたしも行かないと!
sugomori:後で教えてくださいねー。
kuro:考えておくっ。
十五日目 ひき娘の部屋
男「はい、それでは今日の授業はココまで。
今日の範囲は重要なので、
よく復習しておいてください」
ひき娘「ううう、はいぃ……」
男「いつもそんな声ですね。
そろそろ半月です。
慣れてもいいと思いますが」
ひき娘「半月もこんな調子じゃ、
すぐ死んじゃいますよ……
がんばって生き延びてるほうです……」
ひき娘「で、ですよね……」
男「英単語テストも平均点が上がってますね。
基本千二百語は現段階で、
七割くらいでしょうか。
最初が四割だったことを考えれば、
悪くない上昇率だと思います」
ひき娘「おー。
それなりに上がってますか」
男「それなりに、ですがね。
この努力を維持して、
四月半ばにはマスターしましょう」
ひき娘「ううう……」
いえ、使い方を学んだという事でしょうか。.
中学一年生の範囲を中心とした基本総復習テストは、
九割ほど出来ていますね。
苦手な図形を補いつつ、
やっていない範囲がある二年生の範囲に、
足を踏み入れても良い頃でしょう」
ひき娘「よかった、
必死に思い出した甲斐がありました……」
男「国語については、
文法に多少苦手意識が見られますが、
それ以外は最初から高いレベルでしたね」
ひき娘「そうなんですか?」
そんな印象がありますね。
読書量の多さがそこに結びついているのでしょう。
特にすばらしいのは古文ですね」
ひき娘「あー……あはは」
男「どうかしましたか?」
ひき娘「なんでも、ないです。
褒めて貰ったのが久しぶりだから、
ちょっと浮かれただけです」
ひき娘(ネオロマにハマったから、
なんて言えないよー)
男「なるほど。
僕は出来るようになれば褒める主義です。
これからも努力すれば、
認めますよ」
もっと褒めて貰えるように、
がんばります」
男「はい。
では、今回は少し多めに宿題を出しましょうか」
ひき娘「ひぃ、ソレは許してください……」がたっ
男「冗談です。
では、無理しない程度に、
がんばってください」
ひき娘「はい……」
男「よっこいしょ……と、おややっ」ぐらっ
どたーん!
ひき娘「だ、大丈夫ですか?!」
大した事は……痛たた……」
ひき娘「…………っ」
かちゃ
ひき娘「………………」そっ
男「ああ、すみません。
心配をおかけして」
ひき娘「そ、その――」こそっ
男「実はちょっと、
腰を悪くしていましてね。
立ち上がり損ねてしまいました」
初めて見た時はただ、
泥棒だと思って怖かったけど、
優しそうな人)
男「よいしょ、つっ。
歳は取りたくないですねぇ」
ひき娘(そっか。
廊下で教えるって、
ずっとココで座ってるって事で)
男「どうして、
申し訳なさそうな顔をするんですか?」
ひき娘「あ、あの、その……」
男「はい」
男「ちょっと、深呼吸しましょうか。
はい、すってー」
ひき娘 すー
男「はいて」
ひき娘 はー
男「すってー」
ひき娘 すー
男「はいて」
ひき娘 はー
男「さらに吐いて」
ひき娘 っ、はー……けほっ
ひき娘「ひ、ひどいです……」じっ
緊張しているようだったので、つい」
ひき娘「う、うう……」(////
男「緊張は解けましたか?」
ひき娘「少しだけ……」
男「はい。
御心配をおかけしてすみませんでした。
ただ、お会いできて嬉しいですよ。
ひき娘さん」
ひき娘「あ……。はい……」
男「改めてはじめまして。
男と云います」にこっ
ひき娘「……ひき娘、です。
その、ずっと、廊下なんかで授業させて、
ごめんなさい」へこっ
コレも仕事です」
ひき娘「……」
男「さて、今日は失礼しますね。
そろそろ塾の授業の準備があります……」
ひき娘「はい。
その、えっと……」
男「どうしましたか?」
ひき娘「じ、次回は、その、
お部屋の片付け、しておきます」
男「……はい」にこっ
十五日目 黒髪の部屋
prrr prrrr
黒髪「はい。黒髪です」
ひき娘<あ、黒髪さん……>
黒髪「あら、こんばんは。
ひき娘から電話なんて、久しぶりね。
今日はtwitterじゃないの?」
ひき娘<うん。
その、久しぶりに、
黒髪さんの声が聞きたくて>
ふふ、何も出ないわよ?」
ひき娘<嬉しいの?>
黒髪「そりゃもちろんね。
人間不信しちゃってる子が、
自分から電話してくれるのよ?
嬉しいに決まってるじゃない」
ひき娘<別に、そんなんじゃ……>
黒髪「そんなんでしょ。
人間恐怖症のひきこもりだし、
いらない見栄張らなくていいの」
ひき娘<う、うん>
どうしたの?
声が聞きたかったの――とか、
そんな可愛い理由かしら」
ひき娘<えっと、その。
ちょっと話したいけど、
大丈夫?>
黒髪「いいわよ。
あ、ちょっとだけ、
雑用済ませてからでいいかしら」
ひき娘<うん。いいよ>
黒髪「じゃ、いったん切るわね。
改めて電話するから」
ひき娘<待ってるね>
つーつーつー
あの子が自分から電話、ね。
それにしても――」くるっ
黒髪「せっかくひき娘から、
電話もらったっていうのに……」
黒髪父「すまんな」
黒髪「いいわよ。
これでも外務省官僚の娘として、
心得ているわ」
黒髪父「その友人を待たせんためにも、
早々に済ませてしまおう」
黒髪「そうね。
それで、確認だけど、
ロシア外相との秘密会談について、
本当にリークするの?」
夕日新聞の政治部に渡せるか?
表向き、私にかかわりが無い場所が望ましい」
黒髪「できるわよ。
それなら、談合社のゴシップ雑誌にも声をかけるわ。
こっちも私のコネクションだから、
父さんにはつながらないし。
ロシアって事は、流すのは四島問題について?」
黒髪父「いや、不意打ち訪問とその接待についてだけだ。
四島問題はまだデリケートだから、
下手に触れればあたり一帯を吹き飛ばすぞ。
今のロシア駐在大使を追い落とすのが目的だ。
そこまでする必要はない」
黒髪「追い落とすの?
……もしかしてこの不意打ち訪問、
もう一つ何か裏があるの?」
親露派が接触を取って、
四島問題とレアメタル貿易について、
極秘会談が行われた。
ついでに、メタンハイドレートについても、
いくつか採掘技術の交換提案が有ったみたいだが、
まあ、それはどうでもいい」
黒髪「どうして?
地中のハイドレート採掘技術は、
日本ならかなり高い水準で実用化できるでしょ?
水中じゃないんだし」
黒髪父「日本の研究機関はスパイ対策が弱いからな、
手札なんぞ最初から相手に丸見えだ。
技術分野で日本が諸外国に対抗するには、
研究機関への意識改革からはじめねばならんよ。
ちなみに、会談は親露派から提案したらしい。
連中ははなから舐めきられていたのが印象的だったよ。
結局、大した会談にはならなかったようだ」
黒髪「……どこでそんな情報、
手に入れてくるのよ」
とりあえず今回は、
その親露派の男が駐在大使でなくなればいい。
各部に根回しをして、
不意打ち訪問自体をもみ消したつもりらしいが……
連中はまだまだ詰めが甘い。
せっかくの機会だ、使わせて貰おう」
黒髪「流しておくわ。
ホント、インターネットって便利ね。
確度が高い情報屋として、
あっさりコネクションが出来ちゃったわ」
黒髪父「不本意なように言うが、
違うだろう?」
黒髪「そうね。
刺激的で、楽しいわよ。
コネクションを作るのも、
父さんの仕事を継いで外務官僚になりたいって、
私の夢のためにとても有用ね。
だから、一部を除けば不本意じゃないわ」
黒髪「お仕事のお手伝いをする、
頭が良くて気が利いて可愛い健気な娘を、
お父さんが褒めてくれない事よ」
黒髪父「……わざとらしい事だ。
今度、休みが取れたら、
どこか連れて行ってやろうか?」
黒髪「どこにだって自分で行けるわよ。
そういう時は、
頭を撫でてくれるのが一番よ」
黒髪父「くく、そうか。
確かにそうだな」なで、なで
黒髪「……ありがと。
それじゃ、ひき娘が待ってるから」
黒髪父「確かに任せたぞ」とことこ
ぱたん
かたかたかたかた
黒髪「何が外務省のクロマクよ。
父親としては最低……」
かたかたかたかた
黒髪「ま、人としては嫌いじゃないから、
その点はいいけどね。
リークした情報は私のコネの維持材料になるし」
かたかたかたかた
たたんっ
黒髪「さて、用も終わったし、
ひき娘の声でも聞いて、
リラックスしようかしら」
ひき娘<はい、ひき娘です>
黒髪「お待たせ。
今良いかしら?」
ひき娘<うん。大丈夫だよ。
黒髪さんこそ、大丈夫?>
黒髪「父さんとちょっと話しただけ。
問題ないわ」
ひき娘<良かった。
えと、それで……
実はこないだ話したお客さんなんだけど>
黒髪「そういえば熱心に来てるみたいね。
その後どうなの?」わくわく
ひき娘<えっとね、
今日はじめて顔を見て>
黒髪「あんたが自分から顔出すなんて、
ひきこもってから初めてじゃない?
妬いちゃうわー」
黒髪「だって、
ひき娘ったら、親友の私に対しても、
今は会いたくないからって、
ずっと扉閉じきってたじゃない」
ひき娘<……まさか、
窓から入ろうとしてくるとは、
思ってなかったからね……>
黒髪「親友が人間不信で寂しい思いしてるのよ?
押し付けたくなるくらい、
あんたの事を大切に思ってる人がいるって、
とりあえず伝えないと」
ひき娘<おかげで、ちょっとだけ救われたからね>
黒髪「だって私が乗り込んだのよ?
人の一人や二人救われるわよ」
黒髪「どういたしまして。
それで、どうなの? その人とは」
ひき娘<えっと、その。
次に来たときには、
お部屋に入ってもらおうかなって>
黒髪「おおー、良いわね。
この二年で部屋に入るの、
二人目?」
ひき娘<うん。
お母さんはやっぱり、
ちょっとまだ距離があるからね……>
じゃ、とりあえず、
うまくいく事を願っておくわ」
ひき娘<うまくいくって、何が?>
黒髪「何かよ。
その出会いが良かったって、
言えるものになるように、とか。
イロイロね」
ひき娘<……うん>
黒髪「話はそれだけ?」
ひき娘<うん。聞いてくれてありがと>
黒髪「気にしないでいいのよ。
お礼は今度、ディナーでね」
ひき娘<えっ?!>
私としては嬉しいなー」
ひき娘<あ、お泊りしに来るの?>
黒髪「そう。小さい頃みたいにね」
ひき娘<うん。
たぶん、今なら、大丈夫……>
黒髪「よかった。
またメールとかで、
詳しい日とか決めましょう。
今日はちょっと疲れたから、
そろそろ寝る事にするわね」
ひき娘<おやすみ、黒髪さん>
黒髪「おやすみ、ひき娘。
いい夢見なさい」
つーつーつー
十七日目 ひき娘の部屋
こんこんこん
ひき娘「は、はひっ」とことこ
かちゃ……
男「こんにちは」にこ
ひき娘「こ……こんにちは。
……その、どうぞ」へこっ
男「……お邪魔します、と、
言いたいところですが、
本当に大丈夫ですか?」
緊張しますが……
でも、廊下で教えてもらうのは、
やっぱり礼儀として、
どうかとおもいますし」ぶつぶつ
男「それでも、必要以上に緊張しては、
身に付くものも身につきません。
もしお加減が優れないようでしたら、
わたしは構いませんよ?」
ひき娘「い、いえ。
大丈夫、です」
男「……それでは、
失礼して、お邪魔させていただきます」
とことこ
ぱたん
片付いているというより、
あまりモノが無いような。
置かれていた跡も見えません)
ひき娘「その、こちらに、
おかけください」
男「ありがとうございます。
ひき娘「その、粗茶ですが……」こぽぽぽ
男「ありがとうございます」
ひき娘「考えてみたら、
今までお茶もお出ししないで……
ごめんなさい」
実は今日も、自分の飲み物は買ってきていますからね」
ひき娘「はい……」
男「……」
ひき娘「……」
男(か、会話が)
ひき娘(会話が続かないですっ)
男「そ、それじゃ、
そろそろ勉強を始めましょうか」
ひき娘「は、はいっ」
男(予想よりも早く、
こうして隣に座ることができるようになりましたが……
話題にできるものが見つからず、
積極的に会話する子でもない……
わかっていましたが、これは難しいですね)
十七日目 ひき娘の部屋
男「では、ペンを置いてください」
ひき娘「はい。……ふぅー」
男 ぺらぺらぺらー
男 とんとんとん
ひき娘「何度やっても、
やっぱりテストは慣れないなぁ……」
男「そもそも、ひき娘さんには、
その絶対量が足りていませんからね。
学力の確認もありますが、
テストの経験をつむ目的もあります」
男「さて、今日はコレくらいにしましょうか」
ひき娘「え、でも。
今日はまだいつもの半分くらいしか……」
男「半分ではありません。
三分の二ですよ」
ひき娘「……やっぱり、いつもより少ないですよね」
男「御不満ですか?」にやっ
ひき娘「そういうわけでは、無いですけど。
ちょっと違和感があって」もじもじ
男「そうですね。
こうしてお話できる程度には、
まだ余力があるようです。
ただ、集中力はどうでしょうか」
男「いつもより誤答率が高いです。
それも、いつもより些細な点で。
普段隣にいないわたしがいること。
そして、寝不足でしょうかね?
少し眠そうに見えます」
ひき娘「その、ごめんなさい」
男「……何に対する謝罪ですか?」
ひき娘「えっと、
せっかく来てもらってるのに」
男「仕事ですから」
ひき娘「……」
男 ちらっ
男「まだ少し時間が有りますね。
もしよければ、少し雑談などいかがですか?」
ひき娘「雑談、ですか?」
……このお部屋の窓ですが、
この時間に日が差しこむという事は、
西と北にありますね」
ひき娘「えっと、
たぶん、そうですね」
男「窓の外を見る事はありますか?」
ひき娘「たまに、
電話をしながら、くらいですけど」
男「なるほど、
では今夜は北の窓に目を向けてみませんか?」
ひき娘「なにか有るんですか?」
男「四月はまだですが、
春の星座として、
こぐま座とおおぐま座というのがあります。
それが見えるんですよ」
男「わたしは歴史や神話に興味を持って、
民俗学を学ぶために、
大学に行きましてね」
ひき娘「民俗学……」
男「はい。
その国の人たちが何を思い、
どんな風に暮らすことを求め、
その歴史を積み重ねてきたかを見る学問です。
古い物や、人々の話、物語から、
その文化を読み解くのが民俗学です」
ひき娘「それが、どうして星座なんです?」
ひき娘さんはどうして、
星座なんてものがあると思いますか?」
ひき娘「どうしてって……」
男「わたしが生まれるはるか昔。
日本が日本と呼ばれる前から有るわけです。
それがどうしてかなんて、
想像することしかできませんがね。
テストと違って正解はありません。
想像してみてください」
ひき娘「…………」
男「…………」
ひき娘「ずっと昔の人ですよね、
星座を考えたの」
最古はエジプト文明だと言われています。
その流れを汲んで、メソポタミア。
そしてギリシアへ伝わった、といいます。
明確にいつから規定されたかは、
さすがに私も研究ノートを見ないと思い出せませんし、
また新たな発見によって更新された、
と云う可能性もあるので、言及は避けますが……
紀元前九世紀、ホメーロスの二大叙事詩で、
すでにいくつかの名前があります」
ひき娘「えっと、今は二十一世紀だから、
三千年まえかな?」
男「二千九百年前です。
コレはテストで出しましたよ」
ひき娘「はうっ」
男「一世紀は西暦1年から始まり、
西暦100年までを言います。
しかし、紀元前一世紀は紀元101年から、
西暦0年までをあらわします。
紀元前ゼロ世紀が無い分、
混乱が生じやすい部分ですね。
これは、再テストでしょうか」にやっ
ごめんなさい」
男「構いません。
来週に伝えるつもりでしたが、
再来週には今月のまとめテストの予定でしたから。
一ヶ月経って覚えている知識は、三割あれば上等です。
三度繰り返して、ようやく覚えきれるというところでしょうか。
ペースも速いですからね。
忘れても、覚えなおせば良いのですよ。
繰り返しこそが、力になります。
そして、わたしは何度でも教えますよ」
ひき娘「……はい」
男「さて、では話を戻しましょうか。
彼らはなぜ、星座を考えたと思いますか?」
ひき娘「…………えっと、必要だったから?」
ただ、足りません」
ひき娘「えーっと、えーっと……」
男「降参しますか?」
ひき娘「……はい」
男「必要だから、というのはその通り。
古代エジプトでは、
暦を作るうえで、星は重要な資料でした。
一年をかけてめぐってくる星を見分け、
その行き来で時期を明確にしたわけです。
そしてその覚え方として、
いくつかの星を一まとめにするという方法があり、
それが星座の始まりだと言われています」
ひき娘「はい」
……ロマン、ですよ」にやっ
ひき娘「ろ、ろまん、ですか」
男「目を閉じてください」
ひき娘「はい?」
男「目を閉じて、
深呼吸してみてください」
ひき娘「……はい」
ひき娘 すー、はー
男「いま、ひき娘さんは、
一面の広い昼の草原に立っています。
太陽の光に照らされた、
緑の豊かな草原。
深呼吸をするごとに、
ひき娘さんの想像する草原は、
少しずつ現実的になっていきます」
男「遠くを見つめれば、
小さく森があります。
そして後ろを見れば、遠くに山が。
それ以外は何もない、
たださわやかな風が吹き抜けて、
草が囁くばかりの草原です」
ひき娘「……」
男「草原を照らしていた太陽が、
ゆっくりと傾いて、
ひき娘さんの足元の影を伸ばしながら、
やがて赤く色を変えて、沈みます」
ひき娘「……」
男「そして空の青色が濃くなって、
広い空の向こうに、
ぼんやりと星が輝き始めます」
星なんて、見たこと無くて」
男「……想像でいいですよ。
さて、そんな時にあたりを見回して、
ひき娘さんには何が見えますか?」
ひき娘「えっと、草原と、森と、山と……」
男「本当に、見えますか?」
ひき娘「え?」
男「月が昇らなければ、
夜はひどく暗いものです。
近ければうっすらと見えますが、
遠くの小さな森などは見えませんよ」
ひき娘「……そっか」
空を見上げて、満天の星空があったら。
そして、毎晩やってくる夜に、
その星しか見るものがなければ」
ひき娘「星を見るくらいしか、できない」
男「そして、ふと気がつくんです。
いくつかの強い光を結びつけると、
何かの形になるのではないか、と」
ひき娘「そうやって想像を膨らませたのが」
今の星座の成り立ちです。
蝋燭も油も貴重だった時代。
人は日がくれると眠り、
日が昇ると目を覚ます。
それでも眠れない夜はあり、
また、眠りたくない夜もあったでしょう。
恋人と語り明かしたくなるような。
そんな時には空を見つめて、
きっと星を肴にお酒を飲んだり、
会話の手がかりにした事でしょう……
想像に過ぎませんが」ぽりぽり
ひき娘(少しだけ照れくさそうにわらって。
頬をかく仕草が、子供みたい)
春の星座であるこぐま座は、
そんな紀元前九世紀、
ホメーロスが見ていた星です。
その二千九百年。
どれだけの人たちが、
何を思ってその星を見つめたか。
それを思うだけで、
なんとなく幸せになったり、
切なくなったりしませんか?」
ひき娘「……はい」
男「そして、星座には、
神話をはじめとした様々な物語があります。
実は、有名な星座の神話には、
少し悲しい話が多いのですよ」
ひき娘「そうなんですか?」
おおよその実感として。
そこからまた、
僕達民俗学者は想像するんです。
その神話が生まれた時代の人たちが、
どんな物語をこのんだのか。
どんなものを使っていたのか。
どんな神を信仰していたのか。
そうした神話は、
二千九百年かけた長大な伝言ゲームです。
同じ星、同じ神についての話でも、
どの民族が伝えたか、
伝えられた先の民族の文化や、
風習、その時の流行によって微妙に変わり、
同じ神話でも大きな違いが生じます。
想像して、その想像を裏付ける証拠を集めるわけです。
その伝わり方の違いからも、
それぞれの人たちの事がわかるわけですね」
すごく不思議ですね」
男「もっとも、星座の基本は同じです。
星をつなげて、その形から想像する。
つなげた形から、その星を覚える」
ひき娘「はい」
男「実は、現代でも、
多くのある職業の人たちが、
星座とその逸話を作っているんです。
どんな人たちだと思いますか?」
ひき娘「う……
今度こそあてたいけど……」
男「……」
男「少し意地悪な話ですからね。
答えは、教師です」
ひき娘「……先生、ですか?」
男「その通りですよ。
国語、英語、歴史、地理、
倫理、政治・経済、
数学、地学、化学、
物理学、生物学……
これらの教科は高校で触れますね。
そして、この中にはそれぞれ、
単元ごとに違う名前の星が詰まっています」
ひき娘「その星をつなげて、
名前をつけて、逸話を?」
系統立てて、掛け算は足し算の発展だとか。
高校で倣う三角関数の問題には、
中学生が習う、三角形の相似形の問題が隠されているとか。
そうした話をするわけです。
でも、それだけじゃ、ないんですよ」
ひき娘「違うんですか?」
男「コレは私の恩師の言葉ですがね。
『学問とは、星の発見のようなものだ。
まずは肉眼で見てわかるものを、
人は結びつけた。
次に、望遠鏡を手に取った。
やがて宇宙から眺めるようになる。
そこには一歩一歩の積み重ねが見えるはずだ。
そして星座という形でその連なりが見えるはずだ』と」
男「いま古代ギリシアの星座の話をしましたが、
この古代ギリシアという『歴史』の一ページと、
天文学――高校生では『地学』として学ぶ分野が、
後で学んで貰う『三角関数』という『数学』に、
結びつくことになります。
古代ギリシアには、
ピタゴラスという人がいるのですが、
知っていますか?」
ひき娘「えっと、ピタゴラスの定理って、
名前だけは」
三つの辺、辺a、辺b、辺cによってできる、
直角三角形の三辺の比率は、
cを斜辺(直角に触れない辺)とすると、
aの二乗とbの二乗を足したものが、
cの二乗と一致するというものです。
そして彼は数学者であると同時に、
哲学者でもあり、音楽家であり、宗教家でした」
ひき娘「え、え……」
そういう考えだったのです。
だから、音楽家でも宗教家でも数学家でも、
彼の中では矛盾してないんですよ。
そして、そのピタゴラス的な考えは、
当時のギリシアではとても流行しました。
数学という証明手段で、
それまで神の恩恵と呼ばれていた、
世界の神秘を知ることこそが、
一つの信仰の形となったのです。
そして、そんな考えを受け継いで、
星がどうして空を回るのかを考えたのが、
ヒッパルコスという、
紀元前二世紀の学者です。
星がどうしてどのように回るのか。
それを、数学的に考えるために、
『ピタゴラスの定理』や、
ひき娘さんが今苦手にしている、
『三角形の相似』を整理、研究されて、
『三角関数』が生み出されました」
ひき娘「うわ……」
星座は見えましたか?」
ひき娘「うん、あ、はい。
なんとなく、それまではただの計算で、
三角形の相似とか、
使わない無駄なものみたいだったのに」
男「現代ではあまり使いませんが、
特に図形の三角法を先に学ぶのは、
そこから派生した物が多いからです。
日本史でやりますが、
十八世紀から十九世紀にかけて、
伊能忠敬という人が、
日本中を歩いて地図を作っています」
ひき娘「あ、それは小学校とかでも、
ちょっと見た気がしますよ」
正しく測量するために駆使したのが、
先ほどの三角法でした。
それによって、
現在使われているものとほぼ変わらない、
高精度な地図が作られています。
つまり、つい二百年ほど前まで、
三角法による測量は現役だったんです。
コレは『歴史』と『地理』の分類ですね」
ひき娘「すごい。
どんどんつながって……」
『歴史』で大航海時代と呼ばれる十六世紀末。
スペインが他の国を差し置いて、
黄金があふれる新大陸と呼ばれたアメリカと、
頻繁に交易することができたのは、
その測量技術が優れていたからです。
大航海時代は多くの人々が海を行きかい、
その人たちは、
自分達の文化を他に伝え、
また他の文化を持ち帰る役目もありました。
彼らがその往来によって伝えたのは、
数学や言語学、医学、本草学などもそうですが、
神話や民間伝承などもその伝え広まった文化です。
そうして文化が混ざり合う中で、
いつの間にか人々は、
本来自分達が持っていた文化を忘れそうになります。
そこで、ソレを再発見するための研究が、
わたしが学んでいた『民俗学』なのです」
ひき娘「ぐるっと、一周しちゃった……」
それぞれの各教科の系統立てた分類は、
参照する場合には非常に有効です。
また、テストをする場合にも有効です。
しかし、人の記憶は、
星の位置だけを覚えることには向いていません。
人の記憶が覚えるのは、
星のつながりであり、
そのつながりを覚える補助として、
物語や歴史があります。
星を見るだけなら、誰でもできます。
しかし、そこに星座というつながりと、
その物語(ロマン)を伝えられるのが、
教師なのだと、わたしは思っています」
ひき娘「…………」
ひき娘 ぽけーっ
男 手ふりふり
ひき娘 はっ、びくっ
男「どうしました?」
ひき娘「そ、その。
今まで勉強したのが、
全部そうやってつながってたらって、
そう考えたら、すごく、
すごいなって気分で……」あせあせ
男 にこっ
ひき娘「今日は、その、
先生が帰ったら、星を見てみます!」
男「はい」にこっ
次は週明けなので、三日後ですか」
ひき娘「あう……」
男「残念ですか?」
ひき娘「その、勉強が楽しそうかもって、
お話を聞いて、そう思ったんですけど」
男「では、多めに宿題を出しても平気ですね」
ひき娘「へ?」
男「このドリルの後半のまとめ全てと、
それから、英単語も今回は多めにやりましょう。
後は歴史の資料集のここからここまでを読んで、
重要部分をまとめてください。
後、ここからここまでの漢字の暗記と――」
そんなにあったら寝られないですよ!」
男「大丈夫ですよ。なんとかなります」にぃっ
ひき娘(意地悪な笑顔だっ。
この人、悪人ですよっ。
今更だけど悪い人ですっ!)
男「がんばったら、
御褒美があるかも知れませんよ?」
ひき娘「え、えっと、それは」
男「がんばってからのお楽しみです。
それでは、失礼しますね」
今日もありがとうございました」
男「いえいえ。仕事ですから」とことこ
ぱたん
ひき娘「……」
ひき娘「ご褒美かぁ……
ちょっと楽しみだし、がんばろうかなー♪」
ひき娘 かきかきかきかき
ひき娘「……そういえば、
最後は殆ど緊張しなかったかも。
もしかして、大進歩?」
ひき娘「えへへ……」
ひき娘 かきかきかきかき
十七日目 男の車
ぶろろろろ
男「さて、進行度は順調ですね……」
男「今日の遅れも、
宿題で取り戻してもらえそうですし、
問題だった空気も、
何とか保てましたか……」
男「一番の懸念でしたからね。
やはり教師と生徒には、
信頼関係は必須ですよ」
男「信頼関係……」
男「ふっ……」
男「どうなりますかね、この後は」
二十日目 ひき娘のへや
ひき娘 かきかきかきかき
男「……終了五分前です」
ひき娘「はいっ……」
ひき娘 かきかきかきかき
男(やはり、良いですね。
わたしがいる事にさえ慣れれば、
コレだけの集中力が出せる……)
ひき娘さんの集中力は良いですが、
この程度ならまだ、他の生徒さんでも……)
男(しかし、ひき娘さんには、
他の人の数倍するハンデがある)
男(人間が、怖いという)
pipipipi pipipipi
男「はい、ではペンを置いてください」
ひき娘「……はいぃ」べちゃぁ
気が抜けるのはわかりますが、
抜きすぎはよくありませんよ」
ひき娘「あ。そっか、はい……」ごそごそ
男「わたしが隣にいること、
忘れていましたか?」
ひき娘「忘れていたというか、
気にしている余裕が無かったというか……
だいたい、先生のテストはひどいですよっ!」
男「はい?」ぱちくり
ひき娘「一つの単元で百問以上あるって、
すごく多いですよ……」
男「ああ、その事ですか。
たしかに、この手のテストでは多いですね。
しかし、意味はあるのですよ?」
男「いやですね。
わたしは誠意ある教師ですよ。
意地悪なんてとんでもない」にぃっ
ひき娘(絶対ウソじゃないですか。
そんな意地悪な笑顔で!
わかっててやってるあたり、
先生はもう、ひどい人ですよ)
男「それに、その百問以上のテストですが、
私はその問題を作って、
かつソレを採点までしているわけです。
手間としては私のほうが多いですよ」
ひき娘「あ、そっか……」
簡単なものから難しいものまで織り交ぜて、
得点式ではなく、
正答率でいつも判断していますね」
ひき娘「はい……。
だから、百点とか無くて」
男「百点は無くても、百パーセントはありますがね。
しかし、言いたい事はわかりますよ。
やはり得点というのは、頑張る目安にしやすいですからね。
ただ、わかった上で、コレが良いと言いましょう」
ひき娘「どういうことです?」
男「今回の三角形に関しての数学のテストは、
百四十問ですか。
それを一時間でやって貰ったわけです。
一分に二問でも間に合いませんが、
一分に三問なら、おおよそ四十七分。
十分以上の時間が余ります」
ひき娘「……計算上は、ですけど」
一分五問程度が目標ですからね」
ひき娘「……」うるうる
男「さて、採点が終わりましたよ。
現段階では、と注釈がつきますが、
正答率は七割で悪くありません」
ひき娘「でも、やっぱり、
全部正解って、できないですよ」
男「現段階であれば、
解ける問題だけを集中して解けばいいです。
いずれ、イヤでも全問正解になります」
ひき娘「イヤでも、って。
どういうことです?」
こうして毎回科しているテストは、
市場に出回っている各社の問題集や、
模試で使われた問題、
日本各地の高校入試問題から、
数字だけを変えたものなんですよ」
ひき娘「高校入試って、
そんな、初めて半月じゃ解けませんよ……」
男「そんな事は有りませんよ。
見てください。
コレとコレと、それからコレがそうです。
きちんと解けていますね」
ひき娘「ホントにコレ、
入試問題なんですか?」
男「本当ですよ。
誤解されることが多いですが、
入試程度で出題される数学問題は、
基本的に練習量で対応できます」
数学って頭の回転が速くないとって、
よく聞きますよ」
男「否定はしませんが、肯定もしかねます。
たとえばひき娘さんは、
全く新しい料理、と云うのを知っていますか?」
ひき娘「えっと、
たまに遊びに来てくれる友達が、
そんな宣伝のついたお菓子とか、
買ってきてくれますけど……」
男「では、たとえばそのお菓子が、
焼き菓子だったとしましょうか。
たとえば、納豆とケチャップ味のマドレーヌなんて、
新しいと思いませんか?」
ひき娘「うっ……
新しいは新しいですけど、
食べたくは無いですね」
ひき娘「そんなのを思いつくの、
先生だけでいいです……」
男「そういう話ではないのですが……
それにわたしだって悪食じゃありません。
ソレは美味しくなさそうだと思います。
この『納豆ケチャップ・マドレーヌ』というのは、
納豆も、ケチャップも、マドレーヌも、
全て既存のものですよね?
それなのに『新しい』のでしょうか」
ひき娘「……確かに、
材料はぜんぜん新しくないですけど」
男「ちょっと例えが悪かったですかね……
要するに『見たことが無いもの』というのは、
たいてい『見たことが有るもの』の、
新しい組み合わせに過ぎないのですよ」
ひき娘「でも、納豆ケチャップは、
マドレーヌに合わせちゃダメですよ」うるうる
どうですかね?」
ひき娘「……それなら、ちょっと美味しそう?」
男「実際にありそうですがね。
これにしても、あんこもきな粉もマドレーヌも、
全て既存のものに過ぎません。
しかしコレを考えた人がいたら、
今までにない物を考えた人、と呼ばれます」
ひき娘「確かにそうだと思いますけど……」
男「数学の問題だって同じですよ。
特に高校入試程度の問題なんて、
今までに見たことがない材料は使われません。
全て、既存のものの組み合わせです。
その組み合わせ方や、使い方に新規性が見えても、
落ち着いてよく考えれば、
どれも見たことがあるもののハズなんです。
たくさん、問題を見ていれば」
先生が山ほど問題を出すのは、
見たことがない問題を無くすため、ですか?」
男「そういう事です。
詰め込みとか批判されるかも知れませんが、
道具を使いこなせるようになるには、
理論を学んだ後にしっかりと経験をつむ事が重要です。
そのためには、
宿題という形で授業の予習を多く行って貰い、
授業時間はその穴埋めと復習、
そして使い方の実習を行うわけです。
そして、高校入試程度であれば、
問題を出す側にしても、
どの道具を使ってよいかという幅が狭く、
新しい組み合わせなんて、無いに等しいです。
つまり、新しい組み合わせが無くなるまで、
既存の組み合わせに習熟することで、
イヤでも誤答が無くなるというわけです」
非効率的なのか、わからないですね」
男「テスト勉強に王道はありません。
王道とは近道の事です。
教師がどこに星があるかを示して、
それを覚えるための物語を提示しても、
その星の使い方を知らなければ、
意味がありませんからね」
ひき娘「でも、
そんな事、学校じゃ教えてくれまないですよね……
知ってたら、もっとがんばりやすかったり、
もっとテストで点が取れたりするのに」
でも、ちゃんと教えているはずですよ。
『努力をすれば報われる』と、
オブラートに包んだ話し方になりますが」
ひき娘「その努力って、
何を、どんな理由で、
どういう方法で努力すればいいかが、
わからないですよ……」
男「仕方ありません。
これは私だって、
教員をしていた時には、あまり考えませんでしたから」
ひき娘「……先生って、学校の先生だったんですか?」
数年前まで、この近くの学校で教師をしていましてね。
いろいろ有って、今の塾に転職したんです。
教員のときの私は、
いかに勉強が楽しいかをと伝えるのが使命だと、
そう思っていました」
ひき娘「ちがったんですか?」
男「違ったようです。
確かに、あの先生の授業は面白いと、
そういってもらう事は嬉しかったですがね。
保護者さんや生徒さんには、
それでもテストの点が取れなければ意味が無いと、
そう言われた方が多かったですよ」
ひき娘「せっかく、
楽しい授業をしてるのに」
楽しい話をしようと思えば、
そんなものはたくさん出てくるのです。
そういう意味では、
私はまだまだ未熟なほどに」
ひき娘「そ、そんな事ないです。
先生の解説、面白いし……」
男「ありがとうございます。
ただ、授業の面白さなんて関係なく、
与えられた指導要綱にしたがって、
一定程度の能力を持っている生徒が、
一定以上の割合でいるクラスを量産することが、
いまの教員の役割のようです。
そして、それ以上を望むなら、
塾などを頼るべきだと」
男「まさに工場ですよ。
塾はさしずめ、上級工場。
家庭教師はオーダーメイドの工房ですか。
どれも、生徒を情報処理機械として、
生産する事が目的であることに、
変わりはない気はしますがね。
教員は、与えられたマニュアルに従って、
機械を動かすように、チョークと口を動かし、
流れ作業を繰り返す……
安定した品質の製品を大量生産することが求められる、
工業国家らしい指針です」
ひき娘「……」
勉強会に参加し、工夫を重ね、
より楽しんで貰えるように、
より人生に役立つようにと考えて、
そのために努力する人たちも多いです。
役所にだって、そういう人たちを応援しようと、
学校そのものを変えようとしたりするために、
努力する人たちがいます。
私もそんな教師で在りたかったんですが……」
ひき娘(寂しそうな目。
先生はまだ、そんな夢を諦めてないのかな?)
男「………………
……事件を起こしてしまいましてね」
ひき娘「事件、ですか」
pipipipi pipipipi
男「すみません、もう、
塾の授業が始まってしまいますので、
失礼します……」 ガサガサ
ひき娘「あ、はい……」
英語はここから、ここ。
歴史はこの章をまとめてから、
資料集を参考にこの事件についてレポートを。
漢字と文法のドリルは、
一年生の部分は全てやってください」
ひき娘「……」
男「できませんか?」
ひき娘「あ、いえ。大丈夫です」
男「では、これで失礼します」とことこ
ひき娘「ありがとうございます」
男「いえいえ、仕事ですので」へこっ
ぱたん
赤い光のせいなのかな……)
ひき娘(先生の顔がすごく、
すごく怖く見えた……)
ひき娘(ものすごく、
怒っているような、
同時に、泣き叫びたいのを我慢してるみたいな)
ひき娘(事件って、なに?)
二十日目 黒髪の部屋
黒髪「ふーん、それで私に?」
ひき娘<うん。
その、黒髪さんなら、
何か調べられないかなって>
黒髪「どうして私ならわかるのよ」苦笑
ひき娘<なんとなく、
噂とか、詳しそうだから……
その、知らないなら知らないで、
いいからねっ>
知らないはずなんだけどね、この子。
相変わらず人を良く見てるっていうか……)
ひき娘<黒髪さん?>
黒髪「そうね。
名前と特徴と、その人のいた学校について――
それだけわかれば、
ある程度なら調べられるわよ」
ひき娘<そうなの?
良かった……>
黒髪「でも、どうかしらね」
黒髪「今は辞めたけど、勤めていた学校で、
その人が起こした事件について知りたい。
その気持ちはわかるわよ。
私だって、
そんな風にあいまいで、
意味ありげな事を言われたら気になるわ。
でも、聞いていた限り、
その人はかなりしっかりした人よね?」
ひき娘<うん、すごく、大人な人>
大人であることが同じであるとは思わないけど。
まあいいわ。
後で用事があるなら、
そういう人は余裕を持ってタイマーを仕掛けるわね。
つまり、何をしたかという一言さえ、
言う暇がなかったとは思えないわ」
ひき娘<秘密にしてるのかな?>
不利益になるから隠しているか、
後悔してるからごまかしたのか、
大した事で無いから言わなかったか、
改めて言うつもりが有るから後回しにしたのか。
私が言うのもなんだけど、
ヒミツには相応の理由があるものよ。
それを暴き立てるなら、
暴く側にも相応の覚悟が必要よ。
後悔したり、怒ったり、悲しんだり」
ひき娘<……>
そんな覚悟はないでしょ」
ひき娘<……うん。そうだよね>
黒髪「悪い事は言わないわ。
忘れちゃいなさい。
で、相手が語ってくれる時が来たら、
思い出せばいいのよ」
ひき娘<……わかったよ>
宿題いっぱいあるんでしょ?
よく寝て、頭すっきりさせてから、がんばりなさい」
ひき娘<うん>
黒髪「それじゃ、おやすみ
――って、そうそう」
ひき娘<どうしたの?>
黒髪「一応、名前だけ聞かせてよ。
いつまでも、例のその人、じゃ呼びにくいわ」
男さんって、いうの>
黒髪「そっか。わかったわ。
じゃ、男さんと仲良くね」
ひき娘<うん。
あ、近いうちにまた遊んで欲しいな>
黒髪「いいわよー。
こないだのお泊りもまだしてないしね。
お菓子いっぱい持って、
お泊りしにいくわ」
それじゃ、おやすみなさい>
黒髪「おやすみ。いい夢みなさい」
つーつーつー
黒髪「……そうよねー、やっぱり。
時期が一致。
伝わってくる人格が、双方一致。
距離も近いし、行動時間に整合性有り。
男さん意外の可能性なんてないじゃない」
思っていたけどね。
因縁のある二人だから。
でも、それはもうちょっと先のハズだったのに」
黒髪 がさがさがさ
黒髪(計画表のリストでも、
後半年は時間が有るはずだった。
ひき娘がもっと人になれて、
少しくらいあの過去を思い出しても、
今度は人に頼れる位になってからって)
黒髪「でも、二人は出会った」
どこぞのクロマクさんと違って、
私はまだまだ読みが甘いわ」
黒髪「……それなら、
状況の設定をしなおさないと。
なるべく自然に。
でも大胆に。
先生にもひき娘にも、
できるだけ痛みが無い方向で、
あの事件を乗り越えて貰わないと……」
黒髪「………………」
黒髪「だって、そうじゃないと」
黒髪「…………私のせいなのに」
二十一日目 ひき娘の部屋
こんこんこん
ひき娘「はい、どうぞー」
がちゃ
ひき娘「いらっしゃいっ」にこっ
黒髪「おじゃまします。
悪いわねー、昨日の今日で、
急にお邪魔したい、なんて」
ひき娘「そんな事ないよ。
黒髪さんだったら、いつでも歓迎するからね」
ひき娘「とりあえず、お荷物はコッチにおいて……
今日は、泊まっていけるの?」
黒髪「ええ。私は大丈夫よ。
ひき娘こそ、平気なの?
何度か会いに来てるけど、
泊まるのは初めてじゃない」
ひき娘「う、うん……」
黒髪(やっぱり、
まだ少し緊張っていうか、
躊躇いはあるみたいね……)
ひき娘「でも、大丈夫だから。
だって、黒髪さんだし」にこっ
ひき娘「きゃ、ちょっと、黒髪さん」(////
黒髪「まあ、気分が悪くなる前に言いなさい。
家も近いし、
帰る手間なんて無いも同然だから」にこっ
ひき娘「うん。ありがと」
黒髪「さて、それじゃ……
早速勉強でもしましょうか」
ひき娘「え、え?」
黒髪「宿題、いっぱいあるんでしょ?」
ひき娘「それは、あるけど」
やることやってからの方が、
気持ちよく遊べるじゃない」
ひき娘「うん、がんばるー」しゅん
黒髪「そんなに気を落とした風に言わないの。
わからない所は私も教えてあげるから」
ひき娘「うん、それなら、
何とか終わる、かな?」
黒髪「なに、そんなに有るの?」
ひき娘「うん。
ここから、ここまでと……」
二十一日目 風呂場
ひき娘「ふわー……」
黒髪「おつかれさま、ひき娘」
ちゃぷちゃぷ
ひき娘「うう、せっかく、
黒髪さんに手伝ってもらたのに、
やっぱりこんな時間までかかっちゃったよ」
黒髪「とはいっても、
私は殆ど何もしてないけどね。
いくつか計算のコツとかは教えたけど、
ホントに自主学習用の内容じゃない。
出る幕が無かったわ」
そうだよねー。
漢字の書き取り頼んでもしょうがないし」
黒髪「まあ、その間、
ひき娘がお気に入りのアニメ、
山ほど見させられたけどね」
ひき娘「面白かったかな?」
黒髪「確かに、いくつか面白かったけど……
男の子向けのが多くなかった?」
00はゆん先生がキャラクターデザインで、
ガンダムはガンダムでも、
平成三部作の中では一番とっつきやすいんだよ。
さらにいろんなタイプの男の子がいるから、
友情のキラキラが好きな人も、
私はこんな彼氏が欲しいなーって人も、
もちろんそれ以上を想像して楽しみたい人だって大満足だし!
それに、Fateはあの赤い弓兵さんと、
青い槍兵さんだって、
二人ともそれぞれにすごくかっこよくて、
粋でいさみはだな生き方がもう最高で、
キュンキュンが止らないって、
男女に普遍の人気があるし!
あと見てもらった中だと、
完全に男の子向けだったけど、
私としてはあのクーガーさんのかっこよさは、
女の子として一度は見ておいて、
胸をときめかせておいて欲しかったりだし……」
落ち着きなさいよ。
まったく、アニメのことになるとすごいわね」
ひき娘「あ、あう」(////
黒髪「確かに、夢中になるのもわかるけど、
ひき娘って前からそんなに、
アニメとか好きだった?」
ひき娘「え、あ、それは……
あの、黒髪さんから紹介されたmeganeさんとの会話で、
『最近の若い子の好みがわからなくて、
苦労してるんですよ』
なんて話が出て……」
黒髪「まあ、彼なら言いそうね」
最近の人はどういうのが好きなのかなーって、
見て回ってるうちに、
夢中になっちゃって……」(////
黒髪「ミイラ取りが……、
っていうほどじゃないけど、
思うところができちゃったわけね」
ひき娘「うん。
ネットで評判を調べて、
アニメチャンネル?
っていうので、見てたら、はまっちゃって」(////
黒髪「でも、アニメの話なら、
それだけ話せるのね……
なんだかもう、
ひきこもらなくても平気なんじゃない?」
やっぱり、外に出ようとすると怖くて、
扉の前で足がすくんじゃうし」
黒髪「試したの?」」
ひき娘「そ、その……
等身大ガンダムが見たくて……」
黒髪「あはは、いいわねソレ」
ひき娘「わ、笑わないでよっ」
黒髪「気にしないでよ。
そんなひき娘を想像して、
ちょっとほほえましくなっただけだから、ぷぷ」
ひき娘「むぅー」
なったのねー……」
ひき娘「出られなかったけどね」
黒髪「いいんじゃない?
そんな気になっただけで、
また一歩前進よ。
それに――」
ひき娘「それに、何?」
黒髪 にやー
ひき娘「な、なに?!」
黒髪「ひ・み・つ♪」
ひき娘「えー」
背中流してあげる」
ひき娘「そんなの悪いし、
別にいいよー」
黒髪「まあまあ任せなさいよ。
ほら、こっちに座りなさい」
ちゃぷちゃぷ
ひき娘「自分で洗えるよ?」
黒髪「洗うだけならねー。
こうやって手にボディソープをつけて、
泡立ててから、
指先、手のひら、手首……」
ぎゅっぎゅ
すっかり手のひらの筋が固くなって、
腕も、肩もつっぱっちゃってるじゃない)
ひき娘「ん、んぅ。
ちょっと痛いけど、
気持ちいいかも?」
黒髪「でしょ。
ここまでなら自分でも普通にできるけど……
二の腕、肩……」
黒髪(昔はお父さんのために、
少しでも出来る事をしたくて、
詳しい人に習ったのよねー……
今じゃ、そんな気にはならないけど)
ちょっと、黒髪さん、そこはくすぐったいっ」
黒髪「ちょっとくらい我慢なさい。
ほら、ここをぐーっと」
ぎゅー
ひき娘「あ、いたいいたい!
ムリッ、むりむりだよっ、
ギブアップ! ビリビリするよっ!」
黒髪「4,3,2,1……
はい、いいわよー」ぱっ
黒髪「ちょっと腕、回してみなさい」
ひき娘「こんな感じ?
って、わわ、すごい、肩が軽いよ!」
黒髪「最近ずっと勉強がんばってたみたいだし、
ちょっと肩重かったでしょ。
勉強しながら何度も腕を動かしてたから、
ちょっとほぐしてあげたわけ」
黒髪さんは何でもできるんだね」
黒髪「……そうでも無いわよ」
ひき娘「黒髪さん?」
黒髪「さ、続きやるわよー。
たっぷり気持ちよくしてあげる」にこっ
ひき娘「えっと、もう痛いのは」
黒髪「大丈夫よ。
痛くなくなるようにするのが目的だから」
ひき娘「えっと、それって」
ひき娘「その、それはまた次で……」
黒髪「今日これから痛いのと、
次に三倍痛いのと、どっちがいいかしら?」
ひき娘 ぴしっ
黒髪「ほら、わがまま言ってないで観念しなさい。
第一、普段から運動してないのが悪いのよ。
ちゃんと運動してれば、
こんなにすぐに固まらないんだから」
ぎゅーっ
ひき娘「――――ッッ?!?!?!?」
二十一日目 ひき娘の部屋
ぎしっ
ひき娘「ふぇえ、やっと布団に入れたよ」
黒髪「あ、こら。
ちゃんと髪の毛乾かしなさい。
痛むわよ?」
ひき娘「ううー。
大丈夫だと思うよ……」
黒髪「そんな根拠のないこと言わないの。
ほら、ちょっと座って」
ひき娘 ごそごそ
黒髪 さらー、さらー
あんなに大きな声で叫ばないでよ」
ひき娘「だ、だって。
ホントにそれくらい痛くて……」(///
黒髪 さらー、さらー
黒髪「それにしても加減ってものがあるでしょ。まったく……」
ひき娘「むう、
じゃ、黒髪さんに同じ事しても、
そんなに叫ばないの?」
黒髪「……まあ、それはそれね」
黒髪 さらー、さらー
黒髪「ふふ、まあ、
痛くてもちゃんと効果があるからやってるのよ」
ひき娘「それは、確かに効果はあったけど……」
黒髪 さらー、さらー
ひき娘「……黒髪さん」
黒髪「何かしら?」
ひき娘「明日は、最初だけでも、
男さんの顔見たいって言ってたけど……」
黒髪 さらー、さらー
ひき娘「迷惑じゃなくてね」
黒髪 さらー、さらー
ひき娘「もしかして、黒髪さんは」
黒髪「っ」 さらー、さらー
ひき娘「んー、やっぱり、なんでもない」
黒髪「ほんとに、なんでもないの?」
ひき娘「うん。なんでもない。
ところで、ソロソロ終わった?」
って、言いたいけど、
ちょっと待ってね。
これと、これをー」
黒髪 ペタペタ
ひき娘「それは何?」
黒髪「大したものじゃないわよ。
百均で買ってきた化粧水。
寝る前と起きた後に軽くつけるだけで、
多少は髪質が良くなるってわけ」
ひき娘「そんなのいいよー」
黒髪「だーめ。
乙女でしょ?
ちゃんと髪のお手入れくらいしないと」
意味はあるかもしれないけど」
黒髪「ひき娘の髪じゃ変わらないって?
バカ言ってんじゃないの。
こんなジョークを知らない?
『英国のカントリーハウスに観光に訪れた夫人が、
そこの庭師に、良いお庭ですね、とくに芝が美しいとほめた。
続けて、どんな工夫をしたら、
こんなにきれいな芝生になるんです?
とたずねたけれど……』」
ひき娘「化粧水?」
黒髪「……面白いところに接続されたわね。
『特別な事は何もしてませんよ。
せいぜい二百年、毎日朝露を拭いて、
時期が来たら長さを整えてやるだけです』
って言われたそうよ」
さすがイギリスっていうか……」
黒髪「ブルジョワジーって感じよね。
ま、そんな長期間でなくても、
髪のお手入れくらい、
女の子だったらサボっちゃだめよ」
ひき娘「うー……」
黒髪「それにね。
顔の形とか胸の大きさとか、
そういうのはどうにもならないし、
体型とかも難しいわよね。
でも、髪の手入れなんてそんなに難しくないから、
きれいになりたいなら、
まずはそこからよ。
今時、男の子だってやるわよ」
黒髪「男の子に髪のきれいさで負けると、
ずいぶんショックらしいわよ。
ま、私だったら、そんな男なんてごめんだけど」
ひき娘「確かに、そうかも……」
黒髪「だからね、それくらいはちゃんとしなさい。
この化粧水置いていって……
って、そういえば、
ひき娘は普通の化粧水とか、乳液とか……」
ひき娘「え、えへ」
黒髪「あーもう、
今度、何種類か持ってきてあげる。
試供品の中から、
ひき娘に合うの見つけましょ」
ひき娘(なんで黒髪さんって、
こう美容とかの話になると怖いのかなー……)
ひき娘「と、とりあえず、もう終わり?」
黒髪「そうね。ちゃんと乾いたみたいだし、
いいわよー」
ひき娘 ばたーん
ひき娘「もう駄目ーねるー」
ひき娘「うん、いいよー」
黒髪 もぞもぞ
ひき娘 もぞもぞ
ひき娘「それじゃ、おやすみ、黒髪さん」
黒髪「おやすみ、ひき娘」
ひき娘 すーすー
黒髪「無防備にすぐ寝ちゃって……」
黒髪「ま、それだけ疲れてたって事でしょうけど……」
黒髪「……ほんと、
あどけない顔しちゃって」
ひき娘 すーすー
黒髪(今は、こうやって話せてる。
でも、二年前は、そんな事もできなかったのよね)
黒髪(あの日から、
こうやって話せるようになるまでに、
費やした時間は二年)
黒髪(短いか長いかは、
私では判断が付かないけど。
それでも、ひき娘が努力してる事は、
間違いなく伝わってくる)
黒髪(人間が信じられなくて、
怖くて、嫌いで。
人が近寄るだけで、
その忌避感から吐きそうになってた)
ずっとずっと、
泣いてた印象がある)
ひき娘『もう、やだよ。
生きてるの、辛いよ。
なんでこんなに、苦しいの?
なんでこんな思いをして、
生きてないといけないの?』
ひき娘『死にたいよ。
死にたいけど、怖いの。
痛いのも、苦しいのも、もうやだよ』
黒髪(そんな言葉を言う自分も嫌いで、
でも言わないと揺れる心が保てなくて。
そんなのが口にしないでも伝わるような、
聞いてるだけで突き刺さるような、言葉)
扉の外でそんな声を聞くことだけ。
それも、学校が終わってから、
他の習い事の間の、ほんの少し)
黒髪(それでも、
声を聞かせてくれるだけ、
私には心を許していて。
他の人にはずっと、黙りきってたみたい)
黒髪(やっと最近になって、
少しずつ外に目を向けるようになったと、
そう思ってたら)
男さんとすっかり仲好くなったみたいで。
男さんに対しては、さすが専門家、かしら)
黒髪(でもやっぱり、
悔しくないって言ったら嘘ね)
黒髪(親友のあたしを差し置いて、
なんて言えた義理はないけど。
それでも、なんだかさらわれた気分)
黒髪(難しい処ねー……)
黒髪「私が、守ってもらう側、だったのにね」
黒髪 うとうと
ひき娘 ぎゅー
黒髪「……」
ひき娘 すー、すー
黒髪 そっ
ひき娘 にへー
黒髪 にこっ
黒髪 すー、すー
二十二日目 ひき娘の部屋
こんこんこん
ひき娘「はい、どうぞー」
がちゃ
男「失礼します……おや」
黒髪「はろー」
男「どうして、黒髪さんがコチラに?」
ひき娘「えっと、その」
黒髪「偶然ってあるものねぇ。
ひき娘のところに熱心に通ってるのが、
先生だったなんて、いがーい」しらじら
ひき娘「だ、だって家庭教師さんだし」
男「…………ふむ」
黒髪さんの『仕込み』でしょうか。
家庭教師から?
それとも何かがその前から?
偶然、でしょうか。
しかしなぜこのタイミングで、
わたしとバッティングしたのか……)
男「とりあえず、細かい事は後回しです。
これからひき娘さんの授業ですが、
黒髪さんはどうしますか?」
黒髪「間接的に出て行って欲しいって、
言われてる気分になりますね。
二人っきりが良かったですか?」にやっ
ひき娘「あ、あの。
先生と黒髪さんが知り合いかもで、
私から黒髪さんに、一緒に授業を受けない?
って聞いたんです」おどおど
黒髪「そんなにキョドんないでよ。
やましいことも無いんだから」
男「ひき娘さんからの提案でしたか。
では、一緒に授業を受けますか?
黒髪さんにとっては、
あまり有用では無いと思いますが」
黒髪「そうなの?」
今は中学一年生から二年生まで、
既に行ったはずの単元の、
総復習ですからね」
黒髪「そういう内容なら、
私にとっても復習になるし。
現役がどれだけの速さで解答するか、
ひき娘にも目に見える目標に、
なれるんじゃない?」
男「……そうですね。
そうしたメリットを考えれば、
さほど悪い話でもありません」
まさかホントに、
先生ったらひき娘と二人きりがよかったの?」
男「僕はひき娘さんのお母さんから」
ひき娘 ぴくっ
男「授業をして欲しいと頼まれていますが、
黒髪さんはそこに含まれていませんからね。
デメリットしかない話なら、
当然受ける事はできません」
黒髪「解答が真面目すぎて面白くないけど、
確かにそうよね」
ひき娘「そ、その。
それじゃ、二人で授業でも」
男「わたしとしては、
一向に構いませんよ」
黒髪「うふふ、
よろしくお願いしますね、先生」
男「……大丈夫とは思いますが、
問題があれば出てもらいますよ?」
黒髪「大丈夫よー。
ちゃんと友達のためになるように、
私だってがんばるから」にこっ
ひき娘「ありがとー」にぱっ
男「……では、授業をはじめますか」
幾分か少ないようですね。
建前もあって、
口では渋っていますが、
それだけでも悪くない話です)
男(しかし、本当に何が目的でしょうか)
男(私の見る限り、
黒髪さんはあまり、
無駄なことに時間は使わない人です)
友人同士の馴れ合いなどは、
必要以上に行っていない様子……
もちろん、空気を悪くしない程度に、
適度に、ですが)
男(……考えても仕方ありませんね。
黒髪さん自身が提案した利点もあります。
それは存分に活かさせてもらいましょうか)
二十二日目 ひき娘の部屋
男「はい、それでは手を置いてください」
ひき娘「はんにゃー……」ぐったり
黒髪「ふぅ……」こきこき
男「では少しだけ休憩です。
その間に二人の答案を見ますので、
ストレッチやお手洗いなど、
済ませて置いてください」
ひき娘「はぁい…………
ん、くぅー」せのびー
黒髪「じゃ、私はちょっと、
お花を摘んでくるわね」
ひき娘「うん、どうぞー」
かちゃん
ひき娘 ちらっ
男 さらさらさらっ
ひき娘「あ、あの……」
男 さらっ
男「はい?」
ひき娘「えっと、その……
黒髪さんとは……その……」
男「はい」
ひき娘「もしかして、恋人とか、」
多少仲が良いとは思いますが、
ただの教師と生徒です。
どう聞いていますか?」
ひき娘「えっと、そ、それは」
男「ああ、女同士の秘密、
というやつでしょうか。
ムリに云わなくてもいいですよ」
ひき娘「そうしてもらえると、
その、たすかります」
『場合によっては、
恋人になるって選択肢もある仲、
って云えば良いかしら』なんて、
黒髪さんは言ってたけど……)
ひき娘(黒髪さんが、
先生に片思いしてるって事かな?)
男 さらさらさらっ
眼鏡だからっていうのもあるけど、
すごく頭が良さそうで、
実際、大学もいい所を卒業してるとか……)
男「…………」さらさらさらっ
ひき娘(普段はすっごく真面目で、
話から伺える限りだとすごい努力家みたい。
一度大切にするって決めたら、
ずっと大切にしてもらえそうかも)
ひき娘(それでいて、
時々とってもいたずらっ子な笑顔があって……
普段の真面目さとのギャップに、
なんだか……なんだか?) じーっ
ひき娘 ふるふる
ひき娘(体力とかは普通そうだけど、
それでも何か有ったら頼りになるような、
落ち着いた安定感っていうのかな、
守ってもらえそうっていう感じがするかも)
ひき娘 じーっ
男「……ひき娘さん」
恋人にしたい人っていうより、
お父さんになって欲しい人、みたいな)
男「ひき娘さん?」
ひき娘「はっ、ひゃい?」ばっ
ひき娘「い、痛い……」
男「ああ、噛んでしまいましたか。
大丈夫ですか?」
ひき娘「だ、大丈夫です」(///
どういうつながりだったんですか?
失礼ですが、
黒髪さんはあまり、その……」
ひき娘「あ、えっと、
その、それは――」
こんこんこん
ひき娘 びくっ
男「はい、どうぞ」
黒髪「あら、取り込み中じゃなかったの?」
男「取り込もうとしていたら、
黒髪さんが帰ってきてしまいました」
黒髪「えっとそれは……
ちょっと散歩にでも、
行ってきた方がいいかしら?」にやっ
ひき娘「そ、そんなの冗談だから!
私も、お手洗い行ってきますっ」
どたどた
男「いえいえまさか。
そういう勘繰りは、お里が知れますよ?」
黒髪「知られて困るような里じゃないわよ。
それで、どうなの?」ずいっ
男「近いですよ、黒髪さん」
黒髪「どきどきしちゃいます?」
男「違う意味でなら」にやっ
黒髪「違う意味?」すっ
男「黒髪さんに迫られると、
何かの術中に落ちそうな気がします」
黒髪「私って信用ないかしら」
信頼はできませんが」
黒髪「まだまだ若いって、
云いたいわけね」
男「否定はしません。
ただ、それ以上に」
黒髪「それ以上に?」
黒髪さんをかっていますからね。
アナタは自分を、
それほど安く扱う人ではないと」
黒髪 ばんざーい
黒髪「降参よ。
そんな落とし文句を口にされて、
いけしゃあしゃあとしていられるほど、
私もできてないわ」
男「では、降参させた褒美に、
一つ教えてください」
黒髪「何かしら?」
黒髪「…………怖い人。
ドコまで見通してるのかしら?」
男「それはコチラのセリフですよ」
黒髪「後でちゃんと話す、
という事でどうかしら。
先生はここには車かしら?」
男「電車ではいささか不便ですから」
黒髪「それなら、
塾まで送ってもらえるかしら?
話は車で」
いいでしょう。
ここで授業を終えた後では、
場合によっては遅刻させる事にも、
なるかもしれませんからね」
黒髪「ありがとー、
先生大好きよ☆」
男「現金な大好きですね」苦笑
男「さて、では、
ひき娘さんが戻ってきたら、
テストの解答を渡しましょう」
二十二日目 車の中
ばたーん
黒髪「あーもー、ダメ。
今日は授業休ませてー……」ぐたっ
男「何を云ってるんですか、まったく。
さ、シートベルトをしめてください」
黒髪「私を椅子に縛りつけて、
身動きしにくいようにしたいなんて、
先生ったらやらしー……」にやにや
男「疲れてますねえ。
いつもより冗句に品が無いですよ」
黒髪「むっ……」いそいそ
男「発車しますよ」
ぶろろろろ
もうわかってるんでしょ?」
男「何がですか?」
黒髪「私とひき娘の事」
男「まあ、少しして、
冷静に考えられるように、
なってからですが」
黒髪「そして私の恋心も」
男「それは知りません」
黒髪「む、それは気がついてよ」
男「ふふ、とはいっても、
煙ばかりで火は見えませんね」
って云わせたいの?」
男「中国の周に幽王という人がいましてね」
黒髪「周っていうと、
封神演義の頃ね」
男「それはフィクションですがね。
コチラは紀元前八世紀の史実です。
ある日、敵襲を知らせる狼煙が間違って上がり、
敵襲だと騒いだ諸侯が集結しました。
その慌てぶりを幽王の愛する寵姫が目にして、
たいそう可愛らしく笑ったため、
以来、しばしば無用に狼煙を上げたとか。
その結果、諸侯の機嫌を損ねてしまい
本当に反乱が起きたときには、
誰も助けに来なかったそうです」
男「あまり大人をからかわないように、
といったところです。
ウソは言葉を軽くしますからね」
黒髪「でも、オオカミ少年でも幽王も、
最後は本当のことを言うでしょ?」
男「では、最後という機会であれば、
本当のことが聞けると、
そう覚えておきましょう」
黒髪「ふふっ、後で後悔しないでね?」
男「本当だったなら、
後悔しないとは云いません」苦笑
黒髪 むっ
では雑談はこの程度にして、
そろそろ本題を話しましょう」
黒髪「……そうね。
結論から言えば、
先生に紹介したsugomoriと、
あのひき娘は同一人物よ」
男「やはり、そうですか」
黒髪「見覚えはないの?」
男「私の担当学年では無いので、
さすがに憶えていないですよ。
その頃の話をすれば、
もしかしたら思い出すかもしれませんが……」
あの子のいじめの記憶も」
男「呼び覚ましてしまうかも知れません。
なので、しばらくは、
その話はしないつもりです」
黒髪「私も気をつけるわ。
うっかり云わないように」
男「それがいいですね……ただ」
黒髪「なにかしら」
男「私は、私だと云ったものか、
悩んでいます」
黒髪「……ああ、twitterのことね。
先生がmeganeさんですって」
ウソは嫌いなので、
もし聞かれれば肯定しますが。
自分から言い出す必要もないかなと」
黒髪「私からは、
特にどちらという気もないけど……
バレると問題があるの?」
男「おそらく、問題はないでしょう。
ただ、利点はありそうですね」
黒髪「たとえば?」
なにか気に障る点などが有れば、
数少ない異性の知り合いとして――」
黒髪「唯一ね」
男「唯一の異性の知り合いとして、
その不満を打ち明ける相手になれば……
彼女に今以上にストレスなく、
接してもらえるだろうと思います。
卑怯な考えですが」
でも、間違ってはいないわ。
ひき娘みたいに、
悩みを抱え込むような子が相手なら、
武器は多いほうがいいとは、
私も思うもの」
男「同じ見解で何よりです」にこっ
黒髪「そうと決まれば、
私からは何も云わないわ」
黒髪「ただ――」
男「はい?」
黒髪「いえ。
また何か有ったら教えて。
共通の『友人』も、
できたことだし」
男「……そうですね」苦笑
二十二日目 教員室
黒髪 ひょいっ
女生徒「それでですねー、
うちの教師ったら私の胸元ばっかりみてー」
男「それは嬉しくないですよね。
とはいえ、教師もやはり男です。
もう少し隠していただけたほうが、
わたしとしてもやりやすいですが」苦笑
女生徒「えーやだー、
せんせーも興味あるの?」にやにや
とはいえ、
やはり目を見れば、
相手がどこを見ているかは分かります。
だからわたしは、
できる限り相手の目を、
見るようにしています」
女生徒「あはは、
せんせーったらなんかかわいー」
男「だから、
女生徒さんが授業中、
ずっと黒板以外を見ていたのも、
もちろん知っていますよ」にこっ
マジかんべんなんだけど」
男「女生徒さんが見つめていたのは、
斜め前の……」
女生徒「すとっぷすとーっぷ」
男・女生徒「あははは」
黒髪「忙しそうね……」とことこ
友「ん、よぉ……たしか」
黒髪「こんばんわ、友先生。
黒髪です」にこっ
友「あーそうそう、黒髪ちゃん。
どう、勉強の調子は」
黒髪「先生たちのおかげで、
模試も志望校に問題ないと」
友「ほー。確か志望校は、
俺らと同じだったっけ?」
黒髪「あら、
名前は覚えてないのに、
志望校は覚えているんです?」
黒髪「ごめんなさい。
ちょっとした冗句です」にこっ
友「……まああれだ。
もしよけりゃ、
この後少し時間はねえか?」
黒髪「時間、ですか?」
友「先輩の俺から、
対策をちょいとね」ウィンク
黒髪「……」
友「ま、一時間したらちゃんと送るよ。
心配なさんな」にかっ
友「そんじゃ、俺は男に一言残してくる。
このビルの下……はマズいな。
駅前のアーケードあるの、わかるかな?」
黒髪「はい、わかりますよ」
友「その通りにある第一書森のところ、
右に一本入ると小さなビルが有ってな。
その二階の店で落ち合おう」
黒髪「……ずいぶん用心しますね」
友「用心っつーか。
俺の秘密の巣なんだ。
だから、大勢に教えちゃいけないぜ?」
黒髪「わかりました。
では、お先に」へこっ
友「おう」
二十二日目 BAR琥珀亭
からんからーん♪
友「じゃまするぜー」
店主「……」
友「俺の連れが来てるはずだけどよ」
店主 くいっ
友「あいよ。
あ、ついでにいつものと、
なんかノンアルコールの。頼む」
店主 こくっ
友「やーやー。
悪いね。待たせちゃって」
黒髪「構いませんよ」にこっ
友「……あの店主、
愛想ないだろ」ぼそぼそ。にやっ
黒髪「ええ。びっくりするくらい……
でも、優しい方ですね」
友「そうかぁ?
ま、そうかもな」
こちらのジュースをくれて」
店主 とことこ。ことっ。
友「ども、サンキュですよ」
店主 こくっ。とことこ
友「ま、美人サービスだな。
俺に対してはただの無愛想だ」
黒髪「あら、それって、
間接的にほめてもらってます?」じっ
黒髪「ふふっ、ありがとうございます」にこっ
友(うあー。
男ったら、こんな女とよくいられるな……)
黒髪「それで、
ご用件はなんです?」
友「それはほら、さっき言った……」
黒髪「建前はいりませんわ。
志望校への試験対策なら、
教材の充実している塾の教員室の方が、
どう考えても向いていますよね」
友「…………」
黒髪「美味しいですね」
友「……無愛想だが、味は確かだからな。
まあ、あれだ。
試験とか勉強を餌に釣った事は、
まず謝る」ふかぶか
黒髪「釣られたわけではないですが、
面白くないお話なら、
途中で帰らせてもらいますよ」にこっ
友「あー。面白いかどうかってなら、
面白くないかもしれんな」
黒髪「……」
何が目当てなんだ?」じっ
黒髪「……目当てなんて。
勉強を教えてもらってるだけですよ。
塾の生徒と、講師として」
友「ついでに友人の面倒も、か?」
黒髪「……」
友「男は――あいつは、
基本的に他人を頼らんやつだ。
友達甲斐のかけらもねぇ」
黒髪「そう、ですね」
あいつだって木石じゃねえ。
見せないようにしてるが、
悩みがあるならそれなりに影ができる。
苦しんでたら、その分だけ元気がなくなる」
黒髪「……苦しんでますか?」
友「苦しんでるな」
黒髪「……」
友「……俺と男は、幼馴染でな。
かなり古い付き合いだ。
だから他の奴よりは、あいつに関しちゃ気がつくつもりだ」
黒髪「見間違いなどでもないと」
友「苦しんでるな。
おまえさんがあいつに絡むようになってから」じいっ
黒髪「……」すぃっ
あれであいつも、三十路の男だ。
悩むのも悩まねえのも、
苦しむのも苦しまんのも、
立つも座るも歩くも、
あいつが選んですることだ」
黒髪「……ではなぜ、
私を呼んだんです?」
友「難しいところだが、
しいて言えば、あいつの尻拭いだ」
黒髪「しりぬぐい、ですか」
友「おう」
友「っかー。やっぱり仕事の後は酒だな!
とくにこんな時は、酒だ」ぐいっ
黒髪「こんな時?」
友「気にすんなよ。
まあ、それでな、
俺は基本的に一人の男として、
あんまりあいつの事情に首を突っ込む事はしないが。
やっぱ、向き不向きはあってな」
黒髪「……」
友「あー、もうめんどくせぇ。
ぐちゃぐちゃ前置きはいい。
おい、黒髪ちゃんよ」
黒髪「はい」
友「お前さんな、悩んでるだろ」
友「悩みの内容なんざ、
俺は魔術師でもなけりゃ超能力者でもねえ。
ロクにわからんがな。
伊達や酔狂で『先生』やってるわけじゃねえんだ。
悩んでるガキくらい見りゃわかる」
黒髪「そうなんですか?」
友「おうよ。
……ま、何も悩んでないって言うなら、
それはそれでいいが」ぐいっ
黒髪「……」
友「ほれ、氷が解ける前に飲んじまえ。
足りなくなったら頼んでやるから」ずいっ
黒髪「はい」ごくっ、ごくっ
友「おう。
酒じゃねえが、いい飲みっぷりだ」
落ち着きました」
友「そうか。
んで、どうだ。
俺の勘はあたりか?」
黒髪「…………確かに、悩んでます」
友「ほう」
黒髪「通ってる塾の先生に、
塾の外で合わないか、なんて強要されて」ううっ
友 ずべぇー
黒髪「あら、大丈夫ですか?」
友「じゃかぁしぃ!
なんだ、人がせっかく気を回したのによ」
黒髪「そうなんですか?」
友「そうなんですよっ。
くそっ。男のヤツの周りには、
なんでこんなヤツらばっか集まるんだ」
ねえ、親友さん」にこっ
友「けっ」
黒髪「……そうですね。
確かに、本当に悩んでます」
友「知ってる」
黒髪「でも、ちゃんと隠してたはずですけどね……」
友「うぬぼれるな。
これでも教師歴十五年だ!
ガキなんざ見慣れてらぁ」
黒髪「えっと、今年でおいくつでしたっけ?」
友「男と同じで三十路だがな、
あの塾は祖父のやってた塾だからな、
年少クラスで手伝いしてたんだ」
黒髪「ああ、なるほど……」
悩みが有るのはわかるが、
話す気がないならわざわざ聞かねえよ。
俺としちゃ、
あくまで幼馴染の友人が困った顔してるから、
ちょっとおせっかい焼いてるだけ、だからな」
黒髪「……ここでの言葉は、
秘密にしてもらえます?」
友「それが望みならな」
黒髪「では、他言無用で」
友「あいよ」
どこから、話しましょうか」
友「最初からだろ」
黒髪「……では、三年前の、
四月から、ですかね」
友「つまり、中学の入学式か」
黒髪「はい。
最初は普通のクラスで、
みんな仲良くやっていたんですが……
しばらくすると、
女子にまとまりができて、
そのまとまりに居ない子を、
いじめというほどではないんですけど、
はじくようになりましてね」
黒髪「まあ、そんなのは良くある事ですよ。
男子だって、多かれ少なかれ、あるみたいだし。
そこでその時は少し体が弱かった私が、
女子からあぶれましてね。
体育とかも休みがちで、
そういうのって女子の中だと……」
友「あー、まあわかる。
協調性がないとかいいだすアホがいるもんだ」
黒髪「そんな理由で、
女子から無視される事が何度か有って……
それだけなら良かったんですけどね、
私だけが、一部と中が悪いだけだったから」
黒髪「二年生になって、
どういう理由かは分からないんですけど、
急に男の子たちが、私に好意を伝えてきて」
友「二年か……
確か、それなりに進学のいい私学だったよな」
黒髪「はい」
友「なら、ちょうど修学旅行の少し前だろ」
黒髪「……なるほど。
そういうワケね」
友「中学二年の男子なんざ、
頭の中は乙女よりもピンク色だからなー」
それで、そういった事を伝えられたけど、
私としては、
他にやりたいことが有ったから、
すべて断ってたんです」
友「あー、なんか読めてきた」
黒髪「たぶんそのとおりですよ。
クラスでも人気の男子を断ったら、
翌日からはもう、
クラス中の女子から無視されたり、
机とか物に落書きされたり……」
友「もし受けてても、
今度はまた違う排斥が有ったろうがな」
黒髪「否定はしないですよ。
まあ、そんなこんなで、
いい加減私の方も、
なにか解決策を打とうとしたところで……」
黒髪「それは色々と」にこっ
友(な、なんだ、急に背筋がぞくっとしたぞ?!)ガクガク
黒髪「そこで、
ひき娘っていう子がみんなの前に立って、
『黒髪さんをいじめないで』なんていっちゃって」
友「あー、アウトだ」
黒髪「はい。
確かに私への行為は減ったけど、
減った分の倍くらい、
ひき娘にそのいじめが向いて……」
友「……そうか」
それが原因でひきこもった友人をたすけたい」
友「それで、アイツに相談したわけか」
黒髪「そういう事です。
ただ、思った以上に先生が気にしちゃって」
友「……それは嘘だろ?」苦笑
黒髪「……ばれました?」
友「わかるっての。
男を巻き込むつもりは満々だった。
理由は知らんがな」
黒髪「……」
友「別に責めちゃいないさ。
さっきも言ったが、
どうするにしたって、あいつも大人だ。
巻き込まれたくなければ関わらん。
関わったのなら、あいつにやる気があったって事だ」
黒髪「そうですかね?」
あいつが乗り出した事で、
俺から考えりゃ、悩みは無くなったハズだが。
どうにも、まだ何かあるだろ」
黒髪「……厄介ねぇ」
友「……」
黒髪「友先生みたいに、
『鼻の利く』人って、苦手なのよ」
友「なんだ、迷惑か?」
黒髪「迷惑なら帰ってるわよ。
わかってて聞いてるでしょ」
友「いや、わからん。
俺は男と違って、
気取ってるやつの機微なんざわからんからな」
友「よく云われるな」きりっ
黒髪「ほめてないわよ。
まあ、そうね。
悩んでるわよ。とっても」
友「何をだ?
話せば楽になるかもしれねえよ?」
黒髪「…………
私ね、きっとどこかで、
ひき娘の事を嫌ってるのよ。
……見ていてイライラするの」
友「……」
黒髪「無邪気な笑顔。
努力家なところ。
良くないものを良くないって云える高潔さ。
ちょっと抜けてる可愛らしさ」
黒髪「ええ。
だって、そんな風に、
私が持ちたくて持てないものを、
たくさん持ってるところが、
妬ましくて疎ましいから」
友「……なるほどなぁ」
黒髪「あの子の事は大好きよ。
助けてくれてた恩人だし、
実は中学は別だったんだけど、親友だったわ」
友「過去形か?」
黒髪「今でも親友よ。
むしろもう、恋人みたいな?」にこっ
友「茶化さんでもいいぜ」苦笑
とにかく、私としては、
ひき娘は大切にしたい相手なの」
友「それで、男を巻き込んだのか」
黒髪「…………そうよ」
友「……それでいいのか?」
黒髪「…………」
友「なんとなく俺には、
それだけじゃねえように見えるぜ?
黒髪ちゃんよ。
お前さん、実は男を巻き込んだ理由は――」
友「……まあ、俺は別にいいぜ。
友達の友達が悩んでるから、
善意で協力しようとしただけだ。
だが、悩みたいってなら、あえて何も言わん」
黒髪「…………」
友「さて、そろそろ約束の一時間だ。送ろう」
黒髪「…………はい」
三十日目 TL:sugomori
sugomori:おおー、ついにナドレが変身!
megane:さっきのフォーメーションといい、
今日のメンバーはヤル気ですね。
sugomori:だってだって、
幸せそうな罪の無い人を殺したんですよ!
ソレスタルビーイングと、
AEUの紛争の理由を増やしたんです、
立派な紛争幇助ですよ!
おや、おもったよりあっさり、
彼らが撤退しましたね。
sugomori:あうー。
なんでわざわざ、
ロックオンさん飛んでくるんでしょうか。
大気圏外狙えるなら、
水平線くらいから狙えばいいのにっ。
megane:……なかなか物騒ですね。
スローネさんたちは嫌いですからね!
エクシアとヴァーチェはいいとしても、
ロックオン兄さんには、
長距離で倒して欲しかった(>_<)
megane:まあ確かに、
狙撃兵がわざわざ、
すぐ目の前にやってきて、
ライフルを振り回されても(笑)
sugomori:ですよねっ!
megane:大気圏外を狙えるなら、
おおよそ五キロ程度の距離、
レーザーの減衰も気にせず、
撃てば良い気もしますが……
sugomori:五キロって、
どういう計算です?
sugomoriさんが、
水平線からーと云いましたよね。
水平線はまでの距離はおおよそそれくらいなんですよ。
sugomori:なんと。案外近いです……
megane:もちろん、
高さがあればもう少し遠くから見ることもできますがね。
sugomori:ええっと、どうしてです?
megane:水平線というのは、
地球という球体の上に視点をとって、
その点から引いた直線と、
球体の接線の点だと考えましょう。
megane:その水平線の向こうに、
直線に交わるものが有った場合……
現実から考えれば、
水平線という『壁』よりも、
高さのあるものが存在すれば、
当然見ることもできますよね。
sugomori:おお、そうですね!
megane:相手が低くても、
コチラの高さがあれば、
同じように接線は遠くなります。
そうすると、
球体の接線より手前に相手がいる状態になり、
やはりコレも狙うことができます。
megane:地球の円周は12700キロちょっと。
計る場所によって違いますが、
この数字を関数に代入して使えば、
簡単におおよその接点を見つけられますよ。
また、この演習の数字はセンターなどでも、
教科によっては時々出題される数字です。
sugomori:なんとっ。
megane:また、ギリシャ時代には、
二点の距離と、
その点で作られる影の長さから、
円の関数を使って、
地球の大きさがある程度求められていますね。
sugomori:…………
変数を変えることで作られる、
比例式ともいえます。
この使い方に習熟しておくと、
工夫をすることで、イロイロと便利ですよ。
sugomori:meganeさんって、なんだか……
megane:はい?
sugomri:いえ、ちょっと、
知り合いの先生ににてるなーって。
megane:先生ですか。
もし私が先生なら、
きっとアニメの話だけで、
授業時間がおわってしまいますよ(笑)
喜ばれそうな先生ですねd(・ー<*)ウィンク☆
megane:おや、続きが始まりましたよ。
ああ、沙慈君、辛そうですねぇ……
sugomori:そうですよ、
だってせっかく彼女に指輪を……
指輪を……
うわぁん(ノ_<。)
megane:ああ、日本に……
sugomori:スローネなんて大嫌いですよー><
三十一日目 ひき娘の部屋
ひき娘 かりかりかりかり
ひき娘(テスト始めてから、
いつもより時間の読み上げが少ないかな?)
ひき娘 ちらっ
男 こくり……こくり
ひき娘(なんだか、眠そうだよ……)
ひき娘 かりかりかりかり
ひき娘(今日は寝不足なのかな?
先生も、昨日のガンダム見てて寝不足だったりして)
ひき娘(先生はアニメとか、
見なさそうだよね。
でも、寝不足なのは心配……)
pipipipi pipipipi
ひき娘「あっ」
男「むっ。では、ペンを置いてください」
ひき娘「は、はいぃ……」
男「どうしました?」
ひき娘「えっと、その、
先生が眠そうだなって、
気になってたら時間で……」
ひき娘「けっこう、お船こいでたので」
男「本番のテストでも、
寝ている子はいるかもしれません。
集中を乱すのはダメですよ?」ふいっ
ひき娘(ちょっとだけ、
先生の頬が赤くなってるみたい?
もしかして、ちょっと照れてるのかな?)
男「…………それはそれとして、
集中をそいでしまって、
すみませんでした」へこっ
ただその、体調は大丈夫ですか?」
男「はい。
ちょっと夜更かしをしてしまっただけなので」
ひき娘「えっと、その。
これから十五分だけ、
休憩しませんか?」
男「……」
ひき娘「あの、やっぱり、
眠いのは辛いし、
先生はこの後塾で授業ですよね?」
ひき娘「じゃ、その十五分で、
私はテストのダメだったところ、
もう一度自分で見直したいです!
お手洗いも行きたいですが……」おずおず
男「……すみません。
では十五分だけ、
お時間を下さい」
ひき娘「はいっ」にこっ
男「えっと、コチラのクッション、
お借りしても良いですか?」
寝るならベッドで」
男 ちらっ
男「いえ。
やはり女性の寝具を借りるわけにはいきません」
ひき娘「気になりますか?
そうですよね、
その、一応整えてますけど、
私がねた後じゃ、気になって……」
男「そういうわけでは、ないですが」
男「…………わかりました。
確かに、効率的な疲労回復には、
寝具も重要な役割があります。
ここはお借りします」
ひき娘「はいっ」にぱっ
男 ごそごそ
ひき娘「じゃ、私は一度、
お手洗いに行ってきますね」
男「はい……」
ぱたん
ひき娘(いつものやり取りだったら、
私がからかわれてるけど、
ホントに疲れてるみたいで、心配)
ひき娘(そういえば、
テストの問題とかって、
先生が自分で準備して、
さらに私の宿題とかテストの採点、
他にも塾のお仕事があって……)
ひき娘(うん、疲れて当然だよね……)
とことこ
がちゃ
じゃー
ぱたん
ひき娘(先生、
もう寝てるかな?)
そっ。かちゃり
ひき娘 そーっ
ひき娘(あ、寝てるみたい)
ひき娘 そーっ、そーっ
ひき娘(先生の寝顔……)
なんか優しい顔?)
ひき娘(先生っていつも、
ぎゅっと眉をしかめてるみたいだから、ちょっと意外)
ひき娘 そっ
ひき娘(先生の髪、
ちょっと硬くて、
男の人ーってかんじ)
やわらかい髪っていいなーっておもったけど)
ひき娘 なで、なで
ひき娘(こういう硬い髪の人も、
撫でるのに、気持ちいいかも。
なんだか大きな、
そう、シェパードみたいなわんちゃんみたいで!)
ひき娘 なで、なで
男 すぅ、すぅ
男 すぅ、すぅ。にっ
ひき娘 どきっ
男 すぅ、すぅ
ひき娘(……いま、笑ってました、よね。
いつもみたいに、
すこし皮肉っぽい笑顔じゃなくて。
無防備な)なで、なで
男 すぅ、すぅ……つぅ
ひき娘(なんで、涙を)
男 すぅ、すぅ
ひき娘(無意識に、ですかね。
何か、つらいユメでも、
見ているんでしょうか……)
ひき娘 なで、なで
ひき娘(大人の、男のひとなのに)
ひき娘 なで、なで
ひき娘(先生は、
誰かに甘えられるのかな?
つらい時に、
誰かに辛いって云えるの?)
ひき娘 なで……
ひき娘(寂しい時に隣にいてくれる、
恋人さんとか、いないのかな?)
ひき娘 つくん
ひき娘(なんで、胸、痛いのかな?)
男 すぅ、すぅ
ひき娘「……っ」ぽろ、ぽろ
今度は私が泣けて来ちゃうのかな?)
男 すぅ、すぅ
ひき娘(分かんない。
なんだか、ぜんぶ、
ぜんぜんわからないよ……)
男 すぅ、すぅ
ひき娘 ぐしぐし
ひき娘 なで、なで
男 にっ。すぅ、すぅ
ひき娘 にこっ
まじめで、
少しかたくて、
ちょっとだけロボットみたいな先生)
ひき娘 なで、なで
ひき娘(でも、先生だって……)
ひき娘 ぎしっ
ひき娘 とたとた
ひき娘(つ、つつつつつ、
つい、いきおい、勢いあまって!)
ひき娘(なんだか恥ずかしい?
恥ずかしいよね!
恥ずかしくなってきた!!)(////
ひき娘(うわわわわ)
ひき娘 ちらっ
男 すぅ、すぅ
深呼吸して!)
ひき娘 ひーひーふー
ひき娘(って、ちがーう!)
ひき娘 ばたばた
ひき娘(うわーもう、
なんでこう、
考えないで行動しちゃうかなー)
ひき娘(もう、もうなんだか、
わけ分かんないですよ!
なんでほっぺたとはいえ!)
ひき娘 ごろごろ
いやなドキドキじゃ、
ない、よね)
ひき娘(……)
ひき娘「にゃぁ……」
男「……猫のまねですか?」
ひき娘「ふにゃぁっ?!
って、か、噛みました!」
男「大丈夫ですか」ぎしっ。とことこ
ひき娘「あ、あの、その。
いつから、起きてました、か……」さぁーっ
ひき娘(も、もし、
寝てなかったら。
あの時、起きてたら……)
それで目が覚めましたけど……」
ひき娘(い、いまだよね。
そう、今のはず、今に違いないですっ)
男「顔が赤いですが、
大丈夫ですか?」
ひき娘「……だい、じょうぶ、です」
男「……」すっ
ひき娘「ひぅっ」びくぅっ
ひき娘(ひひひ、ひたい、が、
当たってて、
それ以外にも、
目とか、鼻とかくちびるとか、
ちかいです、近すぎですっ!)
すみません、
こちらばかり気を使わせて」へこっ
ひき娘「あ、えっと、その」
男「しかし、体調が悪いようなら、
きちんと申告をしてください。
今日は、もう授業は終わりますか?」
ひき娘「だいじょうぶ、です。
その、ちょっと、部屋が暑くて。
空気の入れ替えしたら、
それで大丈夫です!」
男「そ、そうですか」
男(なんだか、
今日はひき娘さんがいつもより、
ずいぶん押しが強いですね)
がらっ
そよそよー
ひき娘「……良い風です」
男「そうですね」
そよそよー
ひき娘「その、
もうちょっとだけ涼んだら、
授業再開しましょう」
男「ムリはしていませんか?」
ひき娘「はい」にこっ
男「では、少ししたら、
再開しましょう」
そよそよー
ほんの気まぐれ、ですよ……)
男 せのびー
ひき娘「……先生、
なんか、ネコみたいですよ。ふふっ」
男「そうですか?
犬のよう、とはよく言われますが」
ひき娘「そう言われると、そうかも?」
男「どっちですか」苦笑
ひき娘(優しくて、少しだけシニカルな笑顔。
でも、この人の中には、
あんなに素直な笑顔と涙があって)
ひき娘「……明日、
晴れると良いですね」
男「ふむ。晴れますね」
男「西の空の夕焼けがきれいなら、
翌日に雲が届きそうな範囲に、
雨雲がないということです。
なので、基本的には晴れます」
ひき娘「……ちょっと、ロマンはないです」ぼそっ
男「はい?」
ひき娘「なんでもないです。ふふっ」
男「?」
ひき娘(夕焼けに染まる、
赤い部屋の中で。
私のベッドで眠る先生のほっぺたに。
私は、キスを、してしまいました)
三十三日目 ひき娘の部屋
ひき娘 かきかきかきかき
黒髪 かきかきかきかき
ひき娘「でね、ちょっと意外だったのが、
先生って少し子供みたいなところがあってね」
黒髪「へー。どんなところ?」
ひき娘「時々コンビニでね、
私が好きって云った、
イチゴのジュースとか、
買ってきてくれるの」
黒髪「あ、そういう人よね。
朴念仁な生真面目に見えて、
そういう気配りは忘れないタイプ」
分類されるほどいるんだ……」
黒髪「探せばいるわよー。
個人的には、友達にしたいタイプね。
彼氏とかダンナには、
ちょっと不向きかも……
って、ほら、ひき娘、
手が止まってるわよ」
ひき娘「む、黒髪さんもだよ。
こんな調子じゃ、
宿題おわらないかも……」
黒髪 かきかきかきかき
ひき娘 かきかきかきかき
黒髪「どんな言い訳よ。
いま終わらなかったら、
お肌荒れるの覚悟で徹夜よ」
ひき娘「う……
それはイヤかなー……」
黒髪 かきかきかきかき
ひき娘 かきかきかきかき
どんなところがそうなの?」
ひき娘「えとね、そういう時って、
先生も自分の分を買ってくるけど、
帰る頃には先生のジュースだけ、
ストローがぐにょぐにょで」
黒髪「ストロー噛んじゃうって、
確かに子供みたいよね。
ちょっと意外かも」苦笑
ひき娘「ね、ね。
なんかそんなところが、
普段よりちょっと子供みたいで、
かわいいなーみたいな」
ひき娘 かきかきかきかき
黒髪「うーん、
その可愛いは、わかるような、
わからないような……」
ひき娘「えー」
黒髪「ああ、でも。判るかも……」
ひき娘「何かあったの?」
黒髪「こないだね、
塾の教員室に顔をだしたら、
先生がすっごく真剣な表情でね」
ひき娘「……な、なにがあったの?」
黒髪「食べたガムの包み紙で、
折り紙してたのよ」
ひき娘 ずるぅっ
すわったままそんなにスベるなんて、
ドリフもびっくりよ?」
ひき娘「もう、からかわないでよー」
黒髪「折り紙の話はウソじゃないわよ。
でね、そこまではいいのよ。
あの生真面目な先生が、
っていう驚きだけで」
ひき娘「うーん。
確かにそうかも?」
黒髪「それでね、
出来上がったものを前に、
真剣に腕を組んで悩むのよ」
ひき娘「出来上がったのを前に、
って……たとえば、
端っこがズレてたとか?」
ソッチのほうがありそうよね。
でもそうじゃなくて。
こどもの日によく作る『兜』って、
わかるかしら?」
ひき娘「うん、なんとなく」
黒髪「それを前に唸っててね、
ボソっと。
『鶴は、違いますよね……』って!
もー、それ聞いて大爆笑よ!
あの瞬間はなんていうか、
不覚にもあの堅物に萌えたわ、ぷぷ」
ひき娘「鶴、兜……
ああ、確かになんだか、
間違えそうな気が……
する……え、しない?」
黒髪「鶴の折り方よー。
日本人なんだから、
間違えるわけ無いじゃない、あはは」
って、また話込んじゃったよ」
黒髪「あら、ついつい。
でもなんとなく判ったわ。
男先生、ちょっと萌えキャラ……ぷ」
ひき娘「もー、
笑ってたら宿題終わらないよー」
黒髪「はーい」
ひき娘(……で、鶴って、
どうやって折るのかな……あうぅ)
黒髪 かきかきかきかき
ひき娘 かきかきかきかき
ひき娘「あう、間違えちゃった……」
ひき娘 けし……けし……
その消しゴム、使いにくくないの?」
ひき娘「え?」
黒髪「かなり磨り減ってるじゃない。
小指の爪くらいしか残って無いし……
消しにくいでしょ」
ひき娘「う、うん」
黒髪「……?」
ひき娘「でも、この消しゴム……
先生にもらったのでね」
黒髪(優しい微笑。
大切な物に向ける眼差しで、
小さな消しゴムをじっと見つめて)
この部屋にはほとんど、
まともに筆記用具がなくてね」
黒髪「確かに、中学生が使ってそうな筆箱よねー」
ひき娘「中学生が使ってたんだもん」むー
黒髪「ふふ、むくれないでよ。
可愛らしくていいじゃない」にこっ
ひき娘「ううー……
それで、この消しゴムはね、
先生が何日か前に、
よくがんばってるからって、
プレゼントしてくれたの」にこっ
黒髪(どこにでもあるような、
可愛いけれど、安っぽい消しゴム。
そんな物をぎゅっと握って、
幸せそうに微笑むなんて)
ひき娘「?」
黒髪「可愛くは無いけど、
消えやすいから気に入っててね、
良かったら使って」ごそごそ
ひき娘「え、いいの?」
黒髪「何かあった時のためにって、
いつも一つは予備を持ち歩いてるのよ」
ひき娘「でも、それなら……」
黒髪「おばかねー。
いまどき消しゴムなんてドコにでもあるんだから、
帰る時にコンビニで買うわよ」にこっ
ひき娘「あう、そっか、
外にはコンビニとかあるもんね」(///
黒髪「はいはい」
ひき娘 ごそごそ
黒髪(小さくなって、
もう使えない消しゴムを、
枕元の宝石箱にそっと入れて)
黒髪「……まったく。
いじらしいわね」苦笑
黒髪(気がついたら、
自分の口からそんな言葉が零れて、
誰よりも驚いたのは私自身。
そんな事を言いたいわけじゃないのに)
ひき娘「いじらしい?」
黒髪(私は自分がいま、
どんな顔をしているのかわからない。
見守るような笑顔?
支えるような笑顔?
それとも――)
ひき娘「こ、恋なんて……」(////
黒髪「恋でしょ、ソレ」
ひき娘「その、えっと」
黒髪「わからないの? 本当に」
ひき娘「……」
黒髪「もう、ごまかしきれてないじゃない。自分にも」
私の言葉はとめることができない。
それとも私には、
すでに止めるつもりもないのか)
黒髪「もし恋じゃないなら、
ひき娘のソレは、なんて名前なのよ」
ひき娘「…………うーん、その、ね。
確かに、先生の事は、嫌いじゃないの」
黒髪「……でしょ?」
ひき娘「でも、なんていうか、
今の私にはわからないんだけど。
先生には、
私の知らない先生があって、
私の知ってる先生は、
きっとまだ表だけなの」
誰だってそんなもんよ?
本音は尊いとか、
ウソは良くないとか、
確かにそれは正論だけどね、
それじゃ世界は回らないのよ」
黒髪(違う)
ひき娘「違うの。
それは確かにそうなんだけどね、
私が言いたいのは、
そういう事じゃなくて」
黒髪(聞きたい。
ひき娘の思いを。
でも聞きたくない。
ひき娘の思いだから)
ひき娘「先生をね、
包んであげる人に、
なれたらいいなーって」にこっ(////
黒髪「ばかねー」苦笑
ひき娘「ば、ばかじゃないもん」(////
黒髪「ばかよ。ばーか。大ばかよ」
ひき娘「……黒髪さん?」
黒髪「それをね」涙ぽろぽろ
黒髪「愛って、呼ぶのよ」
三十三日目 教員室
友「男ー、
出勤したばっかりで悪いが、
ちょっと時間もらえるか?」
男「はい?
大丈夫ですが」とことこ
友「ま、そこ座れよ」
男「はぁ……よっこいせ、と」
友「おいおい、
お前さ、それやめろよ」
男「はい?」
見てたら確実に、
おっさんって、呼ばれるぜ?」
男「はあ、まあ、
年齢的にはもう三十路ですから、
さして間違った表現とは思いませんが」
友「ちがうだろ!
三十路だからこそ若々しく、
雄雄しく、猛々しく!」
男「……さて、授業の準備をしますか」
友「うぉおい!
せめてツッコミくらいしてくれよ」
男「まったく、面倒な人ですね」
友「真面目な顔で云うなよ、
いくら冗談でも傷つくだろ?」
友「は?」
男「冗談を言ったつもりはないですよ」
友「……なんで、
なんで俺コイツ雇ったんだろ……
って、そうじゃなかった。
ちょっと話があったんだよ」
男「何ですか?」
友「この前、長い時間じゃなかったが、
黒髪ちゃんだったか?
彼女と話す機会があってな」
男「……生徒を口説くのは関心できませんよ?」
友「そんなんじゃねえよ!」
完全に友の好みですよね?
小学校のときのあの子や、
中学の時に当たって砕けたあの子、
高校のときの――」
友「だぁぁあああ! ダマレッ!
コレだから幼馴染ってヤツは!
どれもコレも振られて、
未だに彼女いない暦
=人生の俺を舐めてんのか……」うぐぅ
男「かわいそうなので話を戻しましょうか」
友「おい、本音出てるぞっ」ぐすっ
友「コレはあくまで俺の勘だがな。
黒髪ちゃん、お前に惚れてるぜ」
男「……」
友「……」
男「え、それだけですか?」
友「それだけ、ってなんだよ。
云いたいことがあるならはっきり言え」
男「いえ、なんというか、
時間を取って損したなーと」
友「はっきり言いすぎだ!
あんな美少女が!
しかも逆玉確実な子に惚れられて、
その反応は何だよ」
本人からよく言われているので」
友「……冗談じゃないんだが」
男「黒髪さんとしては、
そんな惚れたのなんだのではなく、
単純に会話を楽しんでいるだけでしょう」
友「……あのな、
お前がそう考えるのは勝手だが、
一応言っておくぜ」
男「はい」
友「それでも一度でいい、
黒髪ちゃんを恋人とか、
そういう相手として、
考えてみてやってくれよ」
友「俺の推測が多いが、
黒髪ちゃんって子はお前が好きだ。
そして友達のひき娘ちゃんも好きだ」
男「まあ、好意は感じていますが」
友「口を挟むな。
もしお前らがこのまま、
ひき娘ちゃんと親しくし続けるなら、
黒髪ちゃんは、
そのまま大人しく身を引くだろうぜ」
男「……」
友「お前とひき娘ちゃんが、
どういう関係になるのか、
それともどうにもならんのかは、
俺にはわからん」
友「だから黙ってろ。
あの黒髪ちゃんって子は、
俺の見立てじゃ強い子だ。
自分の欲しいもののために、
戦うことができる。
だからたとえばお前が、
そこらの女と付き合うってなら、
彼女は手段を選ばず、
お前を奪いにくるだろうさ」
男「……」苦笑
友「だが、あの黒髪ちゃんって子は、
ひき娘ちゃんが相手なら、
戦おうとすらしないだろうぜ。
お前は、
黒髪ちゃんがひき娘ちゃんに対して、
どうしてあんなにこだわるか、わかるか?」
友「それもある。
だがな、それ以上に、
黒髪ちゃんはひき娘ちゃんに対して、
強い劣等感と、恩義を感じてるんだ」
男「……」
友「ひき娘ちゃんを助けて欲しいと、
お前に対して頼んだのは、
お前がひき娘ちゃんを助けられると思ったからじゃない」
男「……それは」
友「ひき娘ちゃんは助けたいだろうが、
それはそれ、コレはコレだ。
そこでまずお前を選んだのは、
お前と一緒にいたかったからだと、
俺は彼女の話を聞いて思ったぜ」
友「だから一度でいい。
彼女と向き合ってみろ。
黒髪ちゃんって子は、
周りのガキより段違いに賢い。
可愛がってもらえる仮面や、
鬱陶しく思われない仮面を、
きちんと使い分けている、
そこらの大人より大人なヤツだ。
戦うって事がどんな事かも、
おそらく分かってる。
喧嘩とかじゃないぜ。
金や情報、人の動かし方、
そういった戦いだ。
だからこそ、黒髪ちゃんは、
友達を傷つける事を、恐れてる」
友「ああ。
お前は一度、
一人の男として、
あいつに向き合うべきだ。
その事に気がつかないで、
冗談だろうと笑ってたら、
お前は絶対にいつか後悔する」
男「……わかりました」
友「時間取らせたな」
男「いえ、その価値は、
十分以上に有ったと思います」
俺はもう授業だからいくぜ」
とことこ
ぱたん
男「……」
男「黒髪さんの気持ちと向き合え」
男「……それならむしろ、
友さんが、友さん自信と、
向き合うべきでしょうね」
男「いったいどれだけ、
心から向き合えば、
それだけ相手の事が見えるのか」
それがまた友さんの良い処でもありますが……」
男「さしあたって、
性急にとは思いませんが、
ゆっくりと状況を変えて……
ひき娘さんとも黒髪さんとも、
少し距離を取るべきでしょう」
男「教師として……」
三十四日目 ひき娘の部屋
男「では、今日の授業はここまでにしましょう」
ひき娘「はいぃ~。
お疲れ様でした」よろよろ、へこっ
男「お疲れ様でした。
それでは、失礼しますね」がさがさ
ひき娘「え、あの……」
男「はい?」
ひき娘「あ、あの……
もしかして今日は、
何か急ぎの用事があったり、
するんですか?」
何かありましたか?」
ひき娘「……その、
いつもなら、少しお話したり、
してくれるから……」ちらっ
ひき娘(もうちょっと、
先生と一緒にいたい……
特に、今日は)
男「…………そうですね」
ひき娘「あ、あの」
男「はい」
ひき娘「その、先生は……」
男「……」
ひき娘「自分がここにいていいのか、
いない方がいいんじゃないかって、
思った事はありますか?」
ひき娘「少しだけ」
男「……」
ひき娘「……」
男「事情は、話してくれないようですね」苦笑
ひき娘「ごめんなさい」
男「では、観念的になりますが――
わたしにもやはり、
自分がここにいていいのかと悩む時はあります」
ひき娘「……」
存在とその価値とは、
人にとってどのようなものか。
マズローいわく、
欲求には五つの階層があります。
重要度が高い順に、
『生理的欲求』『安全欲求』
『愛情欲求』 『尊敬欲求』
『自己実現欲求』
となります。
後者三つが、存在とその価値についての考えですね。
欲求というのは、
その生命と精神の存続に、
必要となる要素を欲することです。
必要以上を欲するのが、欲望です。
つまり人間にとって、
食べる事や安全である事についで、
誰かに愛されること、
誰かに価値を認められる事は、
その精神に必要なことなのです」
ひき娘「必要、なんですか」
誰かに認められたいと願う心は、
喉が渇いているから、
水が飲みたいと願うようなものなのでしょう」
ひき娘「それなら、
先生はどうして、
自分が必要か悩むんですか?
学校とか塾が有って、
恋人さんとかも、いるんですよね?」
ひき娘 つくん
男「学校や塾といった、
社会的な場はありますが、
恋人はいませんよ」苦笑
ひき娘 つくん
お付き合いした経験もありますが、
どちらからともなく別れてしまうのが、
今までの常ですねぇ……」苦笑
ひき娘「……」
男「話がそれましたね。
様々な事情はありましたが、
わたしが学校を辞めたのは、
自分が教師として必要だと思った、
その考えを否定された事が理由です。
わたしは本当に生きる価値があるか、
教師として生きて良いのか。
教師を辞めた際に、
恋人とも破局しましてね。
お酒に浸って現実を忘れようとしたりもしました」
先生は、先生なんですね」
男「当時の自分からすれば、
今の自分がいることも、
想像の埒外ですけどね」苦笑
ひき娘「でも、先生が先生で、
良かったです。
こうして、出会えたから」
男「……ありがとうございます」にこっ
ひき娘「それで……その、
たとえ話なんですけど」
男「はい」
ひき娘「もし先生が、
先生がいることが、
誰かを苦しめたりする時、
先生は、どうしますか?」
それが自分にとって、
どうでも良い集団からの場合、
その集団を離れて、
新しい集団を作れば話は済みますが……
しかし、そうでないなら。
自分にとって大切な相手や集団で、
他に替えが無いと思うなら……」
ひき娘「そんな時は」
男「…………わかりません。
そもそもこうした、
観念的な話というのは、
物事を抽象化し、
その要素をパターンかする事で、
解放を導く手段です。
しかし、この件に関しては、
パターン化できるほど単純ではありませんからね」
男「お役に立てなくて申し訳ありません」
ひき娘「いえ」
男「ただし」
ひき娘「はい?」
男「私や黒髪さんは、
どんな状況であれ、
ひき娘さんを大切にしたいと、
そう思っていますよ」
ひき娘「……っ」
聞かないよね。
……言えないよね)
男「ひき娘さんが何を悩み、
どう思っているのか、
どんな答えを出すかは、
今の段階ではわかりません。
しかし、私も黒髪さんも、
ひき娘さんのことが大好きです。
だから、
わたし達の事は、信じてください」
ひき娘「ぁ……ぅ…………」ぐすっ
ぎゅっと手を握って耐える姿は、
なんと小さい……)
男(そんな小さな体で、
また何を背負い込もうとしているのでしょうか)
ひき娘「…………その、ありがとうございます」
男(夕暮れの明かりの中で、
目元が涙で少し光って……)
男 すっ
ひき娘「……っ」
男 なで、なで
ひき娘「あっ……」ぷるぷる
男「っ、すみません、
つい、その……」
ひき娘「い、いえ。
ご、ごめんなさい」ぷるぷる
男(頭を撫でた瞬間、
ひどく怯えた表情で、
手を弾き飛ばされた……)
ホントに、ごめんなさい」ぶるぶる
男「いえ、悪いのは、コチラです」
男(歯の根が合わないほど震えて、
指先の色が抜けるほど強く、
手を握ってこらえている)
ひき娘 はぁ……はぁ……
男「すみません」
ひき娘「きょ、今日は」ぷるぷる
男「わかりました。
また明後日に来ます」
ひき娘「……すみません」
男 ぐっ……とことこ
ぱたん
ひき娘 ぎゅぅ……
ひき娘 がたがたがたがた
ひき娘「思い出したく、ない」
ひき娘「あんなこと」
茶髪『おい、見てみろよ、
コイツ怯えてるぜ?』
ピアス『はは、お前が殴りすぎたんだろ?』
刺青『お前らだって殴っただろ。
まあ、コレでやっと、
自分の立場がわかったろ? けけっ』
やっちまおうぜ』
ピアス『大丈夫だっての。
ウチの親が教育委員会だからよ、
教員なんざ、見たって何もいわねえよ』
茶髪『ひひ、お陰でやりたい事ができるぜ』
刺青『どうでもいいだろ、んなこと。
おいひき娘、面倒だからお前、
自分から服脱げよ。
どうせ他の奴にも股開いてんだろ?』
どうせだし服破ってやろーぜ』
茶髪『なんだよ、ピアスそーゆー趣味?
ま、彼女あいてじゃできねえし、
俺もさんせー』
刺青『んじゃ、やっぱいいわ』チキッ
刺青『ナイフ、見えるよな?
刺されたくなけりゃ、
せいぜい大人しくして、犯されろ』
ひき娘『い、いや……っ』
ピアス『イヤ、じゃねーの』げしっ
ピアス『げ、よりにもよってアイツかよ』
茶髪『ひひ、ママの七光りはどうしたよ』
ピアス『知ってるだろ、
アイツそういうの気にしねえって。
くそっ、とりあえず行こうぜ』
刺青『ちっ、せっかく盛り上がってきたのによ。
顔見られる前に、行くぞ』だだっ
?『くっ、待てっ!
キミ、彼女を保健室へ。
わたしはアイツラを――』
ひき娘「痛いのは……」
ひき娘「殴らないで」
ひき娘「髪の毛、ちぎらないで」
ひき娘「蹴らないで」
ひき娘 がくがく……
ひき娘「う、……ぅく」ぽろぽろ
ひき娘「もう、ずっと前……
ずっと前だから、
もう大丈夫、大丈夫……」がくがく
ひき娘「………………」
ひき娘「……ふ……ぅ」
ひき娘「はぅ……」
ひき娘(目の前に、
大きな手が来て、視界がふさがったら……)
茶髪『コイツ面白いぜー。
頭殴るとよ、足元ふらつかせんの。
せーぶつの実験、ってな!
俺らすっげー真面目な学生だよな、くくっ。
おい、歩けよっ!』
ひき娘「…………っ」
ひき娘「もう、思い出さない……」
ひき娘(急に、あの時の事が、
一気に思い出されて……)
ひき娘「もう、やだよ……」
ひき娘「…………もう」
ひき娘「なんで、私が……」
ひき娘「……ぐすっ」
三十四日目 教員室
男「……」かきかきかきかき
男「…………」かきかきかき
男「………………はぁ」
男「いけませんね、こんな調子では」
黒髪「そうよー。
先生らしくないじゃない」ひょこっ
いつの間にコチラへ?」
黒髪「さっきからいたわよ。
話しかけても応えないから、
いっそ面白くなって見てたけど」
男「趣味が良くないですね」
黒髪「態度が良くないよりはマシじゃない?」
男「……私の態度は良くなかったですか?」
黒髪「授業中に突然考えこんだり、ね」
男「授業に私事を持ち込むなんて、
申し訳ない……」
ああ、この人も人間なんだって」
男「それはどういう意味ですか」苦笑
黒髪「そのままよ」にやっ
男「……それで、どうしましたか?
質問にいらしたんですよね」
黒髪「質問があるとしたら、
今日の先生はどうしたんですか、
といったところよ」
男「…………」
黒髪「答えたくないのかしら?」
ひき娘さんをおびえさせてしまったようでして」
黒髪「……何かしたの?」
男「詳しくはわかりませんが、
少し何かに悩んでいるようだったので、
励ますつもりで頭を撫でると、
急に怯えだして……」
黒髪「それだけ?」
男「誓って」
黒髪「…………となると、
どういうものかはわからないけど、
それが鍵になって、
いじめられた事を強く思い出したのかしら」
男「恐らく、そうでしょう」
ひき娘の中では、
まだ終わってないのね」
男「……焦ってはいけない。
それは誰より私が判っていたのに、
どうにも……」
黒髪「やりきれないわね。
……そうね、それなら一つ提案があるわ」
男「はい?」
黒髪「よかったら、
週末に時間もらえないかしら?」にやっ
三十九日目 駅前広場
黒髪「ないわー」
男「……遅れてやってきて、
第一声がそれですか」
黒髪「だって、ねえ。
せっかくの土曜日!
週末に二人っきりで外出よ?
いわばデート!
それなのに、その格好って……」
男「普段どおりですが、なにか」
黒髪「……普段からそのスーツなの?」
男「そうですが」
こうやってオシャレしてきたっていうのに」ぶつぶつ
男「どうかしましたか?」
黒髪「何でもないわよ」
男「……とりあえず、
黒髪さんはお昼はどうしましたか?」
黒髪「軽くつまんできたわ。
何か食べても大丈夫だし、
食べなくても平気な程度に」
では、ランチは考えず、目的を果たしましょうか」
黒髪「そうね。
そういえば、アレからどうなの?
ひき娘との関係は」
男「悪くはありません。
ただ、最近は落ち着いていましたが、
先日の一件以来、
ある距離から近づくと、
目に見えて緊張するようになりましたね……」
黒髪「やっぱり、簡単にムリね。
……例の作戦を実行しましょう。
名づけて――
『ひき娘にプレゼントで仲直り作戦!』」ビシッ
妙にキマッたポーズ……
練習でもしたんでしょうか?)
男「……やはり、考えたのですが、
そんな問題ではないと思いますよ。
第一、私たちは不仲になったわけでもありませんから」
黒髪「一見すれば、ね。
嫌われたなら仲直りしやすいけど、
ひき娘は先生を嫌ってない。
ただ、先生に対して、
過去の幻影を重ねてるだけ」
男「それが判っていて、プレゼントで仲直りですか」
黒髪「そんな疲れた顔しないでよ。
別に根拠なく機嫌を取っておこうみたいなノリじゃないから」
男「そうなんですか?」
今のひき娘って、
先生に対して過去の恐怖を重ねているじゃない?」
男「恐らくは」
黒髪「つまり、今のひき娘にとって、
先生が恐怖の象徴なのよね」
男「……身もフタもない分析ですね」
黒髪「こういう分析に、
私情は何の意味も無いわ。
むしろ正確な分析をして、
現状からの打開策を探す原動力に、
その私情を燃やすべきじゃない?」
男「もっともです。
……ふむ、云いたい事はおおよそわかりました」
そう、先生自身が過去の恐怖なら、
その恐怖を無価値にするような、
好意の感情で、
改めてその過去の感情を塗り替えればいいのよ」
男「そう簡単な話ではないですが、
無意味でも無いでしょうね」
黒髪「無意味でないなら良いじゃない。
ぶっちゃけて云えば、
今までひき娘の内面に有って、
手の出しようが無かったものに、
何かできるかもしれないって事でしょ」
男「肯定的に考えるなら、
そのような考え方もできますね」
取れる手段が一つも無くなって、
希望が見えなくなってからすればいいじゃない」
男「……いけませんね。
今日の私はどうやら、
黒髪さんに面倒をかけ通しです」苦笑
黒髪「たまにはいいじゃない。
ひき娘の事についてとか、
私だって先生に迷惑かけたもの。
この件だって元をたどれば、
私がひき娘を紹介したからよ。
私ができない事を手伝ってもらう。
手伝ってくれる先生に、
私が私の出来る事をする。
そこには共栄関係は有っても、
問題はないと思うわよ」
今日はかなわないようです」苦笑
黒髪(そりゃそうよ。
このデートのお誘いをしてから、
何回も何回も、
頭の中で考えたんだもん。
先生の口にしそうな言葉とか、
考えそうなこととか)
黒髪「ふふっ、
それじゃ、行きましょ。
ひき娘の気に入ってくれるもの、
がんばって探さないと」
男「はい」
三十九日目 アーケード
とことこ
黒髪「それで、
先生は何をプレゼントするつもり?」
男「そうですね。
ひき娘さんが喜ぶもの……
アクセサリなどは、
たぶん喜ばないでしょうね。
服はサイズがわかりませんし……」
黒髪「サイズは判るわよ。
ただ、どうかしら。
下手するとイヤミになるわよ」
男「イヤミ、ですか?」
また話は変わるけど……
ひき娘は自分の服、
子供っぽいって自覚があるから――
中学生の頃の服の着まわしだから、
しかたないんだけど、
そういう場合は逆効果だと思うわ」
男「云われてみればそうですね」
黒髪「……そうね。
個人的には、
少し上等な文具一式、とかが良いと思うわ」
男「文具ですか」
文具のプレゼントなら、
いろいろ言い訳も立つでしょ。
気付いてたみたいだけど、
ひき娘の使ってる文具って、
今は中学生の頃のだから、
デザインとか機能に不満があるみたいだし」
男「……よく考えてますね」
黒髪「ひき娘の事だから、当然でしょ」
友『黒髪ちゃんはひき娘ちゃんに対して、
強い劣等感と、恩義を感じてるんだ』
男「…………」
黒髪「先生?」ずいっ
男「――っ、黒髪さん、近いですよ」
黒髪「……ドキドキしました?」にやっ
お化け屋敷に入ったときくらいには」
黒髪「私は貞子じゃありませんよ」むぅ
男「お化け屋敷で、
女の子に手を握られた時くらい、
という意味だったのですが」
黒髪「……っ。
か、からかわないでよっ」(////
男「わたしだけ許されないというは、
幾分か不条理な気がしますね」
黒髪「たしかにそうだけど……」
どうですかね?」しれっ
黒髪「無視しないで、
って言いたいけど、
たしかに良さそうね。
男「では、入りましょうか」そっ
黒髪「ぇ……」(さりげなく、
私の手をとってくれて)
からーん♪
男「一口に文具と言っても、
いくつもありますが……」
黒髪「……」
男「どうしましょうかね?」
黒髪「……」
男「黒髪さん?」
黒髪「っ、え、はい?」
男「大丈夫ですか?」
黒髪「……大丈夫よ」
私だったらこのあたりの物を、
選ぼうと思うのですが」
黒髪「…………とりあえず、
笑った方がいいかしら?」
男「なぜ笑いますか」
黒髪「だって、ねえ。
プリキュアのシャーペンなんて、
今時もらって喜ぶの、
小学生でもいないわよ」
男「しかし、
ひき娘さんは毎週プリキュアを見るファンですよ」
黒髪「それとコレとは別。
第一、先生はひき娘の趣味しらないでしょ」
男「そこは、黒髪さんに聞いたと云う事で」
黒髪「いやよ!
それじゃこの選択、私のセンスみたいじゃない」
男「……そんなにダメですかね?」
こういう時は相手の趣味最優先より、
無難に長く使えるものでしょ。
だいいち、こんな安い作りのペン、
すぐに壊れて使えなくなるわよ」
男「壊れるというのは、
どうかと思いますが……
良く見れば使い勝手も良くなさそうです。
早まるところでしたね」
黒髪「……実は先生って」
男「はい?」
黒髪「プレゼントのセンスが無いって、
よく言われない?」
男「……否定はしません」
黒髪 あちゃー
男「あれ、とは」
黒髪「私がすべて選ぶわ」
男「は?」
黒髪「だって、
この調子で先生と相談してたら、
日が暮れても終わらないわよ」
男「すみません」
黒髪(普段のソツのないところから、
まさかこんな、
低レベルな欠点があるなんて)あいたたた
男「面目ない……」
黒髪(ま、本当に何でもできる人よりは、
可愛げがあるかもしれないわね……ふふ)
男「む、こちらには、
まどか☆マギカのペンケースが」
黒髪「いいから、
そういうのはやめておきなさい!」
三十九日目 洋菓子喫茶ミンドロウ
黒髪「まったく、
こんなに時間がかかるなんて思わなかったわ……」
男「ですからこうして、
お詫びに、友から教えてもらった、
美味しいケーキ屋に来ているわけで……」
黒髪「……メイド喫茶?」
メイド にこっ
メイド かちゃ、かちゃ
メイド「どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ」へこっ
男「二年前はたしか、
普通のケーキ屋だったんですが……」
……あら、結構おいしい」まぐまぐ
男「間違えてませんよ。
確かにこの名前でしたからね」
黒髪 まぐまぐまぐまぐ
男「……気に入ってくれたようでなによりです」
黒髪 まぐ……(////
黒髪「意地悪いわね」
男「理不尽ですね」苦笑
ひき娘へのプレゼントも買えたし、
今日の目的は達成ね」
男「かなり無難になってしまいましたが」
黒髪「こんなところに、
独創性もアニメ成分も要らないのよ」
男「喜ぶと思いますがね、アニメ」
黒髪「……云うまいと思ってたけど」
男「はい?」
ひき娘に消しゴムあげたのよね?」
男「はい。コンビニで売っていた、
シャルロッテの消しゴムですね」
黒髪「シャルロッテ?
まあ、なんでもいいけど、
その安っぽい小さい消しゴムをね、
あの子ったら、
爪の先くらいになるまで、
後生大事に使ってたのよ」
男「……あといくつか、
買っていくべきだったでしょうか」
黒髪「違うわよ。
まあ、数がないって点では、
間違ってないけど。
それ以上に、
先生がくれたって事が、
あの子にとってそれだけ大きかったのよ」
黒髪「言ってしまえば、
たかが消しゴムの一個よ。
でも、あの子にとっては……っ」
男(うつむいて、どうしたのでしょうか)
男「黒髪さん?」
黒髪「あの子にとっては、
大好きな先生からもらった、
大切なものだったのよ」ひっく
男「……」
ひき娘ちゃんが相手なら、
戦おうとすらしないだろうぜ』
男「まさか――」
黒髪「まさかじゃないわよ!」
男「あ、いえ、それでは」
黒髪「あの子はね!」ぐいっ
黒髪 がっ
黒髪「先生が、だいすき、な」
黒髪 ぼろぼろ
男「黒髪、さん」
黒髪「先生が、だい、すき、なの……よ」ぼろぼろ
男「…………」
黒髪 ぱっ
黒髪「だから。
もっと良く考えて、
ずっとずっと、大人になっても、
一生使えるものを、贈ってあげてよ」
男「……黒髪さん」
黒髪「ね」
男「……」
黒髪「……なんで謝るのよ」
男「……いろいろです」
黒髪「そう」
男「……」
黒髪「……それなら」
男「はい」
黒髪「今度はお詫びに、
またどこか、連れていってよ」
男「……はい」
直してくるわね」
とことこ
男「………………」
男 がりがりがり
男「なんだって、こう――」
男「わたしは、
この誘いを断れば良かったのか?」
男「それとも、――それとも?」
男「……はい?」
店長「これ、渡してやりな」
男「お絞り、ですか」
店長「男なんて、
女に泣かれちまったら、
それくらいしかできねえもんさ」
男「……」
店長「……なんてな。
あんまりウチの店で女の子を泣かせないでくれよ?」にやっ
男「……すみません」苦笑
良くわからんが、
女の子の前で沈んだ顔はいかんぞ。
……む、」たたっ
男「……」
店長「ああ、奥様お久しぶりです。
前回のご来店から十日間と三時間ぶりでございます。
しかし前回よりも素敵な笑顔で」延々
男「くっ……くくっ」
なんだかどうにも、
今日は黒髪さんに振り回されすぎです」
黒髪 とことこ
黒髪「お待たせ」
男「こちら、よかったら使ってください」
黒髪「おしぼり? ありがとう」にこっ
男「……」
黒髪「……」
黒髪「はい?」
男「……黒髪さんは、イイ女ですね」
黒髪「…………ぷっ、やだ、何よそれ」
男「素直に、思ったところを言いました」
黒髪「ふふふっ、そんなの、
ずっと前からでしょ?
だって私は黒髪よ?」にこっ
男「そうでしたね。
ええ、ずっと、イイ女です」
黒髪「……それじゃ、そろそろ帰りましょ」
男「はい」
がたがた
男「……何か言いましたか?」
黒髪「お勘定お願いします、って」
男「……聞き返さなければ良かったですね」
黒髪「聞いたからには、お願いね」
男「仕方ありません。
もとよりそのつもりでしたし、
構いませんよ」
黒髪「ふふっ」
男「くくっ」
男「はい?」
黒髪「一つだけ聞かせて」
男「……」
黒髪「わたしと初めて会ったの、
いつだったかしら」
男「……去年の夏講習に、
たしかいらしてましたよね?」
男「?」
黒髪(そう、それが初めてなら、
それでもいい)
黒髪(二年前に、
私の友達を助けるために、
乱暴そうな生徒に対して、
一歩も引かないでまっすぐ向き合った先生。
あの時近くにいたけど、
覚えてないなら、それでいいわ。
その後ろ姿に憧れた私は、これで卒業)
メイド「代金のお釣りをお確かめください」
男「はい、大丈夫です。
……では、行きましょう、黒髪さん」
黒髪「また来させてもらいます」
メイド「お待ちしております」 にこっ
とことこ
黒髪「ねえ、先生」
男「はい?」
黒髪「ちょっと、止まってください」
男「……」
黒髪 とこ、とこ
男(微妙に動いて……
なんでしょうか)
黒髪(そっと重ねた)
黒髪「さーて、
それじゃ私はこちらなので、
失礼します」
男「……はい。お気をつけて」
黒髪「また、授業で」にこっ
黒髪 たたっ
黒髪(先生と、私の影の、唇の先)
四十一日目 ひき娘の部屋
こんこんこん
男「……」
こんこんこん
男「ひき娘さん、どうしましたか?」
こんこんこん
男(なにか、問題があったのでしょうか?)
男 どくん
男(体調不良でしょうか。
最近はまた、
部屋に入れてもらった頃のように、
想定より授業が進まず、
宿題が増えてしまっていましたからね……)
男「……開けますね」
きぃっ
ひき娘 すぅすぅ
男(テーブルに突っ伏したまま、
寝てしまっていますね。
ただ、呼吸は穏やかで)
男 とことこ
男「……改めて、失礼します」
男(そっと触れる。
ひき娘さんの額は、
少しだけ汗ばんでいるものの、
おそらく寝汗なのだろう。
熱いというほどではない)
ひき娘 すぅすぅ
男「まだ、時間がありますね」ちらっ
男「……もう少しだけ、
寝かせて差し上げましょう」
ひき娘 すぅすぅ
男(なぜ友さんや黒髪さんは、
ひき娘さんが私を好いていると考え、
言うのでしょうかね)
男 そっ
男 なで、なで
ひき娘 すぅすぅ
男(わたしなど、
ただの社会不適合者なのに)
男 なで、なで
ひき娘「んん……」にへらー
男(人付き合いが苦手なオタクで、
好きな歴史や文化について、
語りだすと止らない癖があって……)
そんなところがイヤだったと、
そう云って離れていきましたね。
『可愛げがない』
『私がいなくても良さそう』
『つまらない話ばかり』
そういって皆離れてしまい、
結局親交がのこっている人は、
殆どいなくなって……)
男 なで、なで
ひき娘 すぅすぅ
恥じるような行動を行った事は、
決してないといえる生き方でした。
……それでも人は、離れてしまう)
ひき娘「んー」
男 ……なで、なで
ひき娘「んへー」にへら
男(夢中になると、
つい喋り続けてしまう癖も、
人として恥ずべきことではないと、
思うのですがね。
度が過ぎる事もある点は反省すべきですが……)
ずっと話を聞いてくれましたね)
ひき娘「……にゃう。」
男「……くく」
男(ひき娘さんにとっては、
私のこの『悪癖』、
気にならないのでしょうか)
男「……時間ですかね。
ひき娘さん、起きてください」
ひき娘「うにゅ……」
男「ひき娘さん」
ひき娘「なう……」
四十一日目 ひき娘の部屋
男「では、本日の授業はここまでということで
」
ひき娘「お、お疲れ様、です……」ぐたぁ
男「お疲れさまです。
さて、次回の授業ですが、
宿題についてはこちらの紙に、
まとめてきました」
ひき娘「ありがとうございます。
その、今回はごめんなさい、
先生が来るって判ってたのに寝ちゃってて」しゅん
男「何度も言ってますが、
気にしていませんよ。
今日で授業も……十八回ですか。
よくがんばっていると思います」
ひき娘「…………」しゅん
がんばっているのは事実ですし、
授業時間には目をさましたので、
問題にすることも無いのですが)
男「……そうだ、ひき娘さん」
ひき娘「はい?」
男「ひき娘さんのがんばりに、
応えられればと思いましてね。
……このようなものを買ってきたのですが」ごそごそ
ひき娘「……プレゼント?
きれいにラッピングされてるけど、
開けてもいいですか?」
男「はい、御随意に」にこっ
ひき娘 かさかさ
ひき娘「わ……すごいっ。
これ、文具ですよね。
なんか、大人な感じで、
とってもステキです……」
長く使えそうなものを、
選ばせてもらいました。
よければ使ってください」
男(とはいっても、
黒髪さんが絞りこんでくれて、
その中から選んだ物ですが……
そこまでしなければならないほど、
わたしは趣味が良くないのでしょうかね)悶々
ひき娘「…………」
男「ひき娘さん?」
ひき娘「……」うるっ
男「ど、どうしましたか?」おろおろ
男「泣くほどですか?」苦笑
ひき娘「泣くほどですよ……
ただ、先生からもらえて、
がんばってるって認めてもらえて。
とっても、嬉しいんです」にぱっ
男 すぅっ。ぴたっ。
男(あぶない、つい、
また頭を撫でようと……)
男「喜んでいただけたら、
私としても嬉しいです」にこっ
男「はい?」
ひき娘「やめないで、ください。
撫でてください」
男「しかし……」
ひき娘 そろ、そろ
男(両手をついて、
顔をうかがいながら近寄る姿が、
怯える子犬のようだと云ったら、
怒られるでしょうか)
男(せがむように、
頭をそっと私の肩に寄せて)
ひき娘「怖くない、とは、
まだ云えないです。
でも、このままでも、
きっと良くないなって。
せっかく褒めてもらって、
今なら、勇気が出そうだから」
男「確かにそうですが、
ムリをしてはいけませんよ」
ひき娘「……今は、撫でてほしいんです」じいっ
男(覗き込むようにして、
上目遣いで見上げてくる瞳が、
少しだけ涙と恐怖にゆれているような)
ひき娘「触って、ください」
男 そぉっ
ひき娘 ぴくんっ
男 さらっ、さらっ
男(ぎゅっと目を閉じて)
男「……ひき娘さんは、
瞳に表情がでますね」
ひき娘「?」
男(少しだけ目を開けて、
不思議そうに見上げる。
それだけで、
少しの不安と、興味と疑問が伝わってくる)
男「ひき娘さんの目が、
とても魅力的だと言ってます」にこっ
ひき娘「……そんな」(////
その目が見えなくなった事が、
少しだけ残念ですね)
ひき娘 すり、すり
男「……くく」なで、なで
ひき娘「?」
男「小動物のようですね。
そうして、顔を寄せる仕草が、特に」
男(目を細めて、
なんの表情なのか)
男「……不満ですか?」
ひき娘「……たぶん」
ひき娘 そっ
男(さらに近づいて、
そっと体を摺り寄せられて。
それで、不満なんでしょうか)
男 なで、なで
ひき娘 ふるり、ふるり
音も無く震える細い背中。
そこに何を背負っているのか、
見えないのに、見えてしまう)
男「……ひき娘さんは、
この手が、怖いですか?」
男(近づき過ぎないように、
ひき娘さんから離して手のひらを見せる。
ひき娘さんの手に比べれば、
大きく、筋張っている手)
ひき娘「…………」ふるり
私の手のひらを、
見ないようにするため、ですよね」
ひき娘「っ……。はい」
男「……試して見ましょうか」
ひき娘「はい?」
男(そっと首を傾げる仕草に、
やわらかい、良い匂いのする髪が、
私の首筋を甘くくすぐる)
男「たしかひき娘さんは、
チョコレート、お好きでしたよね。
コチラも、渡そうと思って忘れてました」
ひき娘「うん」
男(おそらく、わざと――
ひき娘さんの言葉の距離が、
いつもより近い)
男「では、これ、食べたいですよね」
ひき娘 こくり
男(頷くたびに、
焦らすように首筋を撫でられて……
穏やかじゃありませんね)
男「包みを開けて……
手のひらに載せてみましたが。
ここで思い至りませんか?」
男「……このチョコ、食べていいですよ」
ひき娘 そぉっ
男「ただし」
ひき娘 ぴくっ
男「手は、使ったらダメですよ」にやっ
男(ムリにさせる気は無いものの……
手のひらに置かれたチョコレートを、
ゆっくりとひき娘さんに近づけて、
鼻先に匂いを残して遠ざける)
ひき娘「でも、手を使っちゃダメって」
男「そんな風に、
伺うような目で見ても、ダメですよ」
男(嫌いなものを、
好きなものとして上書きする
……言い訳、か?)
てのひらのチョコを、
もしかしてそのまま……」
男「イヤなら構いませんよ」
ひき娘「……」
男 なで、なで
ひき娘 ふるふる
男「チョコレート、
今日はいりませんか?」
ひき娘「食べたい、けど」
男「では、どうぞ?
早くしないと、溶けますよ?」
ひき娘「う……」
一度口をつけたら、
残さず食べてもらいますよ?」
ひき娘「そ、それって……?」
男「どうしますか?
食べるなら、
早いほうが気が楽だと思いますが。
それとも、わたしの手のひらを」
ひき娘「とけて、のこってたら」じっ
男「舐めて、とってもらいましょうか」にぃっ
男(不安げでいて、
期待しているような瞳。
表情豊かなその光が、
恐怖とは別の何かにゆれて)
ひき娘「…………」(/////
清潔にしてありますから」
ひき娘「そういう問題じゃ……」
男「ああ、それとも――
溶けるのを待ってます?」
ひき娘「え……?」
男「私の手のひらに
チョコが溶けるのを待っているのかなと」
ひき娘「ち、違いますっ」(////
男「でも、そうして時間をかけると、
間違いなくチョコは溶けますよ?
わたしとしては、
溶ける前に食べてもらっても、
溶けてからなめ取ってもらっても、
どちらでも、いいですよ」にこっ
男「はい」
ひき娘「意地悪です」
男「いまごろ気付きましたか?」なでなで
ひき娘「気付いてましたけど……」
男「さて、あまり時間はないですよ。
わたしは次の授業があります」苦笑
ひき娘 ぴくん
男「やはり、自分で食べましょうか。
考えてみれば、
食べ物で遊んでいると云われて、
反論できない状況ですしね」
ひき娘「…………食べます」
ひき娘 ふるふるふる
ひき娘 ちらっ
男 にこっ
ひき娘「うぅ~……」そっ
ひき娘 ぱく
ひき娘 もぐもぐ
男「手のひらに、
溶けのこりはありますか?」
ひき娘 ぴくっ
ひき娘「……ないです」
チョコの味はいかがですか?」すっ
ひき娘「……とっても、とっても、甘いです」
男 なでなで
ひき娘「うう……」
男「どうしました?」
ひき娘「……なんだかホントに、
しつけされてるみたいな」
男「それなら、
待てとお手が必要でしたね」
ひき娘「……やっぱり、意地悪です」
男「でも、よかったですよね。
手のひらに、近づけましたよ」
先生があんな事、
やれって云うから」
男「断ってもいいと云いましたよ。
私の手のひらから食べたのは、
あなた自身の意思です」にこっ
ひき娘「そんな笑顔で、ズルいよ」じっ
男 どきっ
男(ズルいのは、どちらなのか)
ひき娘「……ごちそうさまです」
男「それは良かった」にこっ
男「どうしました?
そんなに渋い顔で」
ひき娘「……ずるいから」じっ
男「なにもズルくなんて」
ひき娘「ズルいんです」
男「……どうやらズルいらしいです」苦笑
ひき娘「…………そろそろ、
行かないと、間に合わないよね」
男「そうですね。
間に合わなくなります」
ひき娘「……その、最後に」
男「はい」
ひき娘「もう一度だけ、撫でてください」
男「…………」なでなで
ひき娘 そっ
男 なでなで
ひき娘「……気持ちいいです」
男「それは良かった」なでなで
男「なんですか」
ひき娘「……授業、がんばってください」
男「ひき娘さんも、宿題がんばってください」
ひき娘 そっ
男(離れていく甘い匂いを、
追いかけたくなってしまう)
四十一日目 男の車
ぶろろろろ
男「いったい」
男「今日のわたしは、何だというのか」
男「つい先日、
教師として距離を取ろうと、
そう決めたばかりなのに」
男 ちくん
男「教師としての距離を、
逸脱しそうな感情を覚えるなど」
男 ちくん
こんな事を続けては」
男(かつて)
男(夢や希望など特に持たず、
ただ進学校を目指し、
その中で成績をあげるだけの、
迷い子だった私)
男(どうやって生きるべきか、
迷う私を支えてくれた人の、
教師という生き方に憧れて……)
男(教師であろう。
ただそれだけを考え、
目指してきた私が、
生徒に対して特別な感情を持つなど、有ってはならない)
男(ありえない)
男(迷い子に手を差し伸べる人徳者。
知識を伝える伝道者。
ただそうで在ろうとしてきたのに)
男(すりよって来る少女の、
信頼した表情と、
目をそらしても、
否応無く突きつけられる好意に、
ほだされてしまっている)
男「いくら鈍くても、気付きますよ、そりゃ」
男(でも、気付こうとしなかった。
気付きたくなかったから、目を背けていた)
男「いつまでも、見ていたくなる」
男「…………もう、これは」
男(友さんに、家庭教師の代役を、
求めるべきでしょう)
男(これ以上、時計の針が進まないように)
四十三日目 ひき娘の部屋
こんこんこん
ひき娘「はい」びくっ
友(普段なら扉を開けるけど、
この子相手にいきなりそれは、
マズいんだったな)
友「はじめまして、ひき娘ちゃん。
男から電話で聞いたと思うけど、
代打の友です」
ひき娘「……はい」
友「いやー、悪いね。
こっちの都合で振り回しちゃって」
ひき娘「だ、大丈夫です」
友(おうおう……
何が大丈夫だってんだよ。
めちゃくちゃ緊張してんじゃねーか)
んで、男から聞いてるんだけど、
最初は扉の外で授業かな?」
ひき娘「あ、あう……
え、と……
おへ、やに。どうぞ」
友「無理しなくていいんだぜ?
気楽に気楽に。
お兄ちゃんに頼るつもりで!」にかっ
ひき娘「えと……」
もうちょっと大人に、ダンディがいい?」
ひき娘「え、ええ?」
友(超渋い声)「やあお嬢ちゃん。
授業の用意は十分かね?」
友(普通)「みたいな」にひっ
ひき娘「っ! すごいですね!
声優さんみたい!」
友「いやいや、そこまでじゃないって」照れ照れ
中に、どう、ぞ……」
友「じゃ、お言葉に甘えて」
がちゃっ
友「お邪魔します」にかっ
ひき娘「ど、どうぞ」ぎしぎし
友「よく片付いた部屋だねー。
あ、勉強ここですんの?
じゃ教材おくね」さっさっさ
ひき娘「は、はい……」ガチガチ
かわいそうなくらい固まって。
男のヤツ、こんな子が折角、
心を許してくれたってのに、
それを押しのけるなんて)
友「やっぱり、
あのダンディ・ボイスのがいい?
キャラクター設定受付ちゃうよ」けらけら
ひき娘「……いえ、大丈夫です」
友(ちょっと迷ったな)笑
俺の事は先生って呼ぶの禁止ね。
コレ、皆に言ってるんだけどさ」
ひき娘「はひ? か、噛んじゃっちゃ……あう」
友「りらっくす、りらーっくす。
ほい、深呼吸して?」
ひき娘 すー、はー
ひき娘「え、えっと。
じゃ、友さん、と」
ここは一つ、お兄ちゃんと呼んでくれないか」きりっ
ひき娘「お、お兄ちゃん?」
友「ザッツライッッッ!」
ひき娘 びくぅっ
友「ひき娘ちゃんみたいに、
可愛い妹が欲しかった俺の理想!
ここが、俺のエルドラドだったのか……」
お兄ちゃんって……」
友「女の子にはそれなりに。
でもホントに言ってくれたの、
ひき娘ちゃんが初めてだけどね……」しゅん
ひき娘(すごくテンション高くて、
めまぐるしく表情の変わる人……)
友「さて、そんな授業にしよっか」にこっ
ひき娘「はい」こくっ
友(……とりあえず、
最低限は緊張解けたか?)
友「そんじゃ、今日はテキストの~」
四十三日目 ひき娘の部屋
友「そんじゃ、今日はここまで。
お疲れ様」にこっ
ひき娘「はい。お疲れ様です」へこっ
友「進め方どうかな?
よく予習できてたから、
それなりの速度でやっちゃったけど」
ひき娘「大丈夫でした」
友「それなら良かった」にこっ
ひき娘「むしろ、
すごくゆっくりだったような」ぼそっ
友「ん?」
ひき娘「い、いえ。なんでもっ」
友「なんだい?」
ひき娘「先生は……」
友「お兄ちゃん」キリッ
ひき娘「ち、違います。男さんは……」
友「あー。あいつからなんて聞いてる?」
ひき娘「……ちょっと、別件が、と」
友「え、そんだけ?」
ひき娘「はい……」しゅん
友(だあああ。男め!
人に押し付けるなら押し付けるで、
未整理で寄越すなよ!)
受験生の授業任せててね。
今までいた人が急に来れなくなって、
文系で教えられるのが、
アイツくらいだったんだ」しれっ
友(く、苦しい言い訳だな、我ながら)
ひき娘「そ、そうなんですか。
お疲れ様です」
友(うおおおお、罪悪感が……
なんだこの素直さ!
しかも気遣いできる優しさ!)
ひき娘「……そっか。
それなら、仕方ない、ですよね」
友(んでもってこう、
仕方ないの一言だけで、
俺はもう逃げたくなる可愛さ!
本当に妹に欲しいねぇ……)
男の授業のがよかったかな?」
ひき娘「え、そ、その……
おにい、ちゃんの、授業も、
楽しかったです」
友「そりゃ嬉しいね。
ただ、正直に言っていいんだぜ?
ぶっちゃけどうよって話」
ひき娘「えと……」
ひき娘「……」
友「大丈夫ならいいぜ?
ただ、代わって欲しかったら、
好きなときに云ってくれよ。
俺の塾は生徒さんの希望優先。
多少無理しても、
御要望には応えますってな」にかっ
ひき娘「……はい」
ここからここまででどう?」
ひき娘「そんなに、少ないんです?」
友(おいおい、
学校云ってないっていうから、
他のヤツの三倍出してるんだぞ?
それが「そんなに」少ないって……)
友「……普段なら、
ここからだったらドコまでやる?」
ひき娘「えっと……」ぱらららららら
ひき娘「……」ららららら
友「……男のヤツ、
本気でスパルタしてるな。
よし、じゃ、そこまでね」
ひき娘 びくっ
友「男から甘くするなーって、
云われてっからさ」にやっ
ひき娘 ……こくん。うるうる
友(やべ、涙目が可愛すぎ……)
友「そんじゃ、また――」
ひき娘「は、はい……」
ひき娘「……」ぐたぁっ
ひき娘「授業はそんなに大変じゃなかったけど」
ひき娘「…………先生」
ひき娘「……………………男さん」
四十八日目 教員室
男 かきかきかきかき
黒髪 そろーっ
男 かきかきかきかき
黒髪 にひっ
黒髪 ばっ
黒髪「だーれだ」
男「…………仕事の邪魔ですよ?」
黒髪「むぅっ、ノリが悪いわね」
黒髪「でも、根のつめすぎはダメでしょ?」
黒髪 もみもみ。きゅっ
黒髪「ほら、目元の筋肉が固まっちゃってる」
男「……気持ち良いですが、
自分でできるので大丈夫ですよ。
それより、要件を済ませてください」
黒髪「早くいなくなれって事?」
男「端的に悪意をもって解釈すれば」
黒髪「善意で解釈すれば?」
男「夜道は危ないので、
まだアーケードに明かりのある、
今の内に歩いたほうが良いでしょうという心配です」
男「善意が十割、悪意が二割ですね」
黒髪「上限超えてるじゃない」
男「副次的に意味を持つ場合、
単純な比率ではあらわせませんからね」
人の言動などその代表でしょう」
黒髪「……いつになく、つれないわね」
男「そうでしょうかね」
黒髪「そうでしょうよ」
黒髪「…………しょうがないわね。
判ったわ、本題ね」
男「はい」かきかきかき
黒髪「ひき娘から電話があってね。
なんでも、家庭教師を代わったって」
男「忙しくなったので、代打を起用しました」
黒髪「野球は好きじゃないの」
男「そうなんですか?」
黒髪「そんな話を膨らませて、
うやむやにしようとしないでね」
男「……バレましたか」苦笑
黒髪「バレバレよ」
黒髪「そうね」
男「それが、黒髪さんの問いへの答えですよ」
黒髪「なによそれ」
男「……」
黒髪「……」
男 かきかきかきかき
黒髪「……そう、わかったわ」
男「判っていただけたならよかったです」
黒髪「分かり合えそうにない。
買いかぶりだったって、わかっただけよ」くるっ
黒髪 すたすたすた
ばたん
男「……間違っては、いない」かきかきかき
男「教師と生徒には、
最低限必要な距離を、保っただけです」
男 かきかき
男「……」
男 ぎしぃっ。せのびー
男「……」
私にとって、唯一の価値。
教師であるという価値を保つため、
必要な行為」
男「……」
男「必要――なくてはならない」
男 がしがし
男「必要になってしまって、
いたんでしょうか」
男「伺うような表情が多くて、
他の人には、
きっとひき娘さんは、
ずっと困ったような顔に、
見えるかもしれない……」
男「でもそれ以上に、あの瞳が」
男「大きな目の中で、
きらきらと輝く瞳が、
顔の表情よりもに、
感情を伝えてきて、気付かされる」
男「思慕、尊敬、憧憬……」
男「私の話に、
本当に楽しそうに目を輝かせて」
男「楽しく」
男「教師の仕事だというのに。
それ以上に私は、
ひき娘さんと会うのを楽しむようになっていた」
男「アレだけの好意を向けられて、
変質しないほど、鈍くはないんですよ」
男「そうであれば、良かったのに」
男「鋼鉄の魂が欲しい。
チタンの心が欲しい。
変質しない、無機質なものでありたい」
こんな私と」
男「部屋の中にしか居場所の無い、
ひき娘さんと」
男「引き合う孤独の力にも、
影響を受けないように」
男「重力の強さは、
距離の二乗に比例する」
男「私と彼女も離れていれば、
やがて……」
他の人のそれとは意味が違う……」
男「彼女にとっての私は、
彼女の世界の中での唯一の異性」
男「カウンセリングの過程で生じる、
擬似的な相手への依存」
男「私の想いとは。かさならない」
男「だから、これでいいのです」
男「これで」
男「……帰りましょう」
四十八日目 塾のビル前
男 とことこ
男「…………ん?」
?(遠く)「からよっ。……ぜ」
?(遠く)「……じゃんよー」
男「最近の若者は、元気ですね。
ただなにやら、物騒な雰囲気で……」
黒髪(遠く)「離してよっ!」
男「っ!」だだっ
黒髪「先生っ、助けて!」
茶髪「あん?」
刺青「なんだアイツ」
男「いま警察を呼んだぞ!
すぐに来るから大人しくしなさい!」
ピアス「……ちっ、行くぞ」どかどか
茶髪「でもよ、警察なんざ……」
面倒ごとになる前に行くんだよ」げしっ
茶髪「いてっ、いてぇーなー。
わかったよ」とことこ
刺青「次に会ったら、
今度はもっとやってーなんて云うまで、
犯してやんよ。けけっ」ぺっ
男「いこう……」ぎゅっ
黒髪「っ……」
男 ぐいっ
とことこ
男「気がつけてよかった。
暴力を振るわれていませんか?
必要なら病院に向かわないと」
黒髪「……」
男「……黒髪さん?」
黒髪「……っ。ひぐっ」ぼろぼろ
男「…………」
男 そっ
男 ぎゅぅっ
黒髪「ぅ……ぐ、うう…………っ」ぎゅぅっ
黒髪「っぐ……ぁぅ……ふぐ……」
男 ぽん、ぽん
黒髪「せん、せい……」
男「……はい」ぽん、ぽん
黒髪「ごめんなさい……」
男「なぜ、謝りますか?」
黒髪「だって、だって……」ぼろぼろ
男 ぽん、ぽん
黒髪「先生の、ごどばの意味……」
男「……もしかしてそんな事のために、
こんな時間にわざわざ、戻ってきたんですか?」
黒髪 こくん
男「危険だと、言いましたよね」
黒髪「ごべんなざい……でも」
男「でもも、なにもありません。
とりあえず、ティッシュです。
使ってください」
男「まったく。
わたしは危うく、
黒髪さんをひどい目にあわせるところでした」
黒髪「……そんなの」
男「どうでもよくありません。
だいいち、怖かったでしょう」
黒髪 こくり
男「すみません。
わたしが、きちんと説明しなかったばかりに」
黒髪 ふるふる
男「とりあえず、今日は送ります。
車に乗ってください」がちゃ
四十八日目 車内
ぶろろろろ
黒髪「……」
男「……」
黒髪「……ね、先生」
男「なんですか?」
黒髪「先生は、
今回私じゃなくても、助けたの?」
誰であっても、
自分が助けられる範囲で、
助けられる人は助けますよ」
黒髪「……変わってないですね」
男「はい?」
黒髪「ずっと前の事です。
私の学校に、一人の先生がいました」
男「……」
テストは難しいけど、
人気のある先生でした。
ただ、一つの事件がきっかけで、
先生は学校を辞めたんです」
男「それは」
黒髪「辞めたといっても、
本当は、辞めさせられた、でした。
先生がいなくなるとき、
偶然私は、
大きな荷物を持った先生と会って、
先生が辞めるって、聞いたんです」
男(黒髪さんと、私が?)
『どんな理由があっても、
教師は生徒を殴っては、
いけないらしい』って、
悲しそうに云われました。
私はその前日に、
先生と一緒にいたんです。
先生が殴った生徒が、
女の子をおそっている所を、
先生と一緒に見たんです」
男(そうだ。
あの事件の時、
私は一緒にいた女生徒に、
いじめられていた女の子を任せて、
逃げる子たちを追いかけた。
あの時に一緒にいたのは)
なんでそんな事をするんだって、
その生徒を殴ってました。
悲しそうに泣きながら。
その姿を見て、
私はその先生を尊敬したんです。
おそわれた子のためでもあったけど、
おそった子たちのためだって、
それが伝わってきて」
男「……」
黒髪「それなのに、
それがいけなかったって、
悔しそうに、笑って……
いつでも生徒のために、
がんばってくれてる先生で、
ずっと、ずっと、
尊敬してて」
男「……人を殴る人を、
尊敬してはいけせんよ」
『もし生まれ変わったら、
彼らを見逃しますか』
私が最後にそう聞いたんです。
『同じように殴るでしょう』
まっすぐに、胸を張ってそう答えた姿が、格好良かった。
あの先生のお陰で、
私は、こんな人になりたいって、
目標を見つけることができたんです」
男「……」
黒髪「正確には、
あんな人の隣に立てるようにって、
髪をきれいにして伸ばして、
お化粧を研究して、
勉強もがんばって……」
男「……」
誰だかわかってもらえなかったけど、
それでも良かったんです。
今度は一から、
私を見てもらおうって」
男「……黒髪さん」
黒髪「でも、その人を友人に紹介したら、
その友人の方が、
私よりずっと親しくなっちゃいましたけどね」
男「……」
聞いてくれませんか?」
男「…………はい」
黒髪「先生は、すごい人です」
男「…………」
黒髪「どれくらいすごいかって、
私みたいないい女が、
惚れちゃうくらいです」
男「……はい」
黒髪「だからこそ」ほろり、ほろり
黒髪 ぐしぐし
黒髪「教室の外では、
少しくらい、肩の力を抜いてください。
教師じゃないあなたを、
必要としている人がいるから」
男「…………」
男「……」
黒髪「あ、そこの交差点までで、
いいですよ」
ぶろろ……
男「黒髪さん」
黒髪「イヤよ」
男「え……」
明日には、元気で明るくて、
美人で格好良くて知的でユーモラスな黒髪になるから」
男「……」
黒髪「今は、何も聞きたくないの」
男 こくり
黒髪「じゃね。先生。
送ってくれて、ありがと」くるっ
黒髪 すたすたすた
四十八日目 コンビニ前
茶髪「あーだりー」
ピアス「ったく、変な男のせいで、
せっかくの獲物だったのによ」
茶髪「な、な。
胸はちょっと足りないけどよ、
お嬢様風っつーの?
たっぷりバツ食わせて、
客とらせてもイケたはずなのによー」
ピアス「あはは、お前マジでどキチクじゃね?」
刺青「……」
茶髪「おい、刺青ー」
ピアス「は? 前世の因縁とか?
スピリッチュアルー、なんちって」
刺青「んなワケあるか……いや、そうか」
茶髪「え、マジで前世?」
刺青「バカやろ、んなワケねえって。
ただ、ある意味じゃ前世だぜ」
茶髪「あぁん?
お前売り物のバツでもやったか?」
刺青「二年前に、俺ら殴った教師いたの、おぼえてるか?」
ピアス「あー、あぁ!
そっか、あいつ!
あの中学の時のやつか」
刺青「あいつのせいで、
たしかお前、
随分親に絞られてたよな」
ピアス「……ちっ、思い出させんなよ」
刺青「確かあいつよ、
結局お前の親が圧力かけて、
学校辞めさせたんだよな」
ピアス「そうだけどよ……
そういやあいつ、
先生なんて呼ばれてたか」
せっかく俺たちが体張って、
世にも危険な暴力教師ってのを、
やめさせたのによ、
まだやってんのかよ」
ピアス「けけっ、おまえ何もしてねーだろーがよ」
茶髪「んなことねーよ。
俺も一発殴られたしよー」
ピアス「あー、胸糞わりい。
忘れようぜ、あんなヤツの事」
刺青「……いいオモチャなのにか?」にやっ
茶髪「オモチャ?」
刺青「ピアスの親ってよ、
確か教育委員会の代表なんだよな?」
ピアス「ああ、そうだぜ」
苦情言って辞めさせたのによ、
それがまだ先生なんて呼ばれて働いてるなんて……
世のため人のためにならねーだろ」にやっ
茶髪「お、おおー、そういう事か。
つまり俺たちが、
アイツの危険性を改めて訴えようってことか」
ピアス「つまり俺たちが正義の味方か」にやっ
刺青「おう。俺たちを殴った事、
しぃっかりと、後悔してもらわなくちゃな」
茶髪「きひひ」
ピアス「それじゃマズはよー……」
五十五日目 教室
がらがら
男「皆さん、授業を――
……コレは、いったい」
黒髪「……」
男「なぜ、教室に、
黒髪さんしかいないんですか?」
黒髪「……そういう日、
なんじゃないかしら」
男「バカな事を云わないで下さい」
黒髪「……」
男「何があったんですか?」
男「友さんに? ……わかりました。
少しだけ失礼します」
黒髪「のんびり待ってるわ」
男 たたっ
男(二年生クラスは、通常二十人。
それなのに、黒髪さんだけ?)
男(そういえば、
前回の授業の際にも、
欠席が目立っていましたが。
何かが起きたのでしょうか?)
友「ええ、はい。
了解しました。
それでは、またご縁がありましたら――」
男(電話……随分浮かない顔ですが)
友「はい、それでは失礼します」かちゃん
男「友さん。
少しいいですか?」
友「ん、なんだよ。
今は授業時間だろ?」
男「それはそうですが、しかし」
友「だったら授業をしてくれ。
それとも、生徒が一人もいないか?」
黒髪さんだけが、います」
友「ほう。黒髪ちゃんか。
なら黒髪ちゃんのためにも、
早く戻って授業してやってくれ」
男「驚かないんですか?」
友「まあ、な。
今日だけで二十人以上、
退塾の電話が有ったしな」
男「そんなに……っ!
いったいなぜ、どうして!」
来る者拒まず去るものは追えず。
サービス業なんだから、
こんな事もあるだろうさ」
男「こんな事もって……
二十人が一度に退塾なんて、
聞いたこともありませんよ」
友「お、そうか?
そんならちょっと、
ギネスにでも掛け合ってみるか」にかっ
男「ふざけてる場合じゃないでしょう!」
友「そうだな。お前は授業だ」
友「違うだろ。
黒髪ちゃんがいるんだろ?」
男「いますが」
友「そんなら、
彼女のために授業しろよ。
ウチは雑談するために、
お前を雇ってるんじゃない。
授業をさせるために雇ってるんだ」ぷいっ
男「……」
男「……そうですね。
わかりました。
授業をしてきます」
友「おうおう。しっかりやって来い。
……二人きりだからって、
襲い掛かっちゃいけねえぜ?」
男「そんな事はしませんよ」苦笑
友「つまらんヤツめ。
なぜわかった?!
くらい言ってみろよ」
男「遠慮します。
では、失礼」とことこ
ぱたん
prrrr prrrr
友 がちゃ
友「はい、もしもし――
はい、はい……
退塾でございますね。
わかりました……」
五十五日目 居酒屋
友「そんじゃ、まずは乾杯だな。
おつかれー」
男「……はい、おつかれさまです」
友「どうしたよ、
いつも以上にノリが悪いな」
男「それはそうでしょう。
わざわざこんなところまで」
友「別にいいだろー。
今日は質問に来る生徒だって、
いなかったんだしよ」
生徒さんが殆ど来ていませんでしたがね」
友「なー」
男「……なー、ではないでしょう。
いったい何があったんですか?」
友「……大した事じゃねーって。
少しすりゃ、
また人は来るって」
男「そういう問題ではないですよ。
一日に二十人以上の退塾なんて、
どんな理由があれば起こりえますか」
友「んーまあ、
近くに不審者が出るって、
噂があるからな。
そこら辺じゃね?
いいから飲めよ」
友「なんだよ、マジな顔で」
男「真剣にもなります。
あの塾は、友さんにとって、
お爺さんの形見の、
大切な場所じゃないですか。
友さんはせっかく、
有力な国家資格も取って、
省庁入りが期待されていたのに……
お爺さんが好きだった場所を残したいと」
友「こまけえなぁ。
良いんだよ別に。
大した事じゃないって言ってんだろ」
わたしが何らかの原因ですか」
友「んなわけねえって」
男「友さん」
友「あん?」
男「わたしの目を見て言えますか?」
友「おう」じーっ
友「お前は特に関係ねえよ」じーっ
男 じーっ
友 じーっ
友「なんでだよっ!」
男「気付いて無いかも知れませんが、
普段の友さんであれば、
私の提案に対して、
『男同士で見詰め合うなんてごめんだ』と、
そう言って笑い話にします」
友「く……ちっ」
男「心当たり、ありますよね」
友「これだから、幼馴染ってヤツは」
男「お褒めに預かり恐悦至極」
今回のコレの原因に、
お前が関わっているのは事実だ」
男「やはり……」
友「だがな、そんな事はどうでもいい」
男「どうでも良くはないでしょう。
私の何が問題でしたか?
原因を究明し、訂正すれば、
戻ってきてくれる生徒さんもいるはずです」
友「いや。そうはならん」
男「……なにが悪かったんですか」
友「…………」
この場で辞表を出すしか、ありません」
友「辞めるなよ」
男「では、何が原因か、
しっかりと教えてください」
友「……わかった。
だがな、何があろうと、
俺はお前の退職はゆるさねえ」
男「……またムチャを言いますね」苦笑
友「ムチャはお前だ。
酒もまだ飲んでないのに、
目を据わらせやがって」
友「二年前のな。
お前の起こした事件あったろ。
いじめの現場に割って入って、
暴力振るってた連中を殴ったって」
男「はい」
友「んで、教育委員会のお偉いさん、
血相変えてお前を糾弾に来たんだよな」
男「その通りです」
ある意味この周辺じゃ、
公立も私学もみんな、
お前に対して腫れ物扱いしたわけだ」
男「……」
友「教師ってのは、
広いようで狭い社会だ。
少し前までは、
支持政党に関してとかまで、
暗黙の了解で統一が図られたりしたほどだ」
男「知っていますよ」
だからこそ、周りの塾なんかも、
お前の事を拒んだわけだ。
教育者村の村八分ってわけだな」
男「……そこを友さんが、
誘ってくれましたね」
友「まあな。
幼馴染として、
お前の教え方のうまさは知っていたからよ。
丁度人手が足りなかったし、
まだ教師ヤル気があるなら来いって、
そう言ったよな」
男「そして私はそれに応えた」
それで終わったはずだったんだ。
権威に逆らって、
この近辺にはいられないはずだ、
だからコレで終わりと、
ひと段落ついたはずだった。
だが、お前がウチで、
教員やってるってのを、
教育委員会にチクったヤツがいたらしい」
男「頭に伝われば、後は手足が動かされ」
友「学校でな、
あそこの塾には暴力教師がいると、
そう生徒に言うように、
秘密裏にだが促されたらしい」
男「……」
知り合いの学校教師から、
こっそり流れてきたわけだ。
お前が疫病神だって、な」
男「否定しませんよ。
そうした事情であれば、
私を解雇するのは、
雇用主である友さんにとって、
半ば義務と云うべきものでしょう」
友「知ったことかよ。
そんな事したら酒がまずくならぁ」
そうして義理や人情を通すのは、
悪いことだとは思いません。
ですが、今の友さんは、
二人の専業教師と、
六人の学生バイトを雇う、
事業主なんですよ。
彼らの生活と、
そして何より、
お爺さんの塾の看板を守るべきです」
友「……」
友「また……そうやって逃げるのか?」
男「逃げる、ですか」
友「ああ、逃げてるだろ」
男「コレは逃げる、ではなく、
状況の悪化を避けるための、
回避行動です」
友「いいや違うぜ。
それは回避じゃねえ。逃避だ。
いい機会だから言ってやる。
昔からな。
お前は中途半端なんだよ。
逃げて迷って、うだうだうじうじ」
友「確かにそうとも言えるな。
その良く回る脳みそで、
毎回毎回、自称適切な理由って名前で、
言い訳作ってんだからな。
コレは仕方なかった。
こうする以外の手段が無かった。
そうやって男は逃げてきた」
男「……いい加減に、怒りますよ」
友「怒れよ。
怒れる言い訳が見つかるならな。
お前は小さい頃は本が好きだったな。
俺が遊びに行こうって言っても、
公園にまで本を持ち込むような、
イヤミなヤツだった」
男「……」
大学は民俗学選んだくせによ。
民俗学じゃ食っていけないって、
教師になったよな」
男「教師には純粋に憧れていました」
友「だが、その憧れよりも、
民俗学への思いのほうが強かったよな」
男「それは……」
友「俺みたいに、
食っていければ、
仕事なんて何でも良いって、
公務員選ぶよりはまっすぐだろ。
結局、爺ちゃんが死んで、
仕事なんか何でも良いって、
塾講師になったがな。俺は。
それでも、お前にとっての教師が、
逃げた先だった事実は、
たとえ何年経っても変わらねえよ」
友「それでもお前が、
教師って職に対して、
誠実に向き合ってた事は知ってるつもりだ」
男「ええ。
教師として、
逃げるような行動を取った覚えはありません」
友「それは完全じゃないな」
男「何が、ですか」
友「この騒動の原因。
二年前の事件で、
お前は生徒を殴って、
それを謝罪せずに、
教育界から排斥されたな」
おおむね概要はその通りです」
友「その時に考えたろ。
このままじゃいけないとよ」
男「はい」
友「ならその時は頭を下げても、
内側からルールを変えることで、
より多くのヤツを、
助ける選択肢もあったろ。
むしろソッチのほうが、
手段としては正統派だ」
男「……」
学校じゃ竹刀で叩かれたり、
そんな事が珍しくなかった世代だ。
暴力反対ってヤツのいう事も判る。
だがな、何の罪も無いやつを、
面白いからって理由で殴るヤツに、
口先だけでやるなって言って、
本当に止めさせるなんて、
まずできねえよ。
人の痛みがわからないなら、
殴られたら痛いって事だって、
教える必要があるだろ」
男「……」
なんていうけれどよ。
ならきちんと、
法律だって機能させるべきだろ。
いじめられたやつが、
本気で警察、法廷に駆け込まないと、
どうにもならない現状がおかしいだろ」
男「そんな事を言っても、
どうしようもありませんよ」
友「その場だけ頭下げて、
偉くなって、
現場を直すって選択肢も、
お前の中にはあったはずだろ」
友「本当にそうか?
俺は、お前にならできたと、
本気で思ってるぞ。
できないヤツに言うのは無理難題だが、
立場も、能力も、
お前ならできたと思う」
男「……買いかぶりすぎです」
友「…………そう思わせるな。
だが、まだそれだけじゃない」
男「まだあるんですか」
友「ひき娘ちゃんの件だ」
男「……」
人間不信でひきこもってる子が、
あんだけなついてるんだぜ。
それをどうして、
しばらく私には教えられません、
なんて突っぱねられるんだよ」
男「それは、
生徒と教師としての、
適切な関係を保つためです」
友「はっ。真っ当だな」
男「真っ当ですよ」
友「反吐がでるくらいにな」
男「……」
高校生の恋愛ごっこだ。
期限付きで親しくなったって、
問題なかったろ」
男「それは誠実ではありません」
友「だから誠実に切り捨てるのか」
男「……」
友「人間不信で、男性恐怖症の子が、
自分の唯一の世界である部屋に、
招き入れた最初の異性だぜ。
くっ付いたの離れたのと、
やいやいやるような、
高校生のごっこ遊びのわけがあるかよ。
それこそ、
俺たちからしてみたら、
部屋の中にライオンだのトラだの、
そんな生き物を入れるような恐怖だ。
それを乗り越えたあの子の勇気を、
お前はそんなモンで切り捨てるってのかよ」
どんな理由ならばいいと云うんですか」
友「どっしり構えて向き合えよ。
他に惚れたやつがいるとか、
そんな状況なら話は変わるがな。
今のお前は、
前の女に振られて以来、
そういった関係の相手はいないだろ」
男「そうですが」
友「でもって、お前さ。
あの子の事、かなり好きだろ」
友「素直じゃねえ奴な。
まあいい。
それでも、キライじゃねえなら、
距離をとる必要なんてねえだろ」
男「彼女にとって私とは、
カウンセリングの過程で依存した、
それだけの相手です。
そこに教師やカウンセラーではない、
私の感情を持ち込んでは、
物事を見失います」
友「アホたれ。
お前は何が見えてる気なんだよ
恋に恋して夢見る年かよ。
そんなんだったら、それこそ、
もう会うなって言ってやるがな。
ひき娘ちゃんにしたところで、
お前にしたところで、
向かい合うならその形に貴賎はないだろ」
カウンセリングの副作用だと、
その事に気がついたときに、
わたしと距離が近ければ、
その分だけ、
改めて距離を取る際に彼女の傷に――」
友「わかるが分からん。
お前はなんでそう、
物事を後ろ向きに考えるんだよ。
俺たちはな、
いつまでも一緒にいられるような、
そんな相手なんざいねえんだ。
誰といようが、
別れて悲しむのは変わらん。
むしろ悲しみが多いことを喜べ。
それだけお前にとって、
大切にしたい相手がいたって、
そういう事だろ」
男「……」
俺たちはな、
別れるために出会うんじゃねえ。
出会って、手を取り合って、
笑いあって、遊んで、
そんなすべての喜びを、
別れの悲しみのために否定するなよ。
ひき娘ちゃんは、
今を必死に生きてるぜ?
このままじゃいけないって、
俺の事も部屋に迎え入れた」
男「っ……」
友「すんげえ努力だよ。
他の誰が大した事ないって言っても、
俺は惚れそうなくらい感じるね。
その努力の先にいるのが、
お前の姿なんだぜ。
そのお前が向き合わないで、
まっすぐ見つめないで、
何をグダグダ言ってやがる」
友「塾の事もだ。
俺たちは幼馴染だぞ。
お前の不始末くらい、
俺がなんとかしてやるよ。
お前が気づいてないだけでな、
俺は山ほど、
お前のケツを拭ってやってんだ」
男「……嫌な表現ですね」
友「うっせ。茶化すな。
とにかくな、俺はお前を、
手放すつもりなんかねえんだよ。
それにな。
お前の教室だがな、
みんなお前を信じてるんだぜ」
今日の教室も、黒髪さんだけでしたよ」
友「さすがにな、
その塾に行くなと教師に言われて、
平然と来られるやつはいなかったらしいが……
お前の生徒達からはな、
少ししたらちゃんと通いますって、
結構連絡来てるんだ」
男「そんな」
友「周りはお前を信じてるんだ。
だからな、胸を張れ」
男「…………はい」
友「よし」
そろそろ帰るか。
閉店時刻だしな」
男「分かりました」
友「あ、ちなみに代金お前持ちな」
男「……仕方ないですね」
友「よーしそんじゃ、
車で待ってるからな」
男「あ、すみません。
今日は話が続いたので、
一杯目の日本酒の後、
水を飲んでいません……」
男「車は明日にでも、
取りに来ないといけませんね」
友「うえええ。
くそ、駅から遠いからこそ、
お前に頼ってるのによ」
男「すみませんねぇ」苦笑
五十七日目 教室
黒髪「また私だけ、ね」
男「……そうですね」
黒髪「私としては、
先生と二人っきりで、
濃厚な時間を過ごせるって事で、
歓迎したいけど」にこっ
男「では、濃厚に、
大量のテストを始めましょうか」
黒髪「やっぱり他の子がいないと、
さみしいわねー」ついーっ
それに教室としてもコレでは立ち行きません」
黒髪「そもそも、
先生と会える機会がなくなりそうね」
男「どうしたものでしょうかね……」
黒髪「それは相談?
それとも独り言の愚痴」
男「……」
黒髪「そういえば、
今朝の夕日新聞は見たかしら」
男「いいえ。
ウチは他紙を取っているので」
なら、持ってきて良かったわね」がさがさ
男「……『暴力事件を起こした教師、
塾などへの移籍』ですか。
この記事でウチの塾の外観写真……」
黒髪「内容は別に、
この塾だけを叩く内容じゃないわ。
でも、見る人が見れば、
写真の下に添えられた、
都内某所の私営塾って解説だけでも十分ココってわかるわね」
男「これは、偶然だと考えるべきでしょうか」
黒髪「偶然さの証明は、
神の不在証明と変わらないわ。
考えても意味はないものよ。
釈迦に説法でしょ」
男「……」
私の通ってる高校でも、
話題になっていたわ。
先日、クラス担任から、
この塾には暴力教師がいるとか、
そんな話が出ていたから、
ソレこそ火に油状態よ」
男「自然鎮火するまえに、
燃やし尽くそうというつもりですか」
黒髪「でしょうね」
男「……やはり、ここは」
黒髪「自分が問題の教師だと、
名乗り出て事態の鎮圧を……
なんて考えてないわよね?」
男「考えていますが」
火に油どころか、
火にマグネシウムと黒炭の粉末ね」
男「爆発しますか」
黒髪「それも、辺りを巻き込んでね」
男「……」ぎりっ
黒髪「それにしても、
わからないわね」
男「何がですか?」
黒髪「……本当に、
追い詰められてるみたいね。
冷静になってよ。
普段の先生なら、
私より先に疑問点を抽出して、
解決策を探りだしてるでしょ」
こういう場合の抽出要件は四つ」
黒髪「”だれが”、”なぜ”、
”どうした”から”どうする”」
男「さすがです。
”だれが”という主体は、
教育委員会でしょうか。
彼らが行ったのは、
わたしの排除のために、
教師を通じて悪評を流し、
それを裏付ける情報を、
マスコミに操作した」
黒髪「その判断で正しいでしょうね。
基本的には。
ただし、困ったことが一つあるわ。
”なぜ”なのか」
男「……個人的に、
私は現在の教育委員会の理事から、
嫌われていますからね。
それが理由でしょう」
この件にはいくつか、
不明瞭な点があるわよ。
なぜ、今なのか。
先生が事件を起こしたのは、
二年前の事よ。
なぜあの時ではなかったのか。
そしてなぜ今だったのか。
なぜ、先生を攻撃したのか」
男「攻撃、ですか」
黒髪「攻撃でしょ。
こういう書き方から見て、
相手は先生を、
狙っているんじゃないかしら」
男「……」
外交官をやってるって、
話したかしら」
男「一度だけ、
何かの拍子に聞いた覚えがあります」
黒髪「日本ではあまり聞かないけど、
海外ではこんな手段も、
それなりに聞くわ。
もっともそれはあくまで、
一般の個人に対してでは、ないけど」
男「それも、なぜ、ですね」
手がかりが少なすぎるわ。
ヒントくらいならあるけど」
男「ヒント、ですか?」
黒髪「この記事書いたの、
社会部よね。
社会部には『友達の友達』がいるの。
だから、
聞こうと思えば聞けるかも。
ただ、そのためには、
錘が足りないわ。
現状じゃ、天秤は傾けられないでしょうね」
男「いえ、いいですよ。
これはあくまで私と、
そしてこの塾の問題です。
そこに巻き込む事はできません」
なら、お節介はしないわ」
男「むしろ――」
黒髪「はい?」
男「黒髪さんも、
コチラへ通うのは、
しばらく考えたほうが、
良いかもしれませんよ」
黒髪「……」
男「学校でその様な話があるなら、
この塾に通っているというだけで、
不信の目を向けられるなど、
周囲から浮いてしまう可能性もあります。
それは、黒髪さんとしては望まないところでしょう」
そこそこ地味に。
ひっそりまぎれて人気者。
という辺りが、
私としては理想のポジションね」
男「上でも下でも、
目だってしまえば、
問題はおこりますからね。
そのために、
私との接触も、
他の生徒が帰った後に、
こっそりと行っていたようですし」
黒髪「あら、ばれてたの?
確かに、先生と話すだけでも、
女子から睨まれたりするから、
控えていた面はあるわよ」
黒髪「……いま、イラっとしたわ」
男「私は何も悪くないですよ」
黒髪「……ねえ、それ、ワザとでしょ」
男「何も意図するところは無いですよ」真顔
黒髪「あーそー。ならいいわよ。
とりあえず状況を見て、
問題がありそうなら、
私も欠席させて貰うわ。
……いざとなったら、
twitterとかでも、
先生とはお話できるしね」
男「できるなら、
普通に授業をしたり、
普通にお話できるのが、
一番良いのですけどね……」
五十七日目 教室の外
黒髪 とことこ
茶髪(……ん? あいつは)
茶髪「なあ、おい」
黒髪「はい?」
黒髪(今の声、もしかして)
茶髪「お前、黒髪じゃねえか?
俺、茶髪!
中学の時、同じクラスじゃなかったか?」
黒髪(……やっぱり。
こないだの夜に私をおそった中に、
この男がいたわよね。
……気付いてないのかしら)
茶髪「おお、よかった。
忘れられてねーんだ」にっ
黒髪「だってクラスの人気者よ、
忘れるわけないじゃない」にこっ
茶髪「え、はは、そんなこた無いだろ」照れ照れ(////
黒髪(……あの頃から、
お調子者なのは代わらないのね。
ま、男子なんて程度の差はあれ、
基本的には変わらないわよね)
茶髪「ところでさ、
いま黒髪って、
あそこの塾から出てこなかったか?」
黒髪「……ええ、そうよ」
やめとけよ」
黒髪「なんでかしら?」
茶髪「あー、もしかして知らん?
あそこの塾にさ、
ウチの学校でな、
生徒を殴った男ってヤツがいてよ。
つか殴られたの、
俺とかピアスなんだけどな。きひひ」
黒髪「そうなの? 怖いわねー」
茶髪「まあどうせ、
近いうちにつぶれるけどな」
黒髪「はい?
ねえ、どういうこ事?」
茶髪「んー。
まあ、近いうちわかるだろ」にやっ
変にもったいぶって……)
黒髪「えー、アタシ気になるなー」そっ
茶髪「うほっ」にやぁっ
黒髪(胸を押し付けられて、
そんなにいいのかしら。
鼻の下伸ばしすぎよ。
しかも胸元見すぎっ。
……大きくないのが劣等感なのに。
あーもう、気持ち悪いわねー)
この塾通ってて……
心配になっちゃうのよ」じっ
茶髪「うーん、ま、いいか。
……実はな、ピアスのヤツがよ、
男の顔がこの町にいるだけで、
反吐が出るとか言ってな。
俺はどうでもいいんだけどよー。
なんかよくわかんないけどな、
教育委員会通じて、
なんかするみたいだぜ?
あいつの親、そこのお偉いさんでな」
黒髪(『なんか』って、
このバカ! 理解してなさいよ!
まあ、ただこれだけでも、
動けそうだから、もういいかしら)
茶髪「ぁっ」
黒髪「ありがと、茶髪くんっ。
これで『友達』にも、
気をつけてっていえるわ」にこっ
茶髪「ちょっ」
黒髪「それじゃ、
ウチ門限が煩いから、
これで失礼するわね。
また会ったら、
その時はお礼でもするわ」うぃんく
茶髪「お、おう……」(////
黒髪「ばいばいっ♪」ひらひらー
とことこ
茶髪「……」ぽーっ
確かにコッチで待ち合わせって、
茶髪にはいったべ」
刺青「じゃあまた茶髪の遅刻か……
まさか、薬持って逃げたとか」
ピアス「アイツにそんな、
大それたことできるかよ。
ってほら、噂をすれば――だろ」
茶髪「……」ぽー
刺青「おい、茶髪っ」
茶髪「はっ。
おお、二人とも、どうしたよ」
お前こそ、待ち合わせ忘れて、
ボーっとしてんじゃねえよ」ごすっ
茶髪「いってぇええっ。
ざけんなこのマザコン」
ピアス「あぁん? やんのかゴルァ」
茶髪「コッチのセリフだヴォイ」
刺青「………………はぁ」
五十七日目 黒髪の自室
がちゃ
黒髪「……」
ベッドにボフンッ
黒髪「ただいま、メーちゃん」ぎゅっ
人形「めぇぇ」
黒髪 ぎゅー
人形「めぇぇ」
黒髪「……」ごろごろ
黒髪(とりあえず、
キーワードは埋まったけど……)
黒髪(読み解くと、面倒な図になるわね……)
教育委員会というより、
その有力者の息子のピアスね。
理由は、男への復讐……
それも、殴られたからって程度。
悪意とか復讐心より、
悪趣味さが透けて見えるわね。
手のひらの上で、
どう踊るか見ているような)
黒髪「……くだらないわね。
そう思わない?」
人形「…………」
黒髪「趣味が悪いし、
スマートじゃないわ。
かっこよさの欠片も無い」
人形「めぇぇ」
先生に対して圧力を……
悪評と、その論拠の流布をした。
これが現状みたいね。
手段だけはまともなのよねー。
むしろこの部分は、
ピアスの親が主体かしら。
やり口から、
二流政治家臭さがプンプンするわ)
黒髪「ここで考えられるのは、
以下の三つの点の存在。
相手の次の行動は何か。
相手との妥協点の模索。
妥協の押し付け方……」
人形「めぇぇ」
こうした攻撃は普通、
相手がいることで、
利益が損なわれる者か、
相手の利益が気に食わない者が行う行動。
そこには何らかの『価値』が、
密接に結びつくことになる。
お金、権力、名誉……
そうした価値主体で考えれば、
妥協はするかもしれないけど、
納得できる場所に、
落とし所に持っていける)
黒髪 ごろん
黒髪(でも、目的が嫌がらせなら。
絶対的にも相対的にも、
価値が絡まないなら、
そこには交渉のカードが置けない……)
どうしたら良いと思う?」
人形「……」
黒髪「…………しかたない。
こういう場合は、
教えを請うしかないわね」むぅー
黒髪 ぎしっ
黒髪「留守番よろしくね」ぽすっ
人形「めぇぇ」
黒髪「……はぁ」
とことこ
五十七日目 黒髪父の寝室
こんこんこん
黒髪父「入りなさい」
かちゃ
黒髪「失礼します」
黒髪父「ほう。
珍しいな、お前がこんな時間に、
この部屋を訪れるとは」
黒髪「……」
黒髪父「まあいい。座りなさい」
黒髪父「お前はもう、
酒は飲める歳だったか?」
黒髪「いえ、まだよ」
黒髪父「そうか」
黒髪(娘の年齢すら覚えていない。
覚える気も無い父親)
黒髪父「それで、要件はなんだね」
黒髪父「ふむ。これはまた意外だな。
なんだ、明日は雨か?」
黒髪「天気予報では雨らしいわ」
黒髪父「なるほど。
ならば仕方ない。
教えられることなら教えよう」
黒髪「ありがとう」
黒髪父「それで、何がしりたい」
黒髪父「ほう」
黒髪「金銭とか、そういう目的なら、
自分で何とかできるけど、
相手の目的がどうやら、
純粋に嫌がらせみたいなの。
ある意味では通り魔的な行動だから、
交渉のカードが見えないのよ」
黒髪父「ふむ。
確かにそれだけ聞けば難しい。
利害関係には持ち込めそうにないか?」
黒髪「直接的には難しいわね。
一つ手段としては有るけど、
無粋で無意味だから、
使いたくないわ」
間接的な手段だな。
相手の攻撃は何を経由している?」
黒髪「教育委員会と、
それから夕日新聞よ」
黒髪父「新聞は連載か?」
黒髪「いいえ。単発を小さく」
黒髪「そうか。
となると、新聞への対処はいらん。
問題はもう一方だが……
いったい何をした」
いじめをしていた子を殴ってね。
それをきっかけに、
一度は辞職されたんだけど、
その後は塾講師をしていたのよ。
で、先生が殴ったいじめっ子達が、
先生への復讐として、
親の七光りで圧力をかけてきたわけ」
黒髪父「……ふむ」
黒髪「……」
黒髪父「そうなると、
いくつか手段はあるな」
黒髪「ほんと?!」
黒髪父「嘘などつくものか。
だが――」
黒髪父「なぜそのような、
問題行動を起こした教師に、
そこまでお前が肩入れする?」
黒髪「……それは」
黒髪父「最近のお前は、
情報屋まがいの事をしているからな。
それを知った者からかの攻撃だと思ったが……」
黒髪「違うわ」
黒髪父「所詮教師など、
社会の歯車のひとつに過ぎん。
代わりなどいくらでもいる。
わざわざ動く理由はなかろう」
黒髪父「……」
黒髪「その先生はね、
私にとって憧れなのよ」
黒髪父「そのように、
情で動く自分を律せよと、
そう言っているのだ」
黒髪「……つまらないわ、そんなの」ぼそっ
黒髪父「なに?」
黒髪「私は父さんみたいに、
人のためになる仕事をしたいって、
そう思って今の進路を決めたの。
だからそのために、
必要のないモノは全て、
切り捨てて進むつもりだったわ。
でも――」
黒髪「その先生はね、
学校全体から見れば、
見てみぬフリをしてもいいような、
たった数人に対しても、
真剣だったのよ。
殴ってしまえば、
その後は平穏には終わらないって、
わかっていたはずなのに、
それでも彼らのために、
手を振り上げた。
社会のゴミみたいな相手に、
本気で、このままじゃいけないって、
わからせようとしてた」
暴力教師という名前だ。
取捨選択ができないから、
そのような目に遭う」
黒髪「でもね。
その少数を拾う事を、
最初から諦めてしまったら、
私は胸を張れなくなるわ。
背筋をまっすぐにして歩けなくなる。
少数を切り捨てるのが選択なら、
その先には何も残らないわ。
それぞれが多層的に、
どこかで少数に属するのが、
人ってものでしょ。
それを切り捨てたら、
後には骨しか残らないわよ」
黒髪「ふふん。
だって私は黒髪よ。
それくらい言うし、やって見せるわ」にぱっ
黒髪父「まったくもって、度し難い。
諦めろと言って説得するより、
どうすれば良いか、
指標だけでも与えたほうが、
睡眠時間は残りそうだな」苦笑
黒髪「迷惑をかけるわね」
黒髪父「……なに。
考えてみれば自分も、
お前という少を切り捨てられん、
父親の身だったと、
思い出しただけだ」苦笑
黒髪「……」
五十九日目 ひき娘の自室
とんとんとん
ひき娘「はい、どうぞ」
がちゃ
男「お邪魔します」
ひき娘 にこっ
男「コチラの事情で振り回してしまい、
すみません」
ひき娘「気にしないでください。
お兄ちゃん――じゃなかった、
友さんの授業も、
わかりやすかったから」
男「お兄ちゃん?」
本当のお兄ちゃんとか、
そういう事じゃなくて、
友さんが、そう呼んでくれって」あたふた
男「友さんはまた……
彼のわがままにつき合わせて、
申し訳ありません」苦笑
ひき娘「……」
男「ひき娘さん?」
ひき娘「よかったです……」
男「何が良かったのですか?」
ひき娘「ちょっとだけ、
思ってたんです。
もしかしたら、
嫌われちゃったのかなって」
男「……」
安心したの」
男「ひき娘さん……」
ひき娘「……その、ちょっとだけ。
授業の時間までの五分だけ、
隣に座っても、いいですか?」
男(顔を伏せて……
涙を零さずに、
泣いているような)
男 そっ
ひき娘「ありがとうです」そっ
男「……」
ひき娘「……」
肩の重さと温もりに、
否応無く心が、揺れてしまう)
男 なで、なで
ひき娘 きゅっ
男(袖口をつまんで。
なんて些細な、
いじましい意思表示……)
男 なで、なで
ひき娘 そっ
男(体重を預けて。
触れる面積が増えて……
安心してくれているのが、
伝わってくる)
男「はい」
ひき娘「私ね、がんばったんです。
友先生にも、
お部屋に入ってもらって、
授業してもったんです」
男「偉いです」 なでなで
ひき娘「えへへ」
男「ひき娘さんは、
前を向いていますね」
ひき娘「えっと……?」
男「このままじゃいけない。
何とかしないと。
そういって、
前に進む勇気を持っている……」
男「わたしからは、
それがとても眩しく見えます。
友さんに、怒られてしまいました。
お前は逃げているって」
ひき娘「……なにから、ですか?」
男「いろいろですね。
本当に、いろいろ……」
ひき娘「私はちゃんと、
前を向けてるのかな?」
男「はい。
見習いたいくらいに」
先生のお陰なんですよ」
男「私の、ですか?」
ひき娘「先生と会うまでは、
ずっとずっと、
死んでたみたいだった……
なんで私が、
こんなに辛い思いをしないといけないのって。
そうやって叫びながら、
もう全部やだって、
布団のなかでずっと眠り続けてたの」
男「……」
夢で見てたんです。
いじめられてた頃の事を。
殴られて、蹴られて、
ひどい言葉を言われて……」
男「それは……」
ひき娘「でも、変わったんです。
先生と知り合ってから、
少しずつ、
その夢も見なくなりました」
男「それは、良かった」
ひき娘「先生と知り合って、
親しくなってもらって……
少しずつ、
まだ私も誰かとつながれるんだって、
そう思えてきたんです」
男「つながれますよ。
ひき娘さんなら、大丈夫です」
男「はい?」
ひき娘 そっ。――きゅっ
男「ひ、ひき娘さん。
なんで、急に、抱きしめ……」
ひき娘 なでなで
男(やわらかい感触が、
頭をそっと包み込んで。
ひき娘さんの甘い匂いが、
胸にいっぱいになる)
男「ひき娘、さん?」
先生が寝てるとき、
みちゃったの」
男「なにを、ですか?」
ひき娘「先生が、
眠りながら涙を流しているところを」
男「……」
ひき娘「それで、思ったの。
なんでこの人は、
眠りながら泣くのかなって。
それは、起きている時に、
泣けないからじゃないかなって……」
ひき娘「違ってたら、ごめんなさい。
でも、もしそうなら」
ひき娘 ぎゅうっ
ひき娘「次に泣きたくなったら、
私が、受け止めます……
受け止めさせてくれたら、嬉しいです」
男「……」ぎゅっ
男(細い体だ……
身長だって、肩までしかない。
それなのに、こんなにも、強い)
ひき娘「はい?」
男「いえ、なんでもありません。
さ、そろそろ授業を始めましょう」
ひき娘「……むぅ」
男「不満そうにしてもダメですよ。
わたしは家庭教師に、
来ているんですから」
ひき娘「……はい」そっ
男(そんなに残念そうな顔をされると、
教師らしくいられなくなりそうで、
たまらないんですよ)苦笑
ひき娘「?」
男「いつか、外に出られたら。
二人で、星を眺めに行きませんか?
町からみる空も趣きはありますが、
空気の澄んだ山の上で、
街灯を気にせず見る星空は、
一度は経験して欲しい景色です」
ひき娘「……それは、
家庭教師として、ですか?」
ただ、部屋の外なら、
わたしは家庭教師でなくても、
許されるでしょうかね」(////
ひき娘「……先生はズルいです]
男「大人にはイロイロあるんですよ」
ひき娘「それなら、仕方ないですね。
そんな事言われたら、
外に出ないわけにはいかないですよ」くすくす
男「外で会える日を、
楽しみにしていていいんでしょうか」
ひき娘「…………はい」こくん
五十九日目 TL:sugomori
kuro:というわけで、
なんとかする方法はありそうよ。
megane:なるほど。
確かに、今回の件の鍵は、
ピアスくんのお母様のようですね。
そして彼女が強引に通した話を、
他の幹部の背中を押すことで、
抑えてもらう……ですか。
kuro:彼女の言い分にも、
確かに理はあるんだけどね。
二年も前の話を蒸し返して、
一個人を攻撃するようなマネ、
さすがに嫌がっている人も、
少なくないらしいわ。
kuro:蛇の道は蛇、って言うでしょ。
megane:それは恐ろしい。
kuro;それで、どうする?
megane:どうする、とは。
kuro:任せてもらえるなら手は打つわ。
少し時間がかかるかもしれないけど、
いずれは人を戻せるはずよ。
それを黒髪さんにお願いするのは……
kuro:あら、借りは作りたくないの?
megane:kuroさんを利用しているようで……
kuro:いいんじゃないの?
利用して利用されて。
持ちつ持たれつすればいいじゃない。
megane:しかし…………
kuro;sugomoriさん、こんばんは。
megane:お久しぶりです。
sugomori:あ、今日は、
meganeさんもいるんですね。
megane:すみませんね、
最近は忙しかったので。
sugomori:体調はいかがですか?
megane:おかげさまで元気ですよ。
sugomori;それなら良かったです♪
話の続きは改めてしましょ
megane:@kuro 了解です。
sugomori:あの、
もしかしてお邪魔しちゃいました?
kuro:大丈夫よ。
顔見て話したほうが、
良さそうな方向だったから。
むしろ良いタミングよ。
sugomori:お手柄かな?(‘-‘*)
kuro:お手柄よー( ̄ー ̄*)
sugomori:微妙な顔wwww
kuro:えー、なんでよ、可愛いじゃない。
meganeさん!
megane:はい?
sugomori:あの、男の人って、
デートのとき、
どんな服がすきなんですかね?
kuro:デートォ?!
sugomori:う、うん(///)
kuro;え、あんた、まだ外には……
sugomori:うん。まだムリ、かなぁ。
でも、今なら出られるかも?
なんだかそれくらい、
今はテンション高いです(>_<*)
kuro:もしかして、男さんと……?
sugomori:……えへへ。
megane:
kuro:meganeさん、
まだいるでしょ?
megane:
kuro:三秒以内に出頭しないと、
いろいろするわよ。
megane:いろいろってなんですか。
私はお手洗いに行っていただけですよ。
kuro:いろいろ、っていうのは、
いろいろ、よ。
ところで、sugomoriがなんと、
男女交際するそうよ。
megane:おめでとう、ござい、ます。
えと、その……
……ありがとうございます(*ノノ)
kuro:こんなに可愛いsugomoriを、
彼女にできるなんて、
随分幸運な男ね?
megane:そう、ですね。
sugomori:そんなこと無いですよ(///
ま、まあ、ホントは、
星を見に行こうって、
誘ってもらっただけなんですけどね。
kuro:あら、いきなり大胆ねー。
ちゃんとゴム持っていかないとダメよ?
sugomori:ちょっと、そんな(////
kuro:必要よね? meganeさん(^^*)
sugomori:大丈夫ですよー。
とっても誠実な人だから、
そんな心配なんて……
kuro:誠実な人、ですってぇー。
ソレはノロケってものでしょww
sugomori:……えへへ(////)
むしろ、男さんといると、
あの頃の嫌な夢を見ないで済むとか、
そういう方がノロケかも?
kuro:そう。
それは、良かったわね。
本当に(^^*)
sugomori:うんっ♪
megane:……そろそろ、
私は明日のために寝なければ。
せっかくなんだからもうちょっと、
sugomoriの「ノロケ」を、
聞きましょうよー。
sugomori:いえいえ、
これ以上はしませんよ><
kuro:いいじゃない、
いっぱいノロケちゃいなさいよ。
折角なんだからっ。
megane:……地獄絵図だ。
sugomori:はい?(’’?)
kuro:ふふwwww
六十二日目 教員室
がちゃ
男「おはようございます」
友「……」びくっ
男「……どうかしましたか?」
友「お前って、タイミング悪いな。
これ、見てみろよ」
相手はずいぶんと手の早い」
こんこんこん
男「はい?」
がちゃっ
黒髪「失礼します。
先生、先日の件について、
お話に来ましたけど」
男「ああ、黒髪さん。
どうやらその手間は、
かけていただかなくても、
良くなりそうですよ」
男「……悪い理由でしょうね」そっ
黒髪「……教員に対する資格義務化と、
その更新試験について、ですか」
友「要するに、
教員として適切じゃないやつは、
教員を名乗るなって事だな。
今の『教師免許』ってのが、
分類上は『名称独占』だってのは、
黒髪ちゃんは知ってるか?」
黒髪「いいえ。知らないです」
俺と男はそれぞれ、
高等学校教諭一種免許状ってのを、
俺は数学、男は国語で取得してるんだ。
で、これを持っていることで、
その地域の学校でなら、
取得した教科の教員ができる。」
黒髪「なんとなく、
教員免許って、そういうものだと、
思ってましたけど」
友「だろうな。
ただし、これは国公立の話で、
たとえば私学の場合は、
同じ教員を名乗っていても、
この教諭免許状は必要ない。
つまり、独自基準で採用できる」
下調べ前の下書きのを、
そのまま貼り付けてました(汗)
正しくは以下です><
>>692
友「要するに、
教員として適切じゃないやつは、
教員を名乗るなって事だな。
今の『教師免許』ってのは、
無くても教師を名乗れるって、
黒髪ちゃんは知ってたか?」
無くても教師を名乗れるって、
意味なんですね」
友「そういうこった。
またそれ以外にも、
塾講師の場合は、
教員免許持ちは当然優遇されるが……
それが無くても、
人気塾講師なんて呼ばれている人はいるな」
黒髪「……そこに対して、
教員免許を持っていない人は、
教員を名乗るなと――
そういうワケですか」
調理師とか、栄養士、
介護福祉士なんかと同じだな。
同じ内容の業務はできても、
その名前は名乗れないってことだ。
教師・教員・教諭とか、
そこらへんの名称を独占して、
名乗らせないようにする。
まあ、仕事をするなとは言わないが、
信頼を奪うってわけだ」
黒髪「教師って、
信頼が重要な仕事ですよね」
友「もちろんな。
こういうのは基本的に、
業務独占に向かうまえの、
過渡期に際して行われたり……
著しく信頼を損なう業者に対して、
それを取り締まるために、
法令として制定される」
そうやってその業務の名前に対して、
一定以上の水準を約束することで、
信頼を作るわけね」
友「そういうわけだな。
で、教員に関してなんだが、
免許の更新制とか、
悪質な塾の取り締まりとか、
そういう話は昔からあったんだ。
ただまあ、
いろいろと利権も有って、
なんだかんだと流れてきたんだが……」
男「今回の私の件をテコにして、
条例の提案とその審議という形で、
たたみこむつもりですね……」
一つ残ってた疑問が氷解したわ」
友「なんだ?」
黒髪「県下の学校に対して、
この塾の悪評を流すようにって、
教育委員会が秘密裏に、
各学校に求めたって話があってね」
男「……」
黒髪「ただ不思議だったのは、
たかが塾一つ、
一個人のために、
どうしてそんな事をするのか。
それこそ、怨恨としか思えなくて、
それが今回の件の解決を、
複雑化していたのよ」
既存の利権以上の何かを求める人と、
例のピアスの母親の目的が、
うまく一致した結果が今回なのね。
この塾をたたくために、
手を回しやすい地方紙に、
大きな紙面を使った記事を、
載せるという選択をしなかった。
コストをかけて小さい記事でも、
全国紙に乗せる事に意味が有った」
友「売名行為か」
黒髪「悪い子が良い事をすると、
普通の子がするより褒められる、
なんて言うわよね。
一度問題にして炎上させて、
それを解決したとなれば……」
その更新試験の説明会について、
という連絡は、
その『解決』のための布石でしょう。
マスコミや、周辺学校の校長など、
後は有識者を呼んで、
……まずは条例ですかね、
その成立に向けての、
意見交換を行うのでしょう」
友「だろうな。
そして――男。
この場にお前も来てはどうかというわけだ」
男「名指しですか?」
友「この塾宛だがな、
そもそもこの塾に届く事が、
おかしいと思わないか」
吊るしあげるつもりでしょうね」
男「……」
友「ぶっちゃけた話をすれば、
この話についてだけ考えれば、
俺は反対はしないんだが……」
黒髪「そうなの?」
友「悪質な塾やなんかがあるのは、
事実だからな。
生徒を財布としか思ってない、
そんな連中はいる。
だから、その対策としては、
一歩目としては悪くないだろ」
こうして招待を受けた以上、
その場にいかなければ、
マスコミがまとめてココをたたく、
理由を作ることになるわよ。
実際にそうするかどうかは、
何とも言えないけど。
そして顔を出したとしたら、
罵倒をされ続ける時間になるわ」
友「それは分かってる。
だから気が重くてなー。
正直、うちの塾の今の評判てのは、
かなりドン底だからな。
それこそ、殺人鬼のいる塾、
なんて噂が有っても驚かねえくらいだ」
黒髪「ふふ、それはさすがに驚くわよ」
痛く演出しようとすれば、
それができる腹はある……」
黒髪「……」
男「いきます」
友「……」
男「わたしがその場に出向いて、
正面から正々堂々と、
喝破すればいいのです」
黒髪「……難しいと思うわよ」
男「分かっていますが、
残された手段はそれしかありません。
第一、行っても行かなくてもダメならば、行かない分だけ損でしょう」
友「同じアホなら、か」
通じ合えなければ仕方ありません。
その時はやはり、
私がこの塾をやめる事で、
幕としましょう」
友「……それは」
男「他の教員の生活もあります。
友さんには、
私のために他の人を見捨てたり、
して欲しくはありません」
黒髪「……私も、
できる限りの事はするわ。
どこまでできるかは、
わからないけど」
男「しかし、黒髪さん。
そうしてもらっても、
私は何も恩返しができませんよ」
黒髪「そんなのは私が決める事よ。
無かったら絞り取るだけ」にやっ
男(い、いま、悪寒が)ぞくっ
相手がだれか、
目的は何か、
手段はどうするか、
そのカードが出そろった今なら、
私だってできる事は有るわ。
ややこしいことは言ってないで、
私の世話になりなさい」にこっ
男「……ありがとうございます」
友(あの男が尻に敷かれてるよ……)
黒髪「さしあたって、
今日の授業は欠席するわ。
その『説明会』って、来週でしょ。
それまでにできる事をしないと」くるっ
男「……」
友「悪いな、黒髪ちゃん」
黒髪「そんな言葉より、
終わった後のありがとうの方が、
聞きたいですね」とことこ
男「……」
友「……怖いな」
男「いまさらですね」
友「…………ホントに怖いな」
男「怖い、ですね」
友「でも」
男「私たちより、
よほど頼りになりそうです」苦笑
六十二日目 黒髪の部屋
記者<っていうのが概要かな。
詳しい内容については、
ウチのデータベースの内容、
ソッチに送りますよ>
黒髪「ありがとうございます」
記者<なに、コッチはいつも、
お世話になってるからね。
たまには恩返しをしないと、
後が怖いよ。はは>
黒髪「そんな、怖いだなんて」
記者<おっと済まない。
デスクが戻ってきたから、
切らせてもらうよ。
またいいネタ有ったら、
ぜひ僕に持ってきてくれ>
黒髪「はい、お約束します」にこっ
つーつーつー
黒髪「コレで何とか、
必要な資料は集まりそうね」
You got a mail~♪
黒髪「仕事早いわねー。
さすが、父さんの紹介……
しかも随分細かいところまで、
よく調べられてるわ」
黒髪 かたかた
黒髪「確かに受け取りました、と」
黒髪 かちかちっ。
黒髪(……どうやら、
推測は正解だったようね。
例の会議に際して、
マスコミ各社に話が通っている)
黒髪「その特集を組む場合、
この情報を使おうと、
集めてたのね……」
今からマスコミに、
コネを作っておいて、
正解だったわね)
黒髪(今回の件の主導は、
例のピアスの母親……理事さんね。
教員資格の厳正化については、
今まで中立派閥の代表だった。
それが、今回の件で乗り換えて、
県政への足がかりにするつもりみたいね。なるほど)
黒髪「一石二鳥を狙ってるわけね」
黒髪(なかなかどうして、
ただの親ばかってわけじゃ、ないか。
送られて来た情報の通りなら、
すでに県議会への根回しは、
おおよそ済んでいる状態みたいね。
特に紙上に取り上げていないけど、
この『提案』に合わせて、
条例を整備するために、
必要そうな議員を接待したという、
疑惑、が並んでいる)
あくまで抽象的な話だった。
具体化すると、
その議題を深く扱わないといけない。
けれど真剣に議論しては不都合な人がいたから。
ただ、今回の件で、
ウチの県の教育について、
教育委員会が問われるような内容が全国紙に掲載された)
黒髪「この義務化と、
定期的な更新試験については、
確かに不満な点は殆どないわね……」
黒髪(ただし、
暴力問題を起こした男さんは、
間違いなくその試験で、
問題ありとして免許をなくすことになる)
教師としての仕事は殆どなくなって、
先生も食べていけなくなる……」
黒髪「問題はやっぱりそこね。
資格試験については、
コレは必然的な流れで問題はないわ。
ただし、ソレを利用して、
先生を貶めようというウラがあるのが問題になる……」
黒髪「つまり、着地点としては、
先生の行為の正当性を証明した上で、
くだらないウラなんかなしで、
検討を行ってもらうことかしら……
構想自体には、
先生も友さんも賛成みたいだし」
いったい何かしらね。
暴力を振るうなという先生が、
暴力を使って相手を戒める。
教育的指導をする。
それを相手が感謝していれば、
きっと話は済むはずなんだけど、
あの茶髪やピアスが、
先生に感謝なんかするはず無いわ」
黒髪 ぎしっ
黒髪(暴力を振るわれた人からすれば、
振るった相手に報いをって、
そう考えるのは当然よね。
でも、その報いが暴力なら、
暴力の被害者が増えるだけ……」
会話が通じない相手に対して、
どんな手段が適切なのかしら……」
黒髪(……ダメね。
集中力が途切れてきてる。
いまは実際の正当性より、
いかに正当を主張するか、よね)
黒髪 ごそごそ
黒髪「……これを使えば、
主張できる、はず。でも……」じぃっ
黒髪「ぎりぎりまで模索して、
ダメなら、その時の手段ね」
六十九日目 男の部屋
ちゅんちゅん
男「……」ごそごそ
男「結局、あまり寝られませんでしたね」
男「いつも通りに、するしかないというのに」
男 せのびー
男 ふらふら
男(結局あの後、
黒髪さんは授業に顔を出さず、
例の理事さんの件について、
一度メールが有ったきりで、
以降は特に連絡もない……)
男(黒髪さんは確かに賢く、
また強い意志と、
何らかの『手段』を持っている事は確かに見える。
しかし、それでも彼女はまだ高校生。
そして相手は、
大人の中でも相手にしにくい、
それなりに権威のあるお役所です)
男 ばしゃばしゃ
男(学校に関係する事に限定されるが、
実質的には立法・行政機能を持つ組織――)
こんな事態になってしまえば、
嵐にもまれる船のように、
事態に押し流されるしかない……」
男(むしろ、酷な事を任せたか……)
男 ごそごそ
男「黒髪さんの落ち着きに、
甘えすぎてしまいましたね」
prrr prrrr
男「……友さん」
友<よーう。よく眠れたか?>
友<……さすがに電話じゃ、
判断がつかねえな>
男「大丈夫ですよ。
ところで、要件はなんですか?」
友<それなんだが……
なあ、本当に俺は行かなくていいのか?>
男「来ていただいても、
何もする事は有りませんよ。
むしろ、この件に関しては、
いざという時のために、
わたしを既に解雇したつもりで、
知らなかったことにするべきでしょう」
男「心情的には、
そうかも知れませんね。
ですが、何度も繰り返していますが、
友さんには友さんの、
持つべき責任というものがあります。
巻き込んでしまったわたしには、
言う資格がないかも知れませんが、
コレは私のとるべき責任です。
委ねてはいただけませんか?」
友<……そこまで言われたら、
何もいえないな>
男「すみません」
友<わかったから謝るなよ。
だがな、俺はお前のダチだ。
それは忘れてくれるなよ>
男「……はい」にこっ
つーつーつー
六十九日目 説明会会場
司会「えー、というわけで、
本日コチラには、
県の代表として、
教育委員会から数名と……
教育評論家の方々を、
お招きしております」
ぱちぱちぱち
司会「本日の進行ですが、
マスコミの方々からの依頼があり、
最初に委員会から意見の提示をし、
ソレに対して反対の立場を持つ、
評論家の方々から質問を受け、
対話形式で会議いたします」
フォーラム(公開討論会)ですか。
しかし、さて。
反対意見の相手を用意しての討論に、
どれほどの意味があるのか……
いや、この場では、
その様な意味など、
いらないのかも知れませんね。
あくまで議論をしたという、
経緯が欲しいだけと考えれば……)
男「……ふっ」
男(どのような演目か。
ここに来たからには、楽しみに見させてもらいましょう)
六十九日目昼 説明会会場
評論家「というデータから、
教員免許の義務化により、
必ずしも教員の質が向上すると、
語る事はできません」
理事「教員の質の向上は、
確かにそのデータを見る限り、
難しいかもしれないザマス。
しかし、質の低下は、
防止することができるザーマス。
コチラが事前に、
各学校教諭に対して、
任意でテストを行ってもらい、
それをまとめたものが、
資料、三の二ザマス」
かさかさかさ
やはりどうやら、
事前に質問や意見をまとめ、
ソレに対する回答を、
用意していた節がありますね)
理事「ご覧の資料でわかるザマショ。
自分の担当する教科であっても、
一定以上の学力が認められない、
そんな教員が、
全体の一割ほどいるザマス。
割合からすれば少なくとも、
今後の子供達の事を考えれば、
たとえ一割でも問題ザーマス」
男(もっとも、
それでも正論なんですよね)
費用対効果を考えてください。
数年に一度でも、
教員全体に対してテストを行い、
その結果によって、
免許の剥奪、更新などをした場合、
どれだけのコストがかかるか……」
理事「そのコストが、
血税から出ていると考えると、
一滴でもムダを減らしたいのは当然ザマス。
でもあえて言えば、教育とは、
そもそもお金がかかるものザマス。
その負担をしてでも、
これから先に、
より多様化する社会に適応するため、
その時代に生きる子供達に、
より質の高い『知』を、
提供するのが大人の役割ザマショ」
学ぶ気の無い子供に、
ムダに金をかけてどうします。
今時中学生だって、
どうせ勉強しても、
その知識は使わないんでしょと、
そう言って大人を笑ってますよ?」
理事「……」
評論家「大体ね、
そういう教師がいても、
大体何とかなっているモンなんです。
訴訟問題なんかも、
殆どおきていないでしょ?
あなた方の主張は大げさなんですよ」
その時では遅いザマショ。
加えて、何とかなっていると、
そうおっしゃるなら、
自分の子供をそんな学校に、
率先して入れてみるザマス」
評論家「子供はいませんが」
理事「ならそのつもりになって、
よく考えてみるザマス。
自分の子供が、
暴力を振るうことで有名な、
そんな教師に師事する光景を、
よく思いうかべてみるザマス!」
評論家「……それは、不快ですが。
そういう教師は、
学校側で辞めさせるでしょうよ」
アルバイトを解雇するように、
簡単にはいかないザマス。
いかに指導力がなかろうと、
いかに暴力的であろうと、
子供達は耐えるしかない。
そんな現状を変えるための手段が、
今回の免許更新制度ザマス。
第一、学校を辞めた後でも、
塾や私学で教師を続ける者がいて、
子供達に牙を向けているザマス」
評論家「……」
理事「そう、
そこに座っている、
暴力教師のように」
記者2「そういやコイツ、
夕日新聞で載ってた、
あの記事の塾講師だぜ」ザワ
記者3「ああ、張り込みしてたときに、
確かコイツが出入りしてたな」ザワ
理事「ウチの息子も、
そこの教師によって、
暴力を振るわれた被害者ザマス。
その悔しさ、悲しさ、
あの子の味わったような辛さを、
二度と繰り返さないために、
こうして訴えかけているザーマス」よよよ
記者1「子供のために県政を変える母、
売れそうなネタだな」にやり
それでも未だに、
教鞭を握るような人がいるから、
こうして改革が必要になるザマス」
評論家「……そこのキミ」
男「はい」
評論家「生徒に対して、
暴力を振るったというのは、
事実なのか?」
男「事実です。
ですがしかし――」
司会「キミ!
会の参加者でもないのに、
問われた事以外には口を出さないでもらおう」
その暴力がきっかけで、
学校を辞めて塾教員になったと、
それは事実かね」
男「事実ですが――」
評論家「そんなキミは!
生徒に暴力を振るったことを、
恥ずかしいと思わないのかね」
男「思いません」
記者2「ふてぶてしい野郎だな」ぼそっ
男(やはり、こうなりますか)
評論家「確かに、
この男性のような教師が、
極端な例で無いとすれば、
まさに由々しい話か」
理事「お陰でうちの子は、
今でも時々うなされて」ううっ
しかし、新聞の記事には、
その声は乗りませんからね。
意図的な質問の偏向も、
恐らく最初から、
仕組まれていた。
反対していた人間が、
危機感に煽られて翻意した、
というだけで、
人はその事態に対しての、
意識レベルを上げますからね)
評論家「このような人間が、
他人に何かを教える事こそが、
今の世の狂気かも知れないな。
自制もせず、
その横暴の恥を知らない。
ただひと時の知識量だけで、
その資格を手に入れて、
責任を自覚することもなく、
ソレを漫然と持ち続けている事に、
何の疑問も持たずに振りかざす者が、
いったい何を教えうるのか」
男「……」
これからも安穏と教師を続けようと、
そういうならば、
私もこの社会の一員として、
この条例の正当性を、
容易には否定できないな」
記者1「確かに、
こんなヤツに自分の子を任せるなんて……」ぼそぼそ
記者2「教師が聖職なんて、
もう間違っても言えねえな」ぼそぼそ
理事「どうやら、
今回の条例の正当性について、
皆様にきちんと理解していただけたようザマスネ。
委員会は、このような教師に対し、
厳しい態度を見せる必要を、
感じているザマス。
記者の皆様も、
このような人間を、
社会にのさばらせないためにも、
御協力を求めるザマス」
記者3 パシャパシャッ……
男(一人のシャッターを皮切りに、
痛いほどの白い光が、
『悪』を糾弾せんと、わたしに向けられる)
男(そして確かに、
間違ってはいない。
今のルールの中では、
わたしは誰かに対して、
何を誇る事もできない悪なのだ)
男「わたしは……」
男(それでも、
わたしは主張しなくてはならない。
わたしが教師ならば、
この背を伸ばし、胸を張り、
言わなければならない言葉がある)
男「それでも――」
がちゃっ
男(扉が開いて、)
とことこ
司会「な、なんだねキミたちは」
黒髪「何って、
見てわからないの?」
司会「わかるわけが無かろう!」
黒髪「当事者を、引き連れてきたのよ」
ぞろぞろぞろぞろ
生徒2「おー、高そうなカメラ!」
生徒3「せんせーおひさー♪」
生徒4「あ、さんちゃんズルい!
先生、私もいるよー!」
生徒5「同窓会じゃねえんだし、
早く入れよー。
さっさと奥つめないと、
皆廊下で立ちんぼなんだ」
生徒6「まあまあ、
焦らなくても入れるだろ?」
生徒7「え、もしかして、
俺らせっかく来たのに、
中に入れねーの?
ま、百人ちかいし、
しょーがねーか?
超ウケるんだけど。あははは」
生徒8「笑えねーだろっ」
黒髪「話は全て、
聞かせてもらっていたわ」ごそっ
男(胸元から出したのは、
携帯電話……?
ああ、会場の音声を、
流している人がいたのですね)
理事「な、あなた達はなんザマスか!
今は子供達のために、
重要な話をしているザマースッ!
でていきなさいっ!!」
黒髪「子供のために?
私達のために?
はん、笑わせるんじゃないわよ。
何も知らずに、
正論を振りかざすことしかできない人たちは黙ってなさい」
君たちは誰だね」
黒髪「そうね、
あなた達の流儀に則るなら、
恥知らずの支持者よ。
男先生がいじめられてるって聞いて、
そんな事はさせないって、
集まった生徒代表よ」
評論家「いじめるなどと、
人聞きの悪い事は、
むやみに口にすべきではないな」
黒髪「なら、恥知らずなんて、
ソレこそ恥知らずな言葉、
使うべきではなくてよ」
評論家「何を言っている。
この男のように、
教育者でありながら、
守り、教導すべき生徒に、
暴力をふるって恥じない人間に、
それ以上相応しい言葉はあるまい」
ぶーぶーっ!!
司会「静粛に! 一斉に喋るな!」
ぴたっ
黒髪「ごめんなさいね、
余りにも面白いな冗句だったから、
つい盛り上がったのよ」
評論家「このっ……!」
黒髪「ねえ、評論家さん、
一つ聞かせてくれるかしら?」
評論家「なんだっ!」
黒髪「なんで誰も、
先生がどうしてこの場にいるか、
どうして暴力を振るったか、
ソレを問わないの?」
理事「子供は黙っているザマス!」
黒髪「ババアは黙ってなさいッ!」ピシャッ
ざわざわ。けらけら
なぜ彼がいるのか、
その点には俺も疑問を持っていた」ニヤリ
黒髪 ニヤリ
記者4「司会さん、
良けりゃぁ俺にも、
この場の参加者として、
質問させちゃくれないかね」
司会「…………」
記者4「沈黙は肯定と取るぜ。
なあ、先生さんよ。
なんでアンタはこの場にいるんだ?
こんな場所に来たって、
アンタの得になる事はないだろ。
むしろ、この展開なんざ、
予想できてしかるべきじゃないか?」
招待されたからですよ。
一教師として、
生徒に関する話となれば、
顔を出さないわけにはいきません」
理事「白々しい……っ」
記者4「生徒思い、子供思いか。
だが、そんな事をいう人間が、
なんで生徒を殴ったんだ?」
理事「いい加減にするザマスッ!
会の進行を滞らせるなら、
出て行ってもらうザマスヨ!」
記者4「構わねぇですぜ?
会が終わった後にでも、
先生と個人面談と洒落込むからな。
他の記者さんがたも、
一緒に話を聞きたそうだし、
皆で近くのファミレスで、
この続きをする事もできますわ」
理事「くっ」
ソレが必要な行為だったからです」
記者2「何で必要だったんですか?」
男「ソレは……」
記者1「口ごもるって事は、
何か疚しいことでも?」
黒髪「そんなわけ無いでしょ。
先生、いいのよ。
ソレについては、本人が説明してくれるわ」
男「本人……? まさかっ」
ひき娘 よろ、よろ
生徒8「ねえ、ホントに大丈夫?
顔色悪いよ」
ひき娘「大丈夫、です」
男(ああ――)
生徒9「がんばれっ。
今なら、俺たちも背中を押せる」
ひき娘「うんっ」
男(外に)
ひき娘「私は、ひき娘です。
先生が、人を殴ったのは、
私のため、だから、
私が説明に、来ました」ふらっ
評論家「ええいっ、
フラフラするなっ!」
黒髪「評論家さん、
そういう言葉は、
相手の顔色を見て口にすべきよ」そっ
ひき娘「ありがと」ぎゅっ
黒髪「どういたしまして。
評論家さん。
――この子はね、
この二年間ずっと、
いじめで負った心と体の傷が原因で、
人が怖くて、外が怖くて、
部屋に引きこもらないといられなかったのよ」
黒髪「決まってるでしょ。
先生に手を出すからよ。
人質を取るようなマネして、
先生を引っ張り出さなければ、
わたし達だって来なかったわ」
批評家「何を言ってる」
黒髪「白々しくとぼけないで。
先生を貶めるために呼んだのなんて、
子供にだってわかるのよ。
でもね、そんな事はさせないわ」
ひき娘「先生は、悪くなんて、
ない、ですから」
六十九日目朝 ひき娘の部屋
prrr prrr
ひき娘「……ん」
黒髪<おはよ、ひき娘。
ちょっといいかしら?>
ひき娘「うん。大丈夫。
でも、黒髪さんが、
こうやっていきなり電話とか、
珍しいよね」
黒髪<そうね。
ただ、今回はちょっと差し迫った話だったから>
ひき娘「差し迫った話?」
ひき娘は男さんのこと、好き?>
ひき娘「…………うん」
黒髪<そうよね。
じゃ、男さんのためなら、
何でもできる?
何でもしたい?>
ひき娘「うん。
先生が困ってるなら、
何だってするよ」
黒髪<……そうよね>
ひき娘「黒髪さん?」
黒髪<自分の好きな人が困ってて、
何かできるかもしれないなら、
何だって、したくなるわよね>
ひき娘「少なくとも私は、
出来る事があるなら、
お手伝いしたいと思うけど……。
先生が何か困ってるの?
そういえば今日は、
いつもなら授業なのに、
おやすみさせて欲しいって云ってたけど」
私あなたに、ひどい事するわ>
ひき娘「ひどい事?」
黒髪<本当はね、
そんな事をしなくてもいいように、
そう考えて行動したけど……
どうしても、
最後の一手が足りないのよ。
どんなに手を打っても、
どんなに見直しても、
後一歩なのに、届かないの>
ひき娘「黒髪さん……?」
アナタも、先生も、
私の大切な人だから、
大切に守って、
傷つけたくなんか無い。
でも私の力じゃ、
どうしても皆を一緒には救えない。
先生を助けようと思ったら、
ひき娘に負担を押し付けないと、
どうしても足りなくて……>
ひき娘「黒髪さん、泣いてるの?」
黒髪<……泣いて、無いわよ>
ひき娘(悔しさと、悲しさでゆれる。
その声が少しだけ濡れているのが、
電話越しでも伝わって)
そんなのは全然、
気にしないでいいから」
黒髪<……卑怯よね。
こんな言い方されたら、
ひき娘なら断れないって、
わかってて私、言ってるの>
ひき娘「そんな事ないよ。
だって、先生が困っていて、
私が何かできるなら、
何だってしたいって気持ちは本当だもん」
黒髪<……ひき娘も、
変わってないのよね>
ひき娘「変わってないって?」
黒髪<中学生のとき、
私がクラスで浮いちゃって、
いじめみたいになった時に、
助けてくれたのは、
ひき娘だったじゃない。
なんで私なんかを、
かばってくれたのって聞いたら、
『私が助けたいって、思ったからだよ』
なんて答えて>
ひき娘「……」
ひき娘が最後に学校に行った日、
何があったかは、
……忘れられてないわよね>
どくん
ひき娘「……うん」
黒髪<三人の男子に囲まれて>
どくん
黒髪<痛い思いをしたんだよね>
どくん
黒髪<その時に助けてくれた人、
その人の事は思い出せる?>
ひき娘「助けてくれた人……」
あの三人の前に飛び出した人>
ひき娘「……憶えて、無いよ」
ひき娘(憶えていたくなかったから。
あの日の事は全部忘れたくて、
それでも忘れられない、
三人の顔だけしか、
私の記憶には残っていない)
黒髪<それなら、
私が救急車を呼んで、
病院に連れて行ったことも、
忘れちゃってるわよね>
ひき娘(あの後、何があったのか。
三人に襲われそうになって、
誰かが助けてくれて、
誰かが介抱してくれて)
ひき娘を助けるために、
あの三人の前に立ったのが男さんなの>
ひき娘「……それって」
黒髪<あの三人に連れられて、
校舎裏で暴行されてる、
ひき娘の姿を見つけて>
ひき娘 どくん
黒髪<近くにいたわたしの手を引いて、
アナタを助けに向かったの>
ひき娘「……でも、
学校で顔を見た覚えとか、ないよ」
黒髪<担当学年が違ったのよ。
私はイロイロと、
先生の手伝いとかしていたから、
教員室で何度か顔を合わせてたけど。
すれ違う程度なら、
憶えてなくても仕方ないんじゃない?
……あとそうね。
よく思い返せば男さんも、
あの頃より細くなって、
表情も、硬くなったかしら。
体型はともかく、
最近の先生の表情はだんだんと、
昔みたいにやわらかくなったけどね>
ひき娘「それで、なのかな」
いいんじゃないかしら。
それで何かわかるようなものは、
ないんでしょ?>
ひき娘「うん、そうだね」
黒髪<それでね、
実はその時に、
あの三人を殴った事で、
いま、先生が追い詰められてるのよ>
ひき娘「どういうことなの?」
黒髪<詳しい話は長くなるわ。
一つ言えるのは、
先生がその事で居場所を失おうとしているという事。
そんな先生を助けるために、
ひき娘にお願いしたい事があるの>
黒髪<ひき娘にね、
他の人の前で、
あの時の事を喋って欲しいの>
どくん
黒髪<ソレがどれだけ大変か、
二年間、何度もひき娘と話して、
会って、わかってるつもり。
でも、このままじゃ、
先生の居場所がなくなることになるの>
どくん
黒髪<無理強いはしないわ。
できたら、来て欲しいの、
メールに、住所と地図を送るから>
ひき娘「……それって、外、なんだよね」
黒髪<……そうよ>
ひき娘「……行く」
黒髪<……>
ひき娘「行くよ。どこにでも」
外に目を向けさせてくれて、
……知らなかったけど、
二年前にも、助けられてるなら」
ひき娘「今度は私が先生を助けるの」
黒髪<……私だって、
私達だっているんだからね>
ひき娘「うん。
一緒に、先生を助けに行こう」
六十九日目昼 説明会会場
黒髪「アナタって、
本当に評論家なの?
とりあえず叩けばいいなんて、
安直な考え持ってないわよね?」
批評家「お、オマエッ!!」
ひき娘「先生は、誰よりも先生です。
私をいじめた人たちの事を、
他の先生が黙認しているときに、
一人だけ私にも、
彼らにも、
向かい合ってくれて、いました」
黒髪「あの歪んだ学校の中で、
ただ一人、
批判も横暴も恐れる事無く、
当たり前のように、
『先生』で居てくれたのが、
この人なのよ」
生徒達 こくこく
黒髪「あの学校にはね、
権力に迎合する校長と、
親の威を借りて、
自分達の行為を黙認させる、
ガキンちょと、
そんな二人に遠慮する、
『大人』ばかりだったのよ」
ひき娘「その結果として、
私に対するいじめは、
担任の先生に訴えても、
マトモに聞いてもらえなかった……」
評論家「どうせいじめだ何だと、
被害妄想に浸ってるだけだろ」
ひき娘「それなら、見ますか……?」
黒髪「ひき娘……」
ひき娘「いいの」
ひき娘「今やらないなら」ぷち、ぷち
ひき娘「何とために来たかわからなくなるから」ばさっ
うあ……
ぐ……
ひき娘「コレが、
ただの被害妄想だって言うなら、
同じ目に、遭ってみますか?」じっ
批評家「も、もういいっ!
隠しなさいっ」
ひき娘「見たくないんですか?
気持ち悪いですか?
汚いと思いますよね。
でもこの傷は、
もう、消えないんです。
ずっとずっと、
これから先も、
何年経っても、
私の体に残り続けるんです。
アナタは目を背けられるけど、
私は、背けられないんです。
死ぬまで、何度も見て、
向かい合わないといけないんです」
そんな事態になるまで、
誰も止めなかった!」
黒髪「そのいじめた生徒の親が、
そこに居る理事さんのような、
有力者だったからじゃない?」
じっ
理事「ひっ――」
ひき娘「はじめまして、
ピアス君の、お母さん」
黒髪「コレがアナタのお子さんの、
行ったことです」
理事「し、知らないザマス!
そんなのに、
ウチの息子は関わってないザマス!」
黒髪「今更ね。
何のために、
こうして皆を連れてきたのよ」
あの時はひき娘をいじめてたんだ……」
生徒2「このままじゃいけないって、
ずっと思ってたんだけどさ、
言い出せなかったんだ」
生徒4「でもひき娘ちゃんが、
そんな傷を負って入院したって聞いてね」
生徒5「みんなで決めたんだ。
ちゃんと償おうって。
でもその時には、
部屋の外に出られなくなったって聞いてさ」
生徒7「だから今回、
黒髪に声かけられてよ。
俺たちがいじめたって、
その中にアイツもいて、
一番暴力的だったって必要ならドコででも言うよ」
生徒8「俺たちと違って、
先生がひき娘を助けたって、
そう聞いたからな。
その先生とひき娘の二人を、
一度に助けられるならなんだってするさ」
みんな学校休んでまで、
こんな場所まで出向いてきたのよ。
ウチのクラスで、
ひき娘をいじめてた子だけじゃないわ。
男さんが担任だった、
クラスの生徒のみなさん。
塾講師になった男さんに教わって、
大学に合格している人や、
いま受験の真っ最中の人。
みんな、先生が心配だって、
それだけの理由で、きてくれたの」
男「……っ」
理事「な、なんザマスかっ!」
黒髪「この先生ね、
泣きながら、
アナタのお子さん殴ったのよ」
理事「だから、何が言いたいザマス!
ウチの子はそれで、
心に深い傷を負ったザマス!」
黒髪「それなら、アナタの息子さんは、
ひき娘の心の傷に、
いったいどんな償いをするの?
どんな理由があって、
彼女にこんな、
心だけじゃなくて、
体にも消えないたくさんの傷を残したの?
ウチの子じゃないなんて、
どう考えてもウソの言葉をまた言うの?」
生徒として大切にだったから、
手を上げたのよ。
殴られる痛みを知らないで育ったら、
彼らのためにならないって、
そうすることでしか教えられない、
唯一の手段だから……
大切なものを、
伝えようとしての行為よ」
理事「…………っ」
黒髪「そんなの本当は、
アナタが教えるべきじゃないの?
おかあさん」
理事「……」
黒髪「……それからね、
アナタのお子さんに、
私は夜道で襲われたわ。
コッチは証人なんていないけど、
知っている声だもの、
イヤでもわかっちゃうの。
結局、理事さんは、
そうやって甘やかすことで、
せっかく先生が用意した、
立ち直る機会すら、
お子さんの手から奪ったのよ」
理事 よろ、よろ
がちゃん
説明会の主役は退場したけど、
どうするのかしら?」
司会「……そ、それは」
批評家「とりあえず私は出直すことにしよう」くるっ
黒髪「出直して、あなたはどうするの?」
批評家「どうもしないな。
私は私として、
必要だと思う言動をするだけだ」
黒髪「……それが、こんな、仕事でも?」
批評家「無論だ。
そこの彼に、
予想より大きな人望があったから、
今回はうまくいかなかったが、
目的の半分は達成した」
男 すっ
男 ふるふる
黒髪「……」
批評家「では失礼する」
司会「わ、私も一度、
下がらせていただきます。
あ、改めて連絡に参ります」
いそいそ
ぱたん
終了の合図しないで出て行くって、
もうぐだぐだね」
男「やりすぎですよ、黒髪さん」苦笑
黒髪「コレでも手加減したのよ。
いろいろとね」にこっ
男「まるで狸ですね」
黒髪「だますのが上手いって?」
男「外面は可愛い、でしょうかね」
黒髪「ムリがあるわね」苦笑
男「……」
この場は私が引き受けるから、
先生は、するべきことがあるでしょ」
男「……お願いします」
黒髪「お願いされたわ」
男「……こちらへ」そっ
ひき娘「……はい」とことこ
六十九日目昼 外
ひき娘「……」
男「……」
風さわさわー
ひき娘「外、出られるようになりました」
男「おめでとうございます。
それから、すみませんでした」
ひき娘「何がですか?」
男「私の事情に巻き込んで、
思い出したくない事を、
思い出させてしまいました。
他にも、いろいろ」
確かに辛かったです。
でも、いつの間にか、
そこまでじゃ、
なくなってたみたいです」
男「そうなんですか?」
ひき娘「……先生が隣にいるから、
かもしれないです」にこっ
男「おやおや。
……もしそうなら、嬉しいです」
ひき娘「……」
男「……」
風さわさわー
何も言わないんですね」
男「……今の私には、
ひき娘さんに対して、
言える言葉が無いだけです。
その傷の痛みも、重さも、
苦しみも、全て……
推し量ることしかできません。
そんな私の言葉の、
いったいどれだけが誠実か、
自信が持てないのです。
ただもし、
僭越ながら、言葉にすることを許してもらえるなら」
ひき娘「……」
男「生きていてくれて、
ありがとうございます」
ひき娘 ぼろぼろ
男(傷を負って、
痛みや恐怖と戦いながら、
ずっと閉じこもっていた部屋から、
私のために出てくれた)
男「外に出てくれて、
ありがとうございます」
ひき娘「……っ、」ぼろぼろ
男(そしてその傷を晒して、
私を助けてくれた。
……これは、心の中だけで、
ありがとうございます)
男「……」
ひき娘 ぼろぼろ
ひき娘「……はい」
男「触れても、いいですか?」
ひき娘 こくん
男 そっ……ぎゅっ
ひき娘「……」
男「それからもう一つ、
ありがとうを」
ひき娘「なんのお礼ですか?」じっ
男「わたしがわたしらしく、
こうしていられるのは、
ひき娘さんのお陰なんです」
ひき娘「え?」
私はソレまでの私を、否定しました。
食べていくために、
友さんの誘いに応えて、
塾の講師をしていましたが、
いつもどこかが乾いていました。
わたしのような人間が、
教師を続けていて良いのかと。
その迷いの一つの回答として、
ただいたずらに、ひたすらに、
機械的に教師らしく生きることを、
選択したんです。
やがて、
勉強を教えるという仕事をこなす、
それ以上もそれ以下もしないのが、
わたしになっていました」
ひき娘「……それは、悲しいです」
私もひきこもっていたんです。
部屋の中ではなく、
心に作った殻の中に。
そんな私に対して、
ひき娘さんは、
正面から向き合ってくれました。
そうして、
信頼を勝ち取ることの大切さと、
失いかけていた自分らしさを、
取り戻す手伝いを、
してくれたんです」
ひき娘「……もう、大丈夫なんですか?」
男「ひき娘さんが隣にいるから、
きっと大丈夫です」にこっ
ひき娘「……ず、ずるいよ」じりっ
男「いまさらですよ」ぎゅぅっ
ひき娘「……それなら」
男「……」
ひき娘「もう、ずっと、ずっと、
隣にいてください」
男「……参りましたね。
そんな事を言われたら、
手放せなくなってしまいます」苦笑
ひき娘「いいですよ。
私だって先生の事、
もう、離さないから」にぱっ
六十九日目夜 男の車
ぶろろろ
黒髪「じゃあなに?
私が新聞記者の相手とかしてる間に、
二人は恋人同士になったって、
そういうこと?」
ひき娘「こ、恋人っていうか」(///
男「もう少し、シビアな関係と云うか」(///
黒髪「……男さん、
いい年のオッサンが、
赤くなったって可愛くないわよ?」
ひき娘「……」
黒髪「でも実態はやっぱり、
ずっと一緒にいようねなんて、
婚約みたいなものじゃない」むぅー
男「ははは、
私としてはそれでもいいですが、
さすがにひき娘さんに悪いですよ。
なにせ、ほとんど倍ほども、
年齢差がありますからね」
ひき娘「そんなの、気にならないのに」ぼそっ
そこらへんのゴチャゴチャは、
二人で解決しなさいな」苦笑
ひき娘「な、なんだか、
黒髪さんに距離を取られた?」
黒髪「それはもちろん。
夫婦喧嘩は犬も食わないってね。
私は横で、
生暖かく見守らせてもらうわ」
男「そろそろ、黒髪さんのお宅ですが」
黒髪「そうね。
送ってくれてありがとう。
助かったわ」
男「いえ、帰り道ですから」
黒髪「それじゃ、ここで降りるわ」
男「しかし、もう少し近くまででも――」
黒髪「いいのよ。
今日は涼しいし、
風も気持ちいいから、
少し歩きたい気分なの」
男「……わかりました」
男「黒髪さん」
黒髪「はい?」
男「今日の事、これまでの事……
ありがとうございます」
黒髪「……高いわよ」にやっ
男「値切りませんよ。
いつか改めてしっかりと、
お礼をします」こくり
ぱたん
ぶろろろろ
黒髪「……」とこ、とこ
黒髪「あーあ……」
嘘だったら良かったのに」
黒髪「…………」
黒髪「いつか絶対、
すーんごい、後悔させてあげるんだから」
黒髪「……」
黒髪「んーん。違うわね。
後悔なんてしなくていいわ。
そうじゃなくて、
となりにいる私まで、
幸せになるくらい、幸せになりなさい」
黒髪「大好きよ、二人とも」とことこ
夜 男の車
男「さて――
そろそろ、目が慣れてきましたかね」
ひき娘「……うん。
真っ暗だけど、
少しだけ指先とかも見えるかも」
男「それでは、扉を開けますよ」
ひき娘「はい」
がちゃっ
ばたん
ひき娘「……うわぁ」
男「どうですか?
さすがにここまで来ると、
都市部と違って空気も澄んで、
光害もないから、
よく星が見えますよね」
本当に、見上げる限り、
一面が星で埋まってる」とことこ
ひき娘 よろっ
男 がしっ
ひき娘「あ、ありがとうございます」
男「足元には気を付けてくださいね」
ひき娘「う、はい……」
男 がさごそ
男「よい、しょと。
見えますかね?
ここにシートをしいたので、
寝転がりながら、見あげましょう」
わがまま言っても、
良いですか?」
男「……いいですよ」にこっ
ひき娘「えっと、それじゃ、
先に横になってもらって、
良いですか?」
男「? はい」ごろん
ひき娘「それで、
その……こんな感じで」もぞもぞ
男「ああ、腕枕ですか」
ひき娘 こくん(////
男(こんな事でわがまま、なんて、
初々しさが微笑ましいやら、
まだ縮まりきっていない、
微妙な距離にもどかしいやら……)苦笑
折角だから、勉強、してきたんです」
男「星座をですか?」
ひき娘 こくん
男「では、あの星はなんですか?」
ひき娘「むぅ、
さすがに、北極星くらいは、
すぐに分かりますよ……
さっき、北の方角確かめましたし」
男「そうでしたね」苦笑
ひき娘「その北極星から、
天頂方向に四つ、
その先に入れ物を形作って、
それが、こぐま座ですね」
男「その通りです」にこっ
初めて教えてくれた、
星座ですよね」
男「……はい。
だいぶ昔のようですが、
まだ、せいぜいひと月ですか」
ひき娘「……」
男「……」
改めて勉強するようになってから、
今まで見えていなかった、
いろんな星座が見えてきて、
とっても感謝してるんです」にこっ
男「それは良かった」にこっ
ひき娘「……」
男「……」
先生と二人で、
こうやって星を眺めてると……
ここに来る前には、
どんな話をしようとか、
折角だから、先生に負けないくらい、
たくさん星座を覚えようとか、
がんばったのに」
男「ああ、だから最近の授業中に、
すこし眠そうに」
ひき娘「ごめんなさい。
でも、そのおかげで、
いろんな星の事とか、
勉強出来て……
でも、二人になったら、
なんだか全部、忘れちゃいました」
男「……」
のんびりと空を見上げているだけで、
とっても幸せな気分になって……」
男「……わたしもですよ」
ひき娘 そっ
男 きゅっ
ひき娘「えへへ。
先生の手、あったかいです」にぱっ
男「それを言うなら、
ひき娘さんの手の方がよほど、
温かいですよ。
まるで……」
ひき娘「む、子供の手じゃないですよ」
男「まるで、
幸せに温度が有ったら、
こんな感じだろうと思った、
と言おうと思ったのですが」にやっ
あ、そうだ! 先生!
忘れてたけど、
そういえばお詫びがまだですよ」
男「お詫び、ですか?」
ひき娘「先生がmeganeさんだって、
黒髪さんと共謀して、
私にかくしてたって打ち明けた時に、
何かお詫びをするって、
言ってくれてましたよね」
男「ああ、そのことですか」
ひき娘「忘れてたんです?」
男「……まあ、そのような感じです」
ひき娘「むー」
男「ふふ」なでなで
ごまかされないですよ?」
男「声はすっかり、
期限がなおってますけどね」
ひき娘「……だって、
先生の手って、気持ち良くて」
男「それは良かった」
ひき娘「でも、
お詫びはちゃんと、
してもらいますよ!」
男「バレましたか」
ひき娘「はい。
だから、一つだけ、
お願いを聞いてください」
最初から無いと思いますが……
何がご希望ですか?
あまり高価なものは、
ねだられても手が出ませんよ」
ひき娘「そんなのじゃないですよ。
むしろ……」
男「はい?
すみませんが、聞こえなくて」
ひき娘「……」
男「ひき娘さん?」
ひき娘「えっと、その、
まず一つだけ、
聞かせてください」
ひき娘「その……
あの説明会のときに、
私の体の傷、
見てもらいましたよね」
男「……はい」
ひき娘「その、本当のところは、
どうだったですか?
……気持ち悪かった、ですよね」
男「……」
ひき娘「色とか形とか、
自分で見てても、
怖くなるくらいで……」
男「ひき娘さん」
ひき娘「……」
その傷が気にならないなら、
今日は、その、
大人としての行為をと、
そう考えての発言ですか?」
ひき娘「ぇ、ぁ、……」こくん(////
男「それで、
手を出さない私に対して、
そうした点が気になっているのかと、
気を回してくれたわけですね」
ひき娘「……」こくん
男「……そのですね。
これはそのー、
男性と女性との差異というか、
えっと、その……」しどろもどろ
男「……そんな瞳を向けないでください。
嫌がっているわけでは、
無いんです。
むしろ私としては、
必死に自分を抑えていましてね」
ひき娘「……そうなんですか?」
男「やはりわたしとひき娘さんは、
十四歳、年が離れていますからね。
その分だけ、
この関係を他の人に対しても、
誠実であるというアピールというか」苦笑
わたしとそういう事は、
したいって、思ってくれてるんですね」(////
男「直球ですね……」苦笑
ひき娘「だ、だって、その。
黒髪さんが、
こういうのは変化球で投げても、
男さんにはすぐにそらされて、
気がつくとごまかされるって」
男「……否定できないところが、
我ながらなんとも情けないですが。
とにかくひき娘さんに対して、
体を重ねたいという思いは、
持っていますよ。
傷に関しては、
気にした事はありません」
男「納得できませんか?」
ひき娘「その、納得はしているんですけど」
男「……では、目を閉じてください」
ひき娘「え?」
男「今日は月もなくて、
風も穏やかな、暖かい良い夜です。
だから、少しだけ」
ひき娘「……少しだけ」すっ
男(我ながら、
もうすっかり、
元の『先生』には戻れないですね)
Scripted by 1 ( @bienyaku )
And Special Thanks for You.
The end of story.
But To be continued at The World.
これにて幕とさせていただきます。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
ひき娘も男も最後にはちゃんと想いが通じ合えて良かったー!
初恋の実らなかった黒髪ちゃんだけが不憫で不憫で…
。・゚・(ノД`)・゚・。
今作も実に良い話でした…次回作も楽しみにしてますね?
クライマックスの部分は引き込まれるように読んでいました。とても面白かったです。
次回作も楽しみに待っています。
乙でしたー
引用元: ひき娘「け、ケーサツ呼びますよっ」